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久し振りの地震

という表現は不自然だと思うのですが、「久し振り」を凶事に使うのは間違いという文法的な根拠、あるいは何らかの記述はあるでしょうか。 また、これに代わる何か適当は言葉はないでしょうか。   

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  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.5

>正しいとすればそれを裏付ける根拠のようなものはあるのだろうか、とふと思った次第です。 そもそも、万葉の昔から、「ひさかたの」という枕詞自体、天を仰いでその瓢形の悠久を崇め尊ぶ意を以て、天にまつわる事象に冠するのだとされていますし、「ひさし」もまた和歌では間に横たわる歳月を嘉するとともに待ち遠しい思いの丈を託す形容詞として用いられてきた流れは否めないことでしょう。 「見ぬ日久しみ恋しけむかも」(17-3995) 「恋ひむ年月久しけまくに」(11-2577) 「明日と言はば久しかるべし」(7-1309) 主観的な「久しさ」は待ち遠しさや懐かしさに関わる形容詞として歌に詠まれてきた経緯です。 また、漢語においても、「久し振り」は再開の挨拶言葉として「久闊を叙す」とされています。 「久憶」は長い間思い続ける意味であり、「久懐」はその字の通り久しい間の思いですし。 ただし、その話者の意図において、そのような凶事をかねがね気にかけていた場合など、本人として「案の定」「不安が的中して」「心配が現となって」といった文句とともに、「久し振り<に/で>」という副詞的用法がなされることはありうると思います。 「予(かね)てからの心配が現となって、久し振りに、大きな地震に遭ったものです。」 「昨夜は久し振りで火事が有った。 There was a fire last night, after a long intreval-quite a stranger of late.」(「斉藤 和英大辞典」) まあ、望んでいない意味での使用については相手に誤解を招きかねないので、ここは「図らずも/またもや」などの選択が無難でしょう。

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 昔から凶のイメージを伴なって用いられることは少なかったわけですか。 興味深く拝見しました。 >「予(かね)てからの心配が現となって、久し振りに、大きな地震に遭ったものです。」 「昨夜は久し振りで火事が有った」 : 凶事と言うには幾分の余裕があるようにも感じられるのですが、それが不自然ではない理由のような気もします。 >そのような凶事をかねがね気にかけていた場合など、 : という点も余裕の一種になるのかもしれません。 本来は「久=長」なのだが、おっしゃるように「長=良いことを待ち焦がれるための長さ」という願望が、文法すらも超越してきたということなのかもしれませんね。   

その他の回答 (4)

noname#153348
noname#153348
回答No.4

NHKことばのハンドブックに次の記述があります。 「久しぶり」は期待感があるときに使われることが多いので、台風の襲来などには使いにくい。「〇〇(具体的な台風名)以来の・・・」「このところなかった・・・」などとするほうが無難である。 「久々」も同様である。

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >「久しぶり」は期待感があるときに使われることが多い : なぜなんでしょうね。 「このところなかった・・・」はいいですね。  

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4336)
回答No.3

ひさしぶり、ひさびさ、ひさしいという言葉にはそれが待っていたものであるというニュアンスを感じます。 懐かしく、恋しい、いとしい 慕わしいという感情もともなうとおもいます。 雨が続きやっと今日は久しぶりのお天気になった。 何十年ぶりの同窓会で、ひさしぶりでOOくんにあった。 久しぶりに見る故郷の山々。 あれからOO年の月日がたち再び地震に襲われた。とかで久しぶりの地震は違和感があります。、

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >久しぶりの地震は違和感があります。 : 「久」という字自体には「長」という意味しかないと思うのですが、なぜかそういう感覚が伴ないますよね。  

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.2

このような「ひさしい/久々/しばらく」系について、 「いずれの語も、起こった事態が望ましくない場合には使わない。したがって「こんな大事故は久し振りだ」「久々の大地震」などの言い方はしない。」(小学館「使い方の分かる類語例解辞典」) 「久し振り」には、話者にとって主観的にその期間や年月を長いと感じる意識が基底にあり、その意味では「懐かしさ」と連動し易い事柄や事態に対して表されるのでしょう。特に過去に見知った相手に対する表現としては、そのまま「お」を付けて挨拶語にもなっています。 再度の地震に見舞われた言い方としては、 どちらかといえば良くないことに関わり得る「またもや/またしても/またぞろ/またまた」といった副詞を用い、「あれから2年経った」「つい半年前以来の」などの文句との併用ではいかがでしょう。

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 辞典などにも記述があるのですか。 大変参考になります。 ただ、 >「久し振り」には、話者にとって主観的にその期間や年月を長いと感じる意識が基底にあり、 その意味では「懐かしさ」と連動し易い事柄や事態に対して表されるのでしょう。 : 「久し振り」には辞書的には「長い」という意味しかないように思うのですが、おっしゃるようになぜか「懐かしさ」が必須の表現のように感じます。 その感覚は正しいだろうか、正しいとすればそれを裏付ける根拠のようなものはあるのだろうか、とふと思った次第です。   

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.1

こんにちは。 私見ですが、全然不自然ではないです。 根拠があるかはわかりません。 ほかの例 「こんなにしんどい仕事は久しぶりでしたよ。」 「高校のときの嫌なクラスメートに、久しぶりに街で出遭ってしまった。」 ただし、「久方ぶりの地震」「しばらくぶりの地震」だと非常に不自然に感じます。 しかし、「久方ぶりの雨」ならば不自然に感じません。 これも根拠は知りませんが。

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに、 「こんなにしんどい仕事は久しぶりでしたよ。」 「高校のときの嫌なクラスメートに、久しぶりに街で出遭ってしまった。」 などは使いそうですね。 ただ、(凶事と言うには)幾分の余裕があるようにも感じられるのですが、それが不自然ではない理由かもしれないとも思われます。 たとえば、 「今回のように多数の死者を出した地震は久し振りだ」 などと言う場合はどうでしょうか。 >ただし、「久方ぶりの地震」「しばらくぶりの地震」だと非常に不自然に感じます。 : この点に関しては同感です。 辞書的に同じような意味に使われていると思いますが、「久し振り」のほうが汎用性がある、ということなんでしょうかね。   

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