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看病での仲違いについて
看病での仲違いってありますか? 母親が亡くなりました。入院中の看病のことで仲違いがあります。 私がほとんど看病をしていましたが、姉はあまりという感じです。 しかし、本人は、本人なりに頑張ったつもりで・・ 何もやっていないと見ている私からしたら、フンって感じです。 入院中の看病が問題で親が亡くなってから姉弟が仲違いすることはありますか? 私達に相続問題はありません。 私達兄弟だけが特別なような気がしてならないのですが・・・
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分かりますよ。 頑張ったのと また 違ったとこに 収まりつかない 気持ちがあるんだと 思います。 看病に 平等とか 対等とか ないですものね 無理してしてるのは 勿論 自分の気が納まらないのもあるけど 落ち着きない マイペースな人達みてると 腹がたってきますよね。 できるだけの事・自分らにできること しよう… 私も 何度も聞かされてます…(うちは まだ 健在です) 自分らにできる事以上に がんばろうよ? と 私は 無理します。 無理しないと 時間が空きます。 誰が埋める? できる人?…しようと思う人です。 貴方の気持ちが 分かります。 何を言いたいか。。 これは できる事範囲で やってる人には 分かりませんよ。 病気で寝ていても 病院から連絡あれば 行きます。 毎日 1時かけて 通い 体はボロボロ。 帰ったらご飯の支度に 夜中は主人のお弁当の時もあるし 送迎も。 できるだけ?なんて 看病には ないです。 自分も命削りながら 過ごし…愛情なのか 何なのか 分からなくなる 看病もありますよ。 頑張ったんですね。 私も 貴方のように 頑張って 最期を 看取るつもりでいます。 ゆっくり 休んで下さい。
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- mama4615
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看病は、恩返し、皆でやるものです。多少の無理は仕方がありません。 それは強制ですよ。 だから始めに言いましたよね? 兄妹であっても 当人同士の物があります って。 したくない経緯だって中にはあるでしょうし、出来ない、無理が出来ない それは当人しか分からない事です。 結局貴方の言っている事って綺麗ごとじゃない? 恩返し、皆でやるもの は それは 一理あっても 各ご家庭にはリズムもある、全ての状況が同じでは無いでしょうから。 みんな平等に看病出来る事が 1番良いのは分かってます。 だけど それは難しいですよ。。。。 母様が他界して 貴方は看病が精一杯出来た、母様はきっと貴方と過ごした時間がとてもくつろげたり安心だった時間だったと思います。 体力低下すれば いつも同じ人が接してくれていた方が 安心感があるでしょうから。 御兄妹の中よりも 私は 母様との時間を兄弟以上に持てた事が 幸せだと感じる事は出来ないでしょうか? 多少の無理は仕方ないと言うならば グチグチと フンなんて思わない方が良いと思いますけどね。 何よりも 母様が安らげた時間を貴方が作れた事には間違いないのですし。
お礼
そんなに頑なにならないほうがいいですよ。 どうも自分の意見が通らないと、なんとが論破しようとする所がありますね。 貴方は強い方で、妹さんはやさしい、そんな感じのような気がします。 そんな姉には、何を言っても仕方がないと思っているのではないですか? 案外、あなたは自己中に気付いていないのかもしれませんね。 質問を良く読んでください。議論をしたいとは言っていません。 もう貴方の押し付けは、見飽きました。お引取りください。
補足
旅行には支えてですが行きました、ホテルでは殆ど横になったままでしたが、でも空気も景色も違う、孫も違う感覚で接するしね。 もしかしたら 旅行に行かなければ12月まで生きたかも知れません、、、でも何処にも行かれない、何も出来ない、何もして貰えないよりマシなはずです。 入退院を繰り返し 最後の入院は10月下旬。 ギリギリまで家に居たと思います。 何をどれだけやっても後悔はあります。 私でもありますからね。。。 一泊にしないのは 行った感が無いからです。 車で1時間半程度の場所でしたが 二泊する事で 車移動が可能です。 ホテルにも協力してもらいました(部屋の位置)。 ホテルでは殆ど横になったままだということを考えると、貴方は無理強いしたんじゃないですか? 確かに、旅行に行かなければ12月まで生きたかもしれませんね。腹水が溜まった状態で旅行に行くことはダメージが大きすぎます。その状態で望まないでしょう。マシなはずは、貴方の考えでしょうね。 貴方は後悔すべきです。無理強いをしただけです。全部、貴方の思い込みでやったことでしょう。 妹さんは、適切でした。母親を見ています。あなたは、母親の状態を見ないで、愛情の押し売りをしたんです。
- mama4615
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度々すいません。 うちは 私は夫もいて 子供達もいます。 闘病生活になる以前から 母を引き取って生活してました。 妹は 転勤族の為 引き取る事も不可能、子供はいません。 病気が難しく、大学病院にて発覚しました。 大学病院には 一ヶ月程度の入院を強いられ(検査等で) 面会時間もあり 私は不可能だと言う事から 妹宅の近くの大学病院を選びました。 その後退院、これは 私達自宅の近く。 隣の県ではあるものの お互い生活リズムが異なりますので 行かれる、行かれない、洗濯物等の事では揉めました。 妹は 大学病院の時が主です。 私は 大学病院を退院してから です。 どうしても 不平不満は出ますよ~、家で一緒に住んでいるのと 2、3時間面会に行くのとは違いますからね。 妹にも不満はあった様です、、、余命宣告が家族に告知があり(当人は知りません)、入院中に 娘の七五三撮影をしました。 余命半年の宣告を受けた後の事です。 私だけの当時の気持ちはとても複雑でした、娘の七五三の撮影だけでも先にしたい、その写真を見せたい気持ち(母にとっては2番目孫ですし、以降孫は私の子だけですし)、娘に対してもしてあげたい気持ち、だけど一日病院には行かれなくなる。。。 結局 七五三撮影を優先させました、妹からしたら 大学病院入院中は 土日祝日は姉が来る のが約束でしたから 苛々もするでしょうしね、、、。 余命宣告を受けてすぐの事ですから まだ動けたし。 時間が経過する事で 母の体力は見る見るうちに落ちて、大学病院を出て3ヶ月後には 腹水になってます(8月頃) 亡くなったのは11月です。 旅行に行きたいと言う事も 妹は反対してました。 どう考えても腹水がある状態で二泊は無理だ。。。 って。 でも 本人が一番良く分かっているんです。。。母は生活上私に何度も <ママ(私の呼び名)、もぅ長くないんでしょ?> っていつも聞いてた。 その度に私が言えるのは <あのね、大学病院で○○病って言われたでしょ? ○○病で死んじゃう話は聞いた事ないよ、大学病院が誤診したらこれは大変な事なんだからね> って言い聞かせるのが精一杯でした。 死ぬ事は誰でも怖いはず、、、まして薬も治療方法も未だ無い病気だったので。 だから 告知はせずに どうにか当人のやりたい事、したい事、して欲しい事を出来る限りやっただけです。 旅行には支えてですが行きました、ホテルでは殆ど横になったままでしたが、でも空気も景色も違う、孫も違う感覚で接するしね。 もしかしたら 旅行に行かなければ12月まで生きたかも知れません、、、でも何処にも行かれない、何も出来ない、何もして貰えないよりマシなはずです。 入退院を繰り返し 最後の入院は10月下旬。 ギリギリまで家に居たと思います。 何をどれだけやっても後悔はあります。 私でもありますからね。。。 一泊にしないのは 行った感が無いからです。 車で1時間半程度の場所でしたが 二泊する事で 車移動が可能です。 ホテルにも協力してもらいました(部屋の位置)。 貴方が どれだけやろうが それは貴方の自由です。 姉様云々は別の話ですからね。 出来る人であり したい人、がやれば良い話じゃない? やるだけやった感は 当時 私はありました。 だけど もぅ何年も前ですが 今思えば もっと出来たんじゃないか、もっと別の言い回しが出来たんじゃないか って後悔はありますからね。 やらない人は 後悔しても良いからやりたくない って人も居ますし、兄妹でも 気にする必要無いと思いますけどね。 結局 七五三は 前撮りして良かったんです、、、母は長女の七五三、次女の三歳は一緒に出てます。 7歳だけが出られず、、前撮りは常にしていたので 違和感は無く 逆にしないほうが不自然でしたし。。。 写真とビデオを見せる事が出来た って事も 私にとっては一つなんです。 目指すは 母が って事で、、途中経過だけが異なっていたので、今は揉めてませんし、どちらかと言えば仲が良いかな。
お礼
ご苦労さん、良かったじゃないですか!! >>出来る人であり したい人、がやれば良い話じゃない? だから違いますね。 あなたの場合は、それが出来ただけのことです。 押し付けがましいですね。 議論するところではないですね。 あなたはあなた、わたしはわたし、主張することではないです。 看病は、恩返し、皆でやるものです。多少の無理は仕方がありません。
補足
変な言い方ですけど、あなたの自己満足ってことですね。 私は、母親を見ています。 母親を中心に考えて、二人でこれまでの恩返しをしましょうよという事です。
- mama4615
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はじめまして 二児の母です。 私自身も 実母を闘病の末亡くしてます。 看病での仲違いの件ですが 多少なりともあると思います。 それは仕方ない事ですよ、、、個々に生活がありますし、リズムも違う、そして最大は当人同士の関係もありますからね。 私にも妹がいます、妹は妹なりに看病したでしょうし、私は私なりにしたつもりです。 ちょっと貴方の考えって 押し付けに聞こえますよ。 姉様があまり看病しない それは個々に自由選択ですからね。 って思いません? どんな気持ちで 貴方が フンと思うのか分からないですが 相手を責める事では無いと思います。 自分が看病したいからしたんじゃないの? 自分が少しでも役に立ちたいとか、後悔したくないと思ったから看病したのだと思いますが。。。 ならば べつに フンとは感じないと思いますけどね。 <お姉ちゃん、、、看病の時間ってあまり作れてないけど 後悔とかしない? 大丈夫?> って会話にならないかな? うちも入退院を繰り返しました。 病室カレンダーに 誰が何時頃~何時迄来れるか、ノートを作り 伝言(洗濯や医師からの言葉等)を書いてました。 私が数日行かれない時には 妹が行き、申し送りをしてましたし。。 姉妹、兄弟と言っても 個々に状況も違うので そこを責める事は ちょっとズレているし、いいんじゃない? 姉様が頑張ったんだって言うなら、それで。 それが姉様の精一杯の線引きなんですから。
お礼
ありがとうございます。 >>看病での仲違いの件ですが 多少なりともあると思います。 ご回答者様もそういう中で仲違いもあったのでしょうか? どんな経験をされたのでしょうか?その辺を聞かせていただけないでしょうか?
補足
それは個々に自由選択ですからね。 って思いません? すみません、思いませんねぇ。 ちょっと貴方の考えって 押し付けに聞こえますよ。 良く理解できませんねぇ <お姉ちゃん、、、看病の時間ってあまり作れてないけど 後悔とかしない? 大丈夫?> って会話にならないかな? 案外、きつい会話てじゃないですか? それって。 病室カレンダーに 誰が何時頃~何時迄来れるか、ノートを作り 伝言(洗濯や医師からの言葉等)を書いてました。 私が数日行かれない時には 妹が行き、申し送りをしてましたし。。 いいコンビネーションでできていたじゃないですか? それでも仲違いがあると肯定するということは、心の中では満足していなかったのでしょうか?
- anatanomikata
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あなたの母親への看病は大変立派なものです。 多くの人は、自分の家族の面倒もあり、仕事もあって、なかなか 自分の思っていた通りの看病はできません。 その立派にやり遂げたあなたの真似は、私にもできないでしょう。 それを姉に求めるのは、ちょっと酷かなという感じですが・・・。 因みに、うちの場合、姉夫婦は一度も看病らしいことは一切しませんでした。 お母さんも、あなたの看病を誰よりも誇りにしていることでしょう。 それだけで充分では。 老婆心ながら、 No.3の「kurikuricyan 」さんへのあなたのお礼のコメントは、悲しいです。 そんな素晴らしい看病をやり遂げた方の言葉とは思えません。
お礼
>>お母さんも、あなたの看病を誰よりも誇りにしていることでしょう。 ありがとうございます。
補足
看病は、今まで育ててくれた親への最後の最後の恩返しなんです。 その恩返しをお前は出来ないのか?ってことです。
- kurikuricyan
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貴女は、何か 報いを求めて 看病されたのでしょうか? >何もやっていないと見ている私からしたら、フンって感じです。 こういう心持は、とても悲しいことだと思います。 泉下でお母さんが泣いておられますよ。 私なら、同じ姉妹でも、私の方が、母親に沢山看病してあげられた、、 良かった、、と思うと思います。 貴女は、お母さんとの思い出が、お姉さんより たくさん出来たはずです。 それだけでも、「もうけもの」じゃないでしょうか? まして、お母さんの、最期に 看病が出来た、、ということは、 娘として、とても幸せなことだと思いますが? 貴女がせっせと看病して、財産は姉がしっかり要求してくる、、、 というのなら、話はまた 別ですが。 お姉さんとお母さんの結びつきというか、縁は浅かったのだと思いますよ。 同じ、母親から生まれた姉妹でもお母さんとの縁は 貴女の方が深かったのだと思います。
お礼
回答者様は、母親の看病をした経験者なのでしょうか? テーマに基づいてお話をお願いします。
補足
:mama4615 妹は 大学病院の時が主です。 私は 大学病院を退院してから です。 大学病院の時が妹さんだということを考えると、8への補足の内容は間違っていないと思います。 あまりにも自己中心的な行動です。 治療中のことを分からない人に限ってそのような無謀なことをします。 あなたは、ベットで横になっている母親を見て心は痛みませんでしたか? 失敗だったなとか、思いませんでした。 正直、あなたが楽しみたかった。それを母親への旅行に摩り替えているんではないですか? 子供達も喜んでいたしとか・・・ 親との旅行を大義名分にして、羽目を外したかっただけですよ。
- anatanomikata
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うちでもあります。 でも、姉にも言い分があるようで、こちらが看病していたので、 「余計なことを言うと、かえって迷惑が掛かると思い黙っていた。」 とのことで。。。 本当は仲良く姉妹で協力し合って看病できればいいのでしょうが、 看病するには即決即断が必要で、その点全部任せてもらっていたので、 悔いの残らない看病ができました。 あの時こうしたら良かったとかは、言われたくないです。 看病すると、親への想いが強ければ強いほど、後悔します。 看病しなかった人は、その分後悔が少なくて済みます。 私は、親を看病できて幸せでした。 この手で看病できたことを、子どもとしてうれしく思います。 姉には、姉の想いもあるでしょうが、私も最善を尽くして看病させてもらった。 当然、姉の配慮があってのこと、悔いのない看病ができたと感謝しています。 姉に対して、「フンっ」っていうのは、ちょっと・・・。 それだと、看病を強制させられたようで、折角の看病が悲しい。 子どもの義務として当然看病させてもらい、その看病を自分ができたこと、 やり遂げた事実は素晴らしいことです。
お礼
ありがとうございます。 >看病すると、親への想いが強ければ強いほど、後悔します。 >看病しなかった人は、その分後悔が少なくて済みます。 後悔はないですね。 二行目はなんとなくわかるような気がします。 >看病を強制させられたようで、折角の看病が悲しい。 その意味のフンではありません。 もう少し、姉が寄り添ってくれれば もっと母親も幸せだっただろうにの感情から、よく言うよというフンです。 ただ精神面での分担をして欲しかったというのは正直なところです。 毎日回診で先生の話を一人で受け止めなければならない精神的なものは、肉体的な疲労よりも 大きかったです。 わたしは、後悔をしない看病をしようと思っていたので、自分ばっかりという面での憤りはありません。 とても母親への看病は、充実していました。
補足
一例をお話しすると、姉ら家族はお昼近くに病院へ着き、姉は1200から食事の介助をします。 午後1時過ぎには途中で食事をして実家へ移動、3時か4時頃までゴロゴロして、その後病院へ寄って帰るそんな感じでした。 震災後からは、休みが平日になったので、やはり11時頃に病院へ着いて 母親が行っているリハビリ室に行ってリハビリの様子を見て母親と一緒に病室へ戻ってきて、ちょっとしてその後1200から食事の介助。 姉の旦那が1230か1240頃に姉のところに食事に行こうと姉を誘いに来ます。 わたしは、旦那に気を遣い二人に食事へ行ってもらって、その後、私が母親へ食事を食べさせていました。 食後に姉夫婦は実家へ行って、いつものとおりに3時か4時までゴロゴロ、その後病院へ寄って帰る。そういうパターンでした。いつもそうでした。 姉の旦那は、病室に来ても母親に声を掛けようともせず、傍らにあるいすに座って読書。 座っているのが飽きると休憩所に移動し、暇つぶし、1230頃になると食事へ行こうと言わんばかりに病室へ入って来る。 そんな感じでした。 これを見ていて、姉ら家族は情けなくて、情けなくて・・・ こんな義兄も珍しいですよね。
あると思いますよ。うちもありました。 当時の家族構成 義母(闘病の末死亡)、義父(マイペース)、義兄一家(夫の兄夫婦と小学生の娘)、私たち夫婦(夫婦のみ) ・義父は義母がいなくても自分のことは自分でやれますが、それどまり。どちらかというと趣味の畑の世話の方が熱心で、お見舞いも週に1回くらい。存在感なし。 ・義兄一家は普段から義実家と交流もあり、お見舞いは週に1~2回程度(義兄が行かない時もあり)だが一時退院とか外出になると義兄宅に。義母も何かあると義兄一家に頼む。孫がかわいいので会いたがる。 ・我が家は嫁姑問題もありあまり交流なし。しかし病床にいるなら話は別。毎週お見舞に行き、洗濯したり必要な物や欲しがるものを買いに行き(真冬にブドウとか…)、しかし一時退院などは預からず。(お互い気づまりだから) うちとしては次男夫婦としてできることはやったつもりでした。しかし義兄はフンッ!と思っていたそうです。どれだけ自分たちが時間を割いたか、どれだけ頼りにされてあれこれ心を砕いたか、体の聞かない義母を自分の家に迎え入れて世話をするのがどれだけ大変だったかを語られました。 事実、毎週とはいえお見舞に数時間行くよりも自宅で半病人を何日も世話する方が大変でしょうから黙っていましたが、お互いに看病が負担で、心がすり減っていたんだと思います。 病人と一緒の時間を過ごす方が一番のストレスでしょうから、私たちが義兄たちの何倍もお見舞金を出していたのも、残業が多い共働きの休みを毎週病院に通っていたのも(あちらは定時退社と専業主婦)、これまた黙っていました。 質問者さんと違うのは、存命中が一番仲違いしていて、亡くなった後しばらくしてからこちらから「色々お疲れさまでした」の意味をこめて贈り物をした事で普通程度まで関係修復した事でしょうか。 しかし、私は案じています。まだ義父がいるからです。きっと同じような状況が繰り返されるような気がします。それでもやはりたくさんの時間を過ごさざるを得ない(時間の都合がつく方が負担が大きい)義兄が不満を口にするでしょうが、どう頑張っても同じだけ看病できない私たち(数百キロ離れて暮らしています)はそれを聞くだけにして反論しないと思います。したって心のすり減った人には言い訳にしか聞こえないでしょうから。
お礼
ありがとうございます。 責められた方の意見ですね。 結構、頑張られましたね。 見舞金で背比べをする・・・ ちょっと考えますね。
お礼
ありがとうございます。 なんかしっくりきますね。 代弁してもらっているようです。 原発が爆発して、放射能が飛んでいる中を自転車で往復、一生懸命頑張りました。 周りは避難していて、ゴーストタウンでした。 内部被爆なんて気にしていませんでした。
補足
入院中に肉離れを起こし全治1ヶ月、ぎっくり腰×二回、風邪は2週間引きっぱなし、 肉離れをしてもテーピングをし、ぎっくり腰をしてもコルセットをして、その日から車を運転して 満身創痍で行きました。風邪を引いたときには、ドクターストップ、いとこを車に乗せてわたしは駐車場、いとこがご飯の介助、洗濯物を持って行き、自宅で洗濯、その繰り返しでした。 入院して以来、約9ヶ月間、布団に寝たことはありませんでした。 私自身、後悔はありません。しかし、姉が来ないでいつも私が看病をしている、姉がなかなか来ない、来てもそのとおりの看病の姿をどう見ていたのかなぁ、どう思って亡くなっていったのかなぁと思うと、母親が姉達に尽くしたのは無償の愛だったけど、姉にはなにも通じなかったんだなぁとおもうととてもかわいそうで・・・そのおもいですね。振り返ってもそこの辺を考えるといたたまれません。 看病って、だれがやった、だれがやらなかったじゃなくて、どんな思いで母親は、亡くなっていったんだろうという所だと思います。