※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:池田信夫氏の『内田樹氏の知らない比較優位』について)
内田樹氏の知らない比較優位とは?
このQ&Aのポイント
経済学において、比較優位は効率の良い分野に特化することで、全体の生産量が増えることを示す概念です。
しかし、比較優位のもとでの生産量や富の増加は、労働者の失業や移動により幸せの移動を伴うこともあります。
また、経済学では有限資源の枯渇や環境への影響も考慮しなければならないとされています。
池田信夫氏の『内田樹氏の知らない比較優位』について
http://news.livedoor.com/article/detail/5978857/
経済学について疎いので教えていただきたいです。
経済学というのは形式的なことが多く、
人間の幸せについて考慮されていない(見えないふりをしている)と常々感じている者です。
言葉尻をつかまえるのでなく、本質的なところを教えていただきたいのです。
参考URLを見てもらうと早いのですが、
この中に以下のような参考の文章が引用されています。
引用--------------
アメリカでは1000万本のバラを栽培しているが、これに使う資源で10万台のコンピュータを生産できるとしよう。他方、南米では同じ資源で3万台のコンピュータしか生産できないとすると、アメリカでバラの生産をやめて全量を南米から輸入したら、南米のバラの生産は1000万本増えてコンピュータの生産は3万台減るが、アメリカではバラの生産がゼロになってコンピュータの生産が10万台増える。つまり世界全体では、バラの生産量は変わらないが、コンピュータの生産量は7万台増える。
--------------引用おわり
これは結局のところ、生産量とか富(≒お金)が増えたということで、
アメリカでバラ生産に従事していた労働者は職を失ったことで不幸になりましたよね?
幸せがアメリカ労働者から南米労働者へ移ったということにはならない、
そういう意味でプラマイゼロにはならないのでしょうか?
また、経済学では生産量や富が増えることが無条件に是とされていると思いますが、
それらが増えることで有限資源がゼロに近づいているということは考慮されているのでしょうか?
また、比較優位というのは効率の良いほうに任せるほうがいいということだと思います。
効率の悪いほうから効率の良いほうに任せた場合、
効率の悪いほうの人(国・企業など)たちは一時的にしろあぶれるわけですが、
その人たちはムダ(不要)ということですよね?
少なくともその比較の上では存在価値がなくなった。
ということは、その人たちは突き詰めれば「経済的には役立たずだから、死ね」
というのと同じなのでしょうか?
そういう意味で、富は増えたかもしれませんが、
幸せは移動しただけ、ゼロサム的になった、
そういう意味とは違うんでしょうか?
貿易黒字・貿易赤字などの言葉の意味はここではスルーでお願いします。
このケースでの「幸せ・不幸」は失業に伴う労働者の「不幸感」みたいな
漠然としたものかもしれませんが、
それに納得いただける方の回答をお待ちしています。
よろしくお願いします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに、経済というのは科学のひとつだと思います。 はやぶさの件と比べても、こんなに不確実な科学はないと思います。 なんとなく、経済の意味が分かりました。 人のために経済があるように思えて、 経済というシステムを守るために人が動いている。 だからこんなに「動かされている感」が多いのだと。 今の僕たちの生活の全ての価値が、お金にあるということ、それが経済。 なんとなく、幸せのために生きているのでなくお金のために生きる、 そういう経済というシステムを自分たちで選ぶまもなく選んでいたのだと感じました。 それを妄信しているからこんなおかしなことになっているのだと感じました。 最後の例で挙げてもらった給与のお話、 僕のような「給与が増えなくても満足」っていう人は 経済の科学からは外れてしまいますね。 ありがとうございます。 参考になりました。