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今こそ自然に帰る時代ではありませんか?
- 経済格差が広がると都市部へ人口が集まる。そして更に格差が広がる。しかし、だからといって首都機能を分散することは莫大な費用が必要となり、経済を滞らせてしまうのだとか。
- 経済活動のみに頼らず、田舎の実家に帰り共同生活をすることで若者の幸せになれるのではないかと考える。また、経済に頼らない方法で生活を豊かにするために、自家菜園や漁や狩猟採集を行うことを提案。
- 国民の非経済化、脱経済依存の考え方が国家の安定につながると主張する。国家の経済は国民が生活するための手段であるべきであり、経済だけに依存する生活は危ういと指摘する。
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経済と言うのは生きるための一手段でしかないですよね。 ↑ その通りですが、いまでは経済が目的になって しまいましたね。 人は、儲けるために生き、人生の目的はお金になりました。 ”石器時代には経済はありませんでしたが、人類は細々と生きていましたよね。” ↑ 現代のような経済はなかった、という意味ですね。 石器時代には石器時代の経済があったでしょうから。 現代を見ていると、都市部に大勢の人が寄って集ってその都市の限られた パイを奪い合っているようではありませんか? ↑ 都会に集まるのは、儲かるからです。 田舎では、一日百人しか来店しないけど、都会なら 同規模の店でも千人が来店します。 限られたパイを奪い合っている、というのとは少し違うと 思います。 儲かるから、仕事が造られ、それがどんどん増え、仕事が あるから、更に人が集まる、というわけです。 彼らは他に選択肢がないといとでも言うかのようですが、 果たしてそれは本当でしょうか? ↑ 仕事が無いから、よりよい生活をしたいから、という ことでしょう。 それなら田舎の実家にでも帰って家族と共同生活した方が、 この国の若者は幸せになれるのではないかと思います。 ↑ 幸せになるためには、それで食っていけること、 それで満足することが必要ですが、食っていけるか疑問 ですし、この情報化社会で、満足できるかも疑問です。 このような国民の非経済化、脱経済依存というスローガンは 正しい方向性だと思われますか? ↑ 間違っていると思います。 1,それでは国際的生存競争に勝てません。 侵略されるおそれがあります。 軍事的は勿論ですが、経済的に侵略され、事実上の植民地化 されるおそれがあります。 2,それをやろうとしたポルポトは、自国民を大量虐殺する 結果になりました。 3,個人レベルでも、生産性が落ち、餓死者累々という感じがします。 しないよりはマシであることは事実ではないかと思うんです。 それにそれがメインと言うわけではなく兼業で行うということでもよいのです。 ↑ その兼業農家が、日本農業、経済の脚を引っ張っている わけです。 彼らに吸い取られている税金がいかに膨大なものであったか。 ウルグアイランド関係だけで、実に40兆円もの税金が 投じられましたが、何の効果も上げていません。 「生きるためには経済だけではないという思想」 はこれから必要になるのではないかと思うんです。 ↑ ここの部分は賛同です。 このような国民の非経済化、脱経済依存というスローガンは 正しい方向性だと思われますか? ↑ 間違いだと思います。 それでは日本国は滅亡するでしょう。 やるなら、世界中の国が同時にやらねばなりません。 その結果はどうなるか。 人口は減少して、科学技術は発達しなくなるでしょう。 人類の発展、という観点からみたばあい、正しいか、疑問が あります。
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- mezoriso81
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自然って実在論的ですし、都会は観念論的かもしれないですね。 人工的に余計な刺激や通勤など、生活の質からすればどうなのかとよく思います。 田舎でなくても100万人を超えた都市でも十分大きいのではとか。競争力のあるそれくらいの世界の都市ってあるように思えます。 すぐ必要なものを買いに行けて静かに過ごせるって理想で、洗練された消費者になっても、自分の身の丈以上に豊かな感じもしますし。
お礼
ご回答ありがとうございます。 都会の生活の質はおっしゃるとおり低いですね。 都会の豊かさを諦めれば他の豊かさを得られるという考えもあって然るべきですね。 ただ、個人の力だけではどうにならないところがあるので、自給自足がしやすい世の中にしなければならないと思います。 私は中途半端な田舎、今調べたら人口5万人くらいのことろに数年前まで住んでいたことがあるのですが、共同農園などの取り組みがないと、自給自足は難しいと感じました。かといって就職場所もろくにないというそんな所でした。要するに何も生み出さないし自活もできない単なる足手まといなんですね。問題はそれだと思います。田舎で仕事も無いのに自給自足しないというのはどうなんだろうと。それでいて補助金とかを要求するわけですよね。困ったものだと思います。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
民間企業、民間人が都市部に集中する時こそ、利益を揚げる必要のない政府機関が都市部を脱出して、稚内とか網走とか陸奥などの地に、新庁舎を建設し、公務員住宅を建設して、移転するのが良いと思う。 そして、民間企業、民間人が好む都市部の国有地を民間に払い下げ、売上金を多少なりとも国債の償還原資とできれば、素晴らしい。 官と民が同時に一極集中する愚だけは回避してほしいですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >民間企業、民間人が都市部に集中する時こそ、利益を揚げる必要のない政府機関が都市部を脱出して、稚内とか網走とか陸奥などの地に、新庁舎を建設し、公務員住宅を建設して、移転するのが良いと思う。 それはおもしろい案ですね。ペーパーレス化が進んでいるのでそれも不可能ではないような気がしますね。検討すべきと思います。ついでにそこの職員は暇なときは農作業でもするといいでしょうね。 >そして、民間企業、民間人が好む都市部の国有地を民間に払い下げ、売上金を多少なりとも国債の償還原資とできれば、素晴らしい。 私はそれを共同農園にするか緑地化するかということも検討すべきと思います。 >官と民が同時に一極集中する愚だけは回避してほしいですね。 今は議論にすらなっていないのでは? 価値のある考えだと思います。大いに検討すべきですね。
- kimamaoyaji
- ベストアンサー率26% (2801/10379)
言いたいことは判りますが、無理に変えず自然に任せれば良いのでは無いかと思います。見所家に感じていないでしょうが、実は食糧危機はすでに大きく広がっています、その要因の一つに水の枯渇です、人口が爆発的に増えている現在、20年前の1995年(56.7億人)頃から、水不足、食糧不足が懸念されており、2015年は73億をすでに超えています。 つまりそう長くない将来、食料が高騰して、都市部では生活できなくなり、食料の安い地方に移動する(自主栽培する)と言うケースが増えるでしょう、サラリーマンやっているより、農業の方が1.5倍や2倍収入が増えれば、夜遅くまで仕事をするサラリーマンが良いか、忙しい時は1時的にあるが、暇な時も結構ある農業ですから、どうなるでしょう、私なら、農業を選ぶでしょうね、しかも収入がそこそこあるなら、しゃかりきに働く必要も無い訳です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そのときが来てからでは犠牲は大きくなりませんか。 概ね同じお考えかとは思いますが、犠牲や混乱を減らすためには今から少しづつ始めるべきだと思います。農業は収穫まで時間がかかるのですから。
- 山田 太郎(@f_a_007)
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Q、このような国民の非経済化、脱経済依存というスローガンは正しい方向性だと思われますか? A、それは単なる空想にしか過ぎないスローガン。 おおまかに言えば、人類は自らの労働でもって自然を改変することでその経済と文化とを発展させてきました。これは、より良い生活を確保する唯一の方向性であって、そのベクトルの変更を志向する考えはおよそ空想的だと断言できます。 日本の都市部への人口集中の原因も今の中国を見ていればよく判ります。日本の近代工業を発展させるために農村漁村の次男、三男、あるいは女子を工業地帯に集めて都市部を形成。そういう都市部の中央コントロールセンターとして首都機能を充実させてきたわけです。今の中国でも、上海への労働力の集中、北京への管理機能集中が行われています。 さて、工業地帯で生み出された富は、その富の生産者である労働者に完全分配されているわけではありません。剰余部分の大半は、労働者を雇用する者とそれを支える金融機関が独占し運用しています。 >経済格差が広がると都市部へ人口が集まる。そして更に格差が広がる。 このように都市部への人口集中と格差拡大の背景は、雇う側と雇われる側との富の分配権限を抜くには語ることは出来ません。そういう視点を失うと、思考は、単に表面的な現象を是正すれば問題は解決するという空想世界に飛び込んでしまいます。 ところで、1991年のバブル崩壊以後、我が地域では地場の工場の大半が閉鎖されました。そして、生産拠点は海外へ。これは、日本の低賃金構造を支えてきた農村漁村からの安い労働力の供給が限界に来たのが根本原因。こうして、今や、資本は、そのあくなき利益追求のために国内産業の空洞化という選択さえ行ってきました。加えて、その利益追求のためならば、農村漁村の崩壊と引き換えに海外展開する仕組みとしてのTPPを合意しようとしています。 都市と農村の格差是正を問題にする時、こういう現実の資本の動向を抜きに語ることは余りにも思弁的で空想的です。 などなどと、思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >おおまかに言えば、人類は自らの労働でもって自然を改変することでその経済と文化とを発展させてきました。これは、より良い生活を確保する唯一の方向性であって、そのベクトルの変更を志向する考えはおよそ空想的だと断言できます。 それは自然が許す限りに於いての話です。 今までの規模の開発なら自然は許してくれたかもしれませんが、その我慢の限界がきているのではありませんか? 既存の先進国に加えて発展途上の国々まで開発をするのですから、先進国は今までのままでは限界が来ますよ。 >さて、工業地帯で生み出された富は、その富の生産者である労働者に完全分配されているわけではありません。剰余部分の大半は、労働者を雇用する者とそれを支える金融機関が独占し運用しています。 それは事実だと思います。 故に今の若者は不幸なのです。 このような搾取に遭うという前提でしか人生を設計できない現状を変えなくてはなりません。 >そういう視点を失うと、思考は、単に表面的な現象を是正すれば問題は解決するという空想世界に飛び込んでしまいます。 労働闘争という視点では何も語っていません。私は彼らの振る舞いに期待しない生き方を模索するべきと言っているのです。 >ところで、1991年のバブル崩壊以後、我が地域では地場の工場の大半が閉鎖されました。そして、生産拠点は海外へ。これは、日本の低賃金構造を支えてきた農村漁村からの安い労働力の供給が限界に来たのが根本原因。こうして、今や、資本は、そのあくなき利益追求のために国内産業の空洞化という選択さえ行ってきました。 確かにそのとおりに歩んできましたね。 しかし、 >加えて、その利益追求のためならば、農村漁村の崩壊と引き換えに海外展開する仕組みとしてのTPPを合意しようとしています。 これは如何でしょう?本気で合意する気ならとっくに合意しているはずですよね? 国が本格的にグローバル経済に取り込まれて国内の食料自給率に完全に見切りをつけることに対して慎重になっているのではありませんか? もしそうなら、それは至極自然で当然のことと思います。それでも国にとっては簡単には断れない事情と言うものがあるのでしょうね。それが回答者様の仰る経済の事情というものなんですよね。 しかし、私の論じていることはこれとは関係のないことです。 なぜなら、市場へ流通させる食べ物を作るべきとは言っていないのですから。
- shiren2
- ベストアンサー率47% (139/295)
問題の根本は、国家の防衛力をいかに維持するかという点です。 国家の防衛力を維持するには膨大な金が必要であり、その金は経済活動によって担われているのであって、ただ国民が食べていければ十分という話ではありません。 国の文化も国土も棄てる気ならば、防衛力を維持する必要はないです。 つまり、海洋も国土も市場も食い荒らされ、価値のある土地も企業も全て買収されるつもりがあるならば、経済規模を縮小しても問題はない、ということです。
お礼
都市部での奪い合いは仕事の奪い合いです。どのみち最終的にはロボットに奪われるのでしょう。しかし国民が雇われなくなっても、企業は確実に利益を出して税を納めます。私が問題にしているのは、大多数の手の空いた国民がどうやって生きていくかということなんです。その大多数の人が国のお荷物になってしまったらそれこそ国を守れなくなりはしませんか?
こんにちは。 私も質問者様と同じ考えを持ったことがあります。 わかっている。ということなら申し訳ないですが、個人的な意見を。 まず、日本人が経済を捨てる。もしくは縮小するとした時の問題は何か?と私は考えました。 答えは 経済を縮小→外国と貿易できなくなる→いまの日本人の好む食べ物のほとんどが高騰、もしくは手に入らなくなる。 ということと、 農家を兼業といっても、農家は兼業するには難しく、また、天候により作物の取れ具合が変わるので、飢饉が起きる可能性がある。 また、農家になって、自給自足!とは言っても、住民税などの税金を払わなくてはならないので、困る。 といったことでした。 ですから、質問者様がおっしゃることをするならば、住民税などを自給自足してる人からはとらない。昔の節制した生活をする。 という難しい問題が出るのでなかなかできないのだと思います。 また、経済を縮小すると、海外にいいようにされることにもなります。 日本だけで自給自足をすると、今の、世界中の国は仲良く!という、色んな国が目指してることから外れることになり、助け合いが成り立たなくなるのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >いまの日本人の好む食べ物のほとんどが高騰、もしくは手に入らなくなる。 この辺りは受け入れるべき現実だと思います。 地産のもので満足するしかないときがこの先訪れるのではと。 >農家を兼業といっても、農家は兼業するには難しく、また、天候により作物の取れ具合が変わるので、飢饉が起きる可能性がある。 農業をなめてはいけないということですよね。 この辺りは緩やかな変化を求めるべきと考えます。 コスト面では共同農園でトラクターなどを共有する方法もあるでしょう。 少しづつでよいので食料を生産することに慣れる必要があると思っています。 >また、経済を縮小すると、海外にいいようにされることにもなります。 決して意図して縮小させるべきとは考えません。 産業のロボット化が進むと果ては人手が不要となるのです。 空いた手を自活に向けることを推奨すべきと考えています。 >今の、世界中の国は仲良く!という、色んな国が目指してることから外れることになり、助け合いが成り立たなくなるのです。 世界が目指さなければならないことの一つとしては環境問題の解決が有ります。この非恒久的な世界経済に流され続けることが世界平和に繋がるとは思えません。かといって逆らうのでもなく、他の手段も用意していきましょうという穏やかな政策があっても良いということを思うのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 非経済化という表現は過激かもしれませんが、 この先、大多数の国民はそうならざるを得ないでしょう。 産業のロボット化や人工知能の発達などによって人間の労働力が不要となってきていますよね。 この先この傾向は更に加速するでしょう。 しかし、企業は人を雇わなくなるだけで利益は確実に出します。よって国の経済力が弱まることはありません。 私は、仕事があるのにそれを辞めさせて自給自足を推進すべきとは言っていないのです。 むしろ心配なのは失業者の問題です。 都市部での限られたパイのというのは仕事のことですね。 そこで若者が不幸だと言ったのは、彼らが企業から必要とされていないと思うからです。 安い海外の労働者で十分足りているのでしょう。 故に非正規としての地位に甘んじなければならないのだと思います。 彼らが今のうちに多少は経済に頼らない生き方を選択できるようにしておかないと、 完全に仕事がなくなったときに彼らは国の足を引っ張ることになると思います。 兼業というのも自分が食べるだけのことですから問題になることがあるとは思えません。 繰り返しになりますが、なにも仕事があるのに食料を生産しろというのではありません。 そもそも市場に出さないのですから”生産”とも言わないかもしれません。 どのみち仕事がなくなるのだから、少しづつ自活できるようになっておこうということを言いたいのです。 >それで満足することが必要ですが、食っていけるか疑問 ですし、この情報化社会で、満足できるかも疑問です。 これは厳しいご指摘と思います。 仕事はこの先完全になくなる人も出てくると思います。 彼らが自給自足に成功したとしても、現金収入がないわけですよね。 所得は0なので所得税はかかりませんがその他の税の問題はどうしたらいいのかということになりますからね。 そして、金銭を使わないと味わえない娯楽や快楽から完全に遠ざけられてしまうことが問題になることは十分考えられることですね。そうなると、少ない仕事をなるべく均一に割り当てて、所得の均一化を図らなければならないなどということになるかと思います。しかしこれは成らざるを得ない事態です。私のスローガンを実行することで引き起こされることではないのです。 しかし、人間にとってなによりもその人を堕落させない刺激って何だと思われますか? それはお金を使って遊ぶことではありません。 なにより健全な刺激とは自らが食べるものを自らの手で得ることです。 この刺激は無条件に人を幸せにするのです。それによって堕落を招くこともありません。 都会の楽しみとはその場は楽しいかもしれませんが、その人の精神を確実に蝕むものです。 古代ローマのローマ市民権を持っている人たちが「パンとサーカス」の中で堕落していったことは事実だと思います。 一部誤解を招く表現をしてしまったかとは思うのですが、 以上の通り穏健な対応策を主張しているだけなのです。