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昔の人の着物の保存法
昔の人は着物をどのように保存してたんですか? 防虫剤とかなかったと思うんですけど… 虫食いだらけだったんですか?
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こういうご質問、興味深いです。 昔ってどれぐらいの話を想像しておっしゃっているのかがわかりませんが、明治以降か、それ以前かで違ってきます。 それは、着物の素材が違うから。 明治以前なら、ウールという素材が日本にはなかったです。 虫が食うのはウールです。 蛋白だから。 そして、樟脳そのものは昔からありました、楠(クスノキ)からの抽出成分だから。 「カンフル」として「薬」にも使った。 ただし、同じ蛋白でも、絹は虫がくいません、おそらくは絹に含まれる、元原料としての桑の葉っぱの表面の成分で 膠成分(クチクラといいます)が消化できないから。 同様に、綿の繊維はセルロースですので、コレも虫が食わない、食えないといったほうが正しいかもしれない。 上物(絹物)はウコンという植物の根で染めたからし色の綿の風呂敷にくるんで保存ししました。 コレは、虫ではなく、「カビ」よけです。 いわば、殺菌効果を期待してのウコンの風呂敷です。 ちなみに忍者はウコンで染めた布で泥水を漉して飲料としたそうです。 畳紙は昔はなかった・・・江戸時代?明治?は。 アレだけ大きな紙が・・・というのと、あれ自体に「殺菌効果」がウコンの風呂敷のようにないからです。 着物はシーズンが終われば、解いて洗って・・・までが【針仕事】としての 流れです。 今ならクリーニングに出してからしまうというのと同じ感覚ですが。 ちなみに、庶民は「絹物」を持ってませんので、自分でコレを洗い張りはしません。 だから、絹物を保存のために、「ウコンの風呂敷」と火事になっても燃えにくい「桐のたんす」に入れておくのです。 庶民は、柳行李です。 文字通り、柳の枝で編んで作った、四角い箱?。 火事の時でもすぐに背負って逃げられるようにです。 同じ布を、単で着て、解いて洗って、袷に仕立て直してすぐに着るのです。 忙しいのです、だからこそ、衣替えというのに意味があった。 あるものをきるのではなく、早速に次を用意しなくちゃいけないという・・・意味です。 今みたいに、そのままの形で来シーズンまで保存するということはほとんどないです。 余分を申し上げると、古着屋さんというのもいろいろあって、そのまま古着としてそっくり売るのばかりでなく、 三つ物やという、綿入れを裏と、中の綿と、そして表の生地と、三つに分けてまで売り歩くというの まで江戸時代には普通にあったそうです。 とっておくほど、きるものもない・・・というのが、現実だった昔です。
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- bekky1
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#3です。 【虫食いにあうのはウールとのことですが、でわ昔は主にどのような素材の着物を着ていたのでしょうか?】 普通に、衣料ということなら、綿ですが、これとても、確か室町以降ぐらいではないでしょうか、一般化したのは。 それまでは、ほぼ、麻ばかりです。 麻は、そのまま草?の繊維をとるのに比べて、 「綿」は、「綿花」としての【実】として収穫しなくてはならない 困難があるので、日本の湿気が綿の栽培に適してなかった。 綿は、「綿花」となるときに、雨が振ったらいけないのに、日本は高温多湿で、雨が振るから。 水耕と、綿花栽培とは分布が気候として両立しません。 綿の種自体は、確か正倉院の御物のなかにもあるとかないとか読んだ記憶がありますが、 一般人が着用するための「日常品」としては広まるには、栽培するための気候がずっとクリアーできなかったのです。 その点、「桑」の栽培は、「食べるもの」の農産を犠牲にして作れば、蚕のえさとして供給できますから 衣料の原料としては、麻と、絹(超高級品)という時代がずっとです。 布団は綿ができてからですから、十二単で生活してる貴族も、そのまま、畳表一枚のようなものの上に寝ちゃうのです。 ウールは、羊さんですから、日本には羊を飼って・・・という農耕の牧畜に適した時代はないです。 食肉しないし。 牛を飼っても、これは農耕のための「機械」としてであって、食べるとか、乳を採るとかはあまり目的としてない。 同様にして、毛を取るためには日本では羊さんを飼うことはしてない? だから、ウールも明治以降、「洋装スタイル」が入ってきてから。 布地はいまや、ボロタオルなどはいて捨てるほどだから、「切れ端」も貴重品だという認識がないでしょうけど すべて、「農産物」として原料が調達されるとき、「食べるもの」としての農産をしないで、綿を作る、麻を作る、桑を作る・・・・は なかなかできなかったということです。 ましてや、羊を飼う・・・もです。 明治大正のころは、ウールも高級品です。 全部が舶来品だとわかるからです。 「ボウモウ(私の母はこういいました)」という、毛製品をリサイクルしての「ウール」織物も作って、下等品?として流通させるようなことも 一般的だったので、こういうのは特にむしが食いヤスイとも、いえたのでしょう。 繊維が短いから。 それに、ウールマークができたいきさつが、「新しいウールです」ということで、こういう、再生品ではないですというのがウールマークだから。 いまや布地は有り余ってますが、とても貴重だったのです、本当に、100年前ぐらいまでは。 石油で、化繊ができるまでは。
お礼
綿が主だったのですね。 詳しい回答ありがとうございました。
- ka28mi
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No.1で回答した者です。 ちょっと余談を・・・。 畳紙に包んでしまっておられると言うことですが、防虫剤を入れてあれば大丈夫ですよ。年に1回くらいは風だけ通してあげた方が良いでしょうけれど。(お召しになってれば、それでOKだそうです。) 「畳紙」という言葉だけなら古文にも出てくるのですが、あちらは、どうやら懐紙のこと、または包み紙全般のことらしいですね。 着物を畳紙に包むのは、呉服屋さんが輸送時にシワになるのを防ぐためだったそうで、自宅での収納時に畳紙に包むのはいけないと仰る方もいらっしゃるようです。 ただ、畳紙があれば、湿気がまず紙にいくので、「紙に汚れやシミが浮けば取りかえることで除湿になる」と、畳紙に包んでしまうことを推奨なさる方もいらっしゃいます。 私は、後者の意見を取り入れて、畳紙に包んで箪笥にしまってます。柔らか物なんかは、畳紙に包んでいないと、重ねるとシワになっちゃいますしね。 着物と言うと、昔からずっと変わっていないように思ってしまいますが、意外と着物も着物周辺の物も、「現代」のようになったのは、つい最近のことだったりするのが面白いですよ。
お礼
再度回答ありがとうございます。 畳紙はやはり使用した方がいいですね。
- yuyuyunn
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こんばんは 昔の人は自分で縫ったり洗い張りをしたり(ほとんどの人が出来ました) 自分で今の人たちが洋服を洗濯機で洗う様に手入れが出来ていましたので 汚れたまましまうということは余りなかったようです もちろん毎回洗っていたわけではないです 樟脳などは入れていましたけどね
お礼
回答ありがとうございます。 昔の人は自分でできたのですね。 普段着が着物だったので当然といえば当然ですが;
- ka28mi
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遊びで着物を着ている者です。 >防虫剤とかなかった ここが誤解です。 今でも使われていますが、「しょうのう」「うこん」のような防虫成分を含む自然の物を使っていました。 また、桐で作られた箪笥や長持は、虫も湿気も防ぎました。 そして、一般庶民は、そもそも「保存」するほど着物を持っていませんでした。1,2枚を着まわすだけで、いわゆるハレの衣装は借りたり、古着を買って用が済めば売ったりしたそうです。 庶民ではない人は絹を着ていました。そして絹はそれ自体が虫が付きません。 今の着物に虫が付くのは、汚れを落としていなかったり、着物と一緒に保存している畳紙の糊に寄ってくるのです。
お礼
回答ありがとうございます。 畳紙によってくるのですか。 私は着物を畳紙につつんでプラスチックのケースに保管しているので(防虫剤と)虫食いが心配になりました…。
お礼
回答ありがとうございます。 やはり昔は着るものはそんなに所持していなかったのですね。 虫食いにあうのはウールとのことですが、でわ昔は主にどのような素材の着物を着ていたのでしょうか?