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足るを知る
生産性と聞くと、いかに生産する絶対量を増やすか?という視点で考えていました。 しかし、必要な量をいかに少ない資源で、いかに少ないエネルギーで生産するか、その効率を追求するべきじゃないだろうかと考え至りました。 ご意見お待ちしております。
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ご質問には「労働生産性を上げる」という要素と「知足安分」という要素の両方を含んでいます。前者は国の経済や企業経営に関わる現実的な算盤で、後者は個人の生き方にかかわる思想・信条なのでどちらを重視するかで議論がかみ合わないかもしれません。 昔こんな小話がありました。 社長「これからは労働生産性を上げない企業は衰退する。 わが社も向上させるにはどうしたら良いか」 管理職「毎日サービス残業させましょう」 これは笑い話だとしても、「働き方改革」以前の職場にはこれに近い実話が結構ありましたよ。労働生産性という考え方が正しく理解されていなかった証しですが、現在どのくらい改善されたのでしょうかね。
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- hirokironte
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>強欲でない程度に目標を設定する・・・ あまりにも抽象的な表現ですのでそれを具体化するにはどの様な設定基準で考えるべきかその方が困難極まりない事でしょうね。 「ジェフベゾス」は行き過ぎだから「イーロンマスク」ぐらいか? いやいやそれも行き過ぎで「孫正義」ぐらいが適当じゃね? いやそれは下げすぎだろ! こんな感じになるのですかね? ま~とにかく貴方が言いたいことは分からなくは有りませんが、結局の所貴方の今置かれている立場からの視点でしかなく、仮に貴方が「経営者」となり、その視点で物事を判断すればまた見方が変わってくると思いますよ。
お礼
愚考すると、例えば、 再利用した資源÷利用した資源 の数値が、企業がどれだけ社会貢献に寄与したか、 が世間に評価されるとか
- hirokironte
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>「上限」を決めて、さらに、無駄を省き、効率よく働き、その生き方が次世代に地球の未来をつなぐのではないか・・・ 「上限を決める」というのは「努力の価値を無くす」に繋がります。 どれだけ努力を重ねても「得られる対価が変わらない」となれば誰も必要以上の努力をする意味が無くなり結果それは人間の性質に置いて見ると「怠惰」を誘発させる事にしかなりません。 その証左と言えるのが「共産主義社会」の国家の有り様がそれを示しています。 ゆえに過去に多く世界に有った「共産主義国家」はほとんど崩壊し「資本主義国家」へと変貌しています。 人間と言う生き物は「理想的」に動く者では無く、どの様な物に対しても「制限」を掛けられればその制限内で努力を惜しみなく動いていくという生き物ではありません。
お礼
僕はまだ考え整理出来ていない所ありますが、上限を決めるのではなく、強欲でない程度に目標を設定するというニュアンスです 上から下に押し付ける感じではなく、例えば、地球に住む人類が持続出来るように、個人や企業が地球資源や社会環境に配慮しつつ目標を設定するという概念です
補足
話が大きくなってしまいましたが、そういう雰囲気です
- hirokironte
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>ある人の生産量が10で、ある人の生産量が6で、間をとって1人あたりの取り分を8にしましょうという考え方もありそうですが、それで10を生産している人が納得するかどうか 貴方の思考は何故か「上限」を決めたがる傾向があるように見受けれますが、普通はそんな考え方にはなりません。 人間の欲求は豊かさを求めるのに上限はありません。 もちろん中には「これぐらいでいいや」という者もいるでしょうが現実社会に置いて「上限」を決めた政策などありません。 人間と言う物は日々「日進月歩」の世界です。
お礼
物を売る仕事をやっているのですが、うすうす気付いて来たんです 現在の実際の売り上げは大したことないので神様にお前はもっと売り上げが上がるように頑張れと言わるかもしれませんが、もっともっと売り上げを、1円でも多く売り上げを上げよう、その自分の姿が貪る餓鬼や畜生のように思えてきたのです。稼ぎたい人は稼げばいいですが、なんか僕はもっとつつましやかに生きられないか?そんな心持で。 「上限」を決めて、さらに、無駄を省き、効率よく働き、その生き方が次世代に地球の未来をつなぐのではないか、大げさに言えばそんなものも含まれています。 ジェフベゾスの資産ウン兆円なんて聞くとうらやましいですが、そこって目指したい幸福の姿なのか?そんな疑問わきませんか? 人類は試されてないでしょうか
補足
損益分岐点を無駄に高くなりすぎないようにするというか
>だから、いかに、使用する資源の量を少なくし、無駄のないエネルギーで生産するかが、人類に与えられた使命のような気がする今日この頃です。 その考え方ですと、地球の資源を使い果たしたら、人類は終わるということになります。 それは、滅亡する日に向かって突き進むことになります。 そうではなく、地球→月→宇宙 の順番で人類がエネルギーを消費すること(物質エネルギー→熱の変換)を目指すはずだと思います。 そのために宇宙開発も進むはずですし、、 でないと、滅亡することを目指すしかなくなります。 希望がない世界、つまり絶望に向かって進まないと考えます。
お礼
こんな道はどうですか? 「大江戸リサイクル事情」という本によると、江戸時代は太陽エネルギーだけで資源がリデュース、リユース、リサイクルされていたそうです。 江戸時代は3Rを徹底的に実践していた(せざる負えなかった?) それでも江戸時代の人間は生きられていた。 現在は、蛇口をひねればお湯が出て、チンすればお弁当が温まり、ボタンを押せば洗濯物が出来、乾燥までやってくれる。 そんな文明の恩恵を受けた現代人に江戸時代に戻れなんて言っても、奇人変人扱いですが、その江戸の庶民の精神はすごく参考になるように思えるんです。 地球資源を食い尽くし、宇宙を目指すのも、ある意味壮大なストーリーですが、もっと足元を見た方がいいような、そんな気がします。
エネルギーは、ほぼ無尽蔵にあります。 シェールガス、石油、原子力、核融合、、 Co2の排出が少ない化石燃料のエネルギー変換技術を追求すべきです。 さらに技術力で、安全な原子力、核融合を追求すべきです。 地球でエネルギーが無くなれば、宇宙に行けばよいだけです。 生産する絶対量を増やすか(=エネルギーを如何に消費するか)が、人間に与えられた指名です。
お礼
宇宙で発電した電力を地球に送るなんて研究がされているようですが、B級理系大学を出た僕には想像もつきません。 新聞ではグリーンとデジタルが叫ばれ、CO2ゼロを目指すとか言ってますけど、EV車のみの世界になったとして、発電会社か供給する電力量は今の1.4~1.5倍になるとの試算。結局化石燃料等使いますよね。原発の安全神話も福島で覆されましたし。 だから、いかに、使用する資源の量を少なくし、無駄のないエネルギーで生産するかが、人類に与えられた使命のような気がする今日この頃です。人類延命プロジェクトです。
- hirokironte
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>国民が減ろうが増えようが、国民1人あたりの「必要な量」があり、その分を生産する為の資源等を最大限効率化すれば、人は物質的な豊かさを享受できるという話でしょうか。 全く違います。 そもそも「国民一人当たりの必要な量」など設定は不可能であり、仮にそんな事を国家が設定などすれば「配給制度」にしなければその分配率は資本力のある所にしか行き付かなくなり、それは「資本主義」そのものの崩壊に繋がります。 資本主義社会とは自由な経済の拡大収縮が大前提です。
お礼
>その分配率は資本力のある所にしか行き付かなくなり すみません、ここの所の意味が分からないです ありがとうございました
- hirokironte
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「必要な量」を設定する この質問は「計画生産」という事を言っているのでしょうか? もしそうであるなら計画生産と労働生産性はマクロで見れば因果関係はそれほどありません。 ただ生産されるもの全てに労働生産性の算定は出来ますので数字を出す事は出来ますがその出た数字といわゆる「労働生産性」の本来持つ意味とは全く違います。
お礼
すみません、説明不足だったようで、お話が経済学の方に進んでしまったようで、僕は経済学についてはずぶの素人です。 捕捉しますと、今僕は営業的な仕事をやっていて、考え方としては、売り上げは多ければ多いほど良いという考え方で仕事をしていました。しかしそれは、自分はまるで働くマシーンの様で、家畜の様で、と、売り上げをどんどん上げろと何者かにお尻を叩かれるような感覚で。 考え至ったのは、例えば、僕が求める生活水準はいくらいくらで、それに必要な給料はいくらいくらで、その給料を貰うにはどの位の成績を上げればいいのか?というもっと身近な話でした。 会社に置き換えてもいいです、つまり、この会社に必要な売り上げはいくらいくらで、商品やサービスを生産するのに必要な資源(材料)を最小限に抑え、かかる時間や労力といったエネルギーをいかに最小限に抑えるか。それが出来れば、少ない労働時間で、必要な給料を貰えるのではないだろうか。 そんな視点でした。
- hirokironte
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その考えを更に進めると昨今言われている「少子化」と言う物が日本経済に大きなダメージを与えるというロジックも実は決してそうでもないという事が分かってきます。 「経済」と言う物は結局「国民が潤っているかどうか?」という事につきますので、要するに一番重要な事は「国民一人当たりの所得」と言う物が一番重要になってきます。 例えばその国の所得が一か月100万円でその国の国民の総人口が100人だった場合、国民一人当たりの所得は一人一か月1万円となります。 ゆえに国民が減ればその分一人当たりの所得は増えますので結果として国の所得を増やすか国民の総人口を減らすかしないと「国民一人当たりの所得」は増えない事になります。 現実の例を見ると、現在国家のGDPとしては世界第二位の中国の国民平均所得と世界でGDP20位のスイスを比べれば一目瞭然で、人口が圧倒的に少ないスイスは「国民一人当たりの所得」で見れば世界第一位の所得を誇っています。 ゆえに「人口減少」「少子化」と言う物が決して悪いという事ばかりでも無いという事が伺えます。
お礼
国民が減ろうが増えようが、国民1人あたりの「必要な量」があり、その分を生産する為の資源等を最大限効率化すれば、人は物質的な豊かさを享受できるという話でしょうか。 ありがとうございました
補足
>その考えを更に進めると昨今言われている「少子化」と言う物が日本経済に大きなダメージを与えるというロジックも実は決してそうでもないという事が分かってきます。 Youtubeで高橋洋一氏も言っていたのですが、国家間で国内総生産を競争するなら国内総生産に意味がありますが、国民1人1人の生産量を考え、物質的な豊かさは、1人あたりの生産量を見ればいい、素人の僕はそう理解しています。 国民1人1人がそれぞれ豊かになればいいわけですので。 ある人の生産量が10で、ある人の生産量が6で、間をとって1人あたりの取り分を8にしましょうという考え方もありそうですが、それで10を生産している人が納得するかどうか
- okvaio
- ベストアンサー率26% (2005/7699)
ウィキペディアより: 生産性とは、経済学で生産活動に対する生産要素(労働・資本など)の寄与度、あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度のことを指す。 一定の資源からどれだけ多くの付加価値を産み出せるかという測定法と、一定の付加価値をどれだけ少ない資源で産み出せるかという測定法がある。 ---------------- となっていますので、まさにご指摘の通りです。 不良率や不良内容、修正時間などから見ることも必要かと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました
- hirokironte
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「労働生産性」とは昔からその考えですよ。 労働生産性が向上すると国民一人当たりの所得も上がり、結果消費も上がるという経済学の常識です。 日本の昭和の「高度成長」が正にその様相を呈している物で在り、バブル崩壊以降の日本経済の低迷もまさにその理論を裏付けています。 「労働生産性」を上げる最大の要素は「資源」いわゆる「設備投資」に在ります。 経済学における「資源」というものは皆が考えている「原油」「鉱物」と言う物だけでは無くマクロで言えば「道路」「交通網」「ダム」でミクロで言えば「工業プラント」「生産工程」「最新設備」などです。 バブル崩壊以降の日本の経済政策は「緊縮財政」によりこの設備投資を怠ってきたことにより結果「労働生産性」は全く上がらず、当然そうなれば国民一人当たりの所得も上がりませんので「消費」も上がらない「景気低迷」をずっと続けています。 日本政府のこの経済政策が何故これまでもずっと変わらな最大の要因は「日本国民のリテラシーの低さ」が最大の要因です。 「緊縮財政」いわゆる「税金の無駄遣い」という間違ったロジックが今も厳然として国民の総意がありますので日本の経済政策が今も間違ったままになっています。
お礼
まず先に「必要な量」を設定するという概念について、何かございますでしょうか? ありがとうございました
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お礼
>ご質問には「労働生産性を上げる」という要素と「知足安分」という要素の両方を含んでいます。 気づかせてくれてありがとうございました >労働生産性という考え方が正しく理解されていなかった証しですが、 私はおそらく「労働生産性」を正しく理解していないと思うのですが、よろしければ教えていただけないでしょうか