※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:年忌や祥月命日の法事は何のためにするの?)
法事の目的とは?宗教はカネ儲けの手段となっているのか?
このQ&Aのポイント
法事の目的は慰霊や鎮魂や祈願であり、故人を偲び食事をとる懇親が目的なのではないでしょうか?
法事は慰霊や鎮魂や祈願といった自己中心の利己的な目的からではなく、また故人を偲び食事をとる懇親が目的ではありません。
日頃からの不信心に気付き、念仏に出遭って自分を取り戻す機会を得たことを喜ぶ仏恩報謝の思いからでした。
先日、お彼岸でお寺詣りしたときにお寺からいただいた紙に法事の目的が次のように書いてありました。
法事は慰霊や鎮魂や祈願といった自己中心の利己的な目的からではなく、また故人を偲び食事をとる懇親が目的ではありません。
日頃からの不信心に気付き、念仏に出遭って自分を取り戻す機会を得たことを喜ぶ仏恩報謝の思いからでした。
私は全く宗教心はなく、神も仏も信じていません。宗教は自己満足の世界のことだと思っています。それと宗教にとって一番大事なことはおカネですね。おカネの伴わない宗教に今まで出会ったことがありません。
つまり、お念仏に遭わせていただき自分を取り戻す時間を頂戴してありがとうございます、などと訳のわからないことを信じ込ませ、法事の度にお坊さんにお布施を渡さなければならない訳です。
それでは、日々信心深く毎日お念仏を唱えている人は法事をする必要がないことになります。おかしな話です。昔、仏教が伝わって来た時代ならば、この教えによって大衆を納得させることができたのかもしれませんが、今の時代にこんなことを言っても誰も納得できないのではないでしょうか?
やはり、法事の目的は慰霊や鎮魂や祈願であり、故人を偲び食事をとる懇親が目的なのではないでしょうか?
つまり、お念仏に遭わせていただき自分を取り戻すということは、お念仏に遭うまでは自分を見失っていたということですよね。これって精神病者ではないですか?逆に怖いです。
宗教は全てカネ、カネ、カネです。しかも非課税です。ボランティアでやっていてそう言われるのであれば、別にかまわないです。今はカネ儲けの手段としての宗教になってしまっていませんか?昔は専業の僧侶も多かったですが、今はほとんどが教師との兼業です。
いい加減カネ儲けのための宗教を止めませんか?
葬式無用、戒名不要と言った白洲次郎氏が凄く偉大に思えます。
お礼
回答していただきありがとうございました。 浄土真宗か真宗だと思います。宗教に興味がないのでわかりません。 私も故人を偲ぶために法事をやるとばかり思っていたものですから面喰ってしまった訳です。 真宗の教えはおめでたいですね。直ぐに極楽浄土に生まれ変わるのなら早く死んでしまった方がいいですね。 その代わりにどんどんお布施しろってことでしょうね。 凄く気持ち悪いです。 檀家制度にしろ、今のお寺や仏教の在り方に疑問を持っています。 こういうのって世の中が変わってもなかなか変わらないですね。 そろそろ変えて行ってもいい時代ではないでしょうか。