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障害者やその保護者から理解を求められた方に質問です

TVなどで、わかってほしい、理解してほしいと障害者やその保護者、団体の人とかが訴えてますが、何をどう理解すればよかったのでしょう? 1、理解を求められた時どういう状況だったか? 2、障害者の何について、どう説明されたか? 3、その説明に対するあなたの見解は? 4、どう回答したか? 5、相手は納得したか? 受け入れを求められた普通学級の先生とか、サポート求められた通りすがりの一般人の立場になって考えると、どんなに説明されたり思想信条を語られてもそう簡単に受け入れやサポートができない点は変わらないと思うのですが…。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ucok
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回答No.2

レスポンスを拝見しました。 まず、私の考えでは、サポートを求められても断る権利はあると思っています。そして、“理解”という点において言えば、サポートを求めた人の身になって、断る理由を、できるだけ相手を傷つけないように一言添えるといいと思っています。 例えば、駅でサポートを求められた時、私はかなり酔っていました。現に、付き添いながら、内心、『この盲人は目が見えない分、私の酒臭さを嗅ぎつけて不安にならないだろうか』と気にして、できるだけしゃべらないようにしながら付き添いました。 あの時など、私は「すみません、今、かなりお酒が入ってしまっているので、駅員に頼んでいただけないでしょうか」と断ってもよかったと思っています。そうすれば、頼んだ人も選択肢を与えられますので困らないでしょうし、私を責める理由もありません。 “理解”というのは、そういうことだと私は思っています。つまり、メディアや経験者から得る知識をもとに、日頃からそういうことを想定して、「こういう場合は、こうすればいいのだな」と考えておくのが、障害者に対する理解なのだと思います。 もちろん、障害者に限りません。例えば、迷惑行為をしている人を注意する場合もそうです。相手にとって否定的な提案をする場合には、代替案を用意してあげると、何かとスムーズに行くものです。 >幼少期に近所の知恵おくれの子の遊び相手を強要されました。 >友人との先約など無視。 >私の大事なものはことごとく破壊され補償には応じてもらえないどころか 私は、遊び相手を強要した側に「障害者に対する理解」がなかったと思いますね。障害者は優先すべき存在でもなければ、同情して良い顔をすべき相手でもないはずです。対等に付き合うことを目指すべきであり、対等であるからには、その障害者を「人」として嫌いになったらそれもそれだと思います。 ただし、その障害者の「障害」は理解するよう務めていきたいものです。例えば、「強要」される前に、その知恵おくれの子について「こういうところが不便だけれど、こんな楽しいところがあるよ」と魅力などを語ってもらうことで、遊びに対して質問者さんが前向きになれるようになっていれば、遊びも、よりスムーズに行ったのではないかと思います。また、大事なものを破壊された時に、一言、謝罪の言葉や補償の品が、当人から無理なら、その保護者やあなたの保護者からあれば、質問者さんの気持ちはだいぶ違ったのではないかと想像できます。 >遊び方を丁寧に教えてやらないことを責められる。 本当にお気の毒です。責めるのではなく「こんなふうに説明すると、より良く遊べるよ」という前向きな指導があればよかったのではないかと想像します。 >文句言ったら食事抜き、 質問者さんにとっては逆効果だったろうと私は思いますね。ちなみに、障害者の話ではありませんが、私の子供は、とある人を「ママ、怒らない? あの人、汚いから、もう会いたくない」と言ったことがあります。その人はたまたま有色人種でした。しかし、子供はその人の人種を差別しているのではなく、その人の顔にあるシミのことを言っているのだとわかったので私は「わかった。でも、あれはシミであって、汚いものではないし、あの人はいつも清潔に気を配っているのを知っておいてね」と言って、今後会わないのを許しました。 >メディアでは障害者に好意的な人=善人、障害者の要求を断ったり迷惑という訴えを取り下げない人=悪人という描き方です。 多くはそうですね。おかしなことだと私は思います。ですが、ノンフィクション本『五体不満足』などは、あまりそうとは思いませんでしたし、先日、新聞で連載していたアスペルガーのノンフィクション特集でも、アスペルガーの子が親友と仲たがいした経緯を、親友が「謝ってくれなかったから」としているのを否定的にはとらえていませんでした。 >ucokさんは視覚障害者の誘導を頼まれたそうですが、私だったら断ります。 >(略) >あくまでも相手の安全のために断ります。 >しかし、こういった考えが尊重してもらえるのか? 私は尊重すべきだと思いますが、いろいろな人がいますからね。ただ、本当にそれが理由なら、断る際に「安全を保証できないので他者に頼んで。しかし後学のために、その他者が付き添う様子を見ながら駅までご一緒する」というような断り方をすれば、より尊重されやすいと思います。でなければ、無難に「ごめんなさい、急ぐので」と言って断ればいいと思います。 さて、おそらく質問者さんがお知りになりたいのは以下のような事例ではないかと思います。初めに再度申しておきますと、健常者と同様に、障害者にも善人とそうでない人がいるわけで、これは残念ながら後者の例です。私の友人が、見知らぬ異性の障害者に介助を求められた結果、不快な事態に及んだことがあります。これに関して私は障害者団体に電話で問い合わせて、今後、そういうケースに遭遇したらどうしたらいいものなのかと聞きました。電話に出た人が言うには、「やはり中には障害を利用して良からぬことを企む人もいる。できないと思ったら、障害者がどんなに煽ろうと、堂々と他者の手助けを呼ぶ勇気も必要」とのことでした。 >以前にもこういった質問をしています。 ざっとしか拝読していないので見当違いだったら申し訳ないのですが、やはり長く障害者と付き合うと契約するならば、対応方法をきちと理解し、また、トラブルが発生した場合に相談できる相手を確保しておくべきだと思います。 ただ、それができそうにないからといって最初から断る人が多いと、本当にやる気や可能性のある障害者が、不必要に不遇な目に遭うわけで、そうなると長い目で見ると、障害者やその関係者が追い詰められて、病気や自殺や犯罪にもつながりかねません。だからこそ、できるだけ“理解”して“受け入れて”と呼びかけているのだと思います。 まとめます。障害者に限らず、理解して受け入れるというのは、安請け合いとは違います。かといって、やみくもに断るべきものでもないと思います。まずは理解する努力、つまり知識や相談相手を確保する努力をし、そのうえで、自分にできることを探り、できない点については代替案を探る、そうした*努力を惜しまないこと*が、よりよい社会に繋がるのだと思います。ちなみに、すべての人にその努力をしなさいとは言いませんが、その努力をしないと、障害者との良い出会いに恵まれるチャンスも遠のくのは事実です。

05051036
質問者

お礼

>相手にとって否定的な提案をする場合には、代替案を用意してあげると、何かとスムーズに行くものです。 確かに、これは障害者に限らずどんな局面でも言えることですね。 教えていただいた断り方、とても参考になります。 子供にそれを求めるのは酷ですが(苦笑 リンク貼った番組で語られた障害者や団体の人たちの主張を見ると、そういう方法でも納得してもらえるか不安が残りますが、 >障害者がどんなに煽ろうと、堂々と他者の手助けを呼ぶ勇気も必要 団体、障害者サイドの人からもそういう意見が出たのであれば、障害者や団体への警戒は杞憂と考えてよさそうですね。 あの番組に出ていたのは氷山の一角などではなく全体の一部であり、番組自体が何かの間違いだったのだと考え、障害者や団体への警戒は緩め、接する機会があった時は自然体で接しようと思います。 偏見や警戒をやわらげていただきありがとうございました。

05051036
質問者

補足

更なる回答ありがとうございます。 >“理解”というのは、そういうことだと私は思っています つまり、あくまでも障害の特性や対処法について知識をもつ、ということですね。 その上での見解(予想されうる事故のリスクが大きすぎるから受け入れられないといったもの)が障害者側の求めるものと違っていたとしても、それは理解が無いわけではない、ということで宜しいでしょうか? >対等に付き合うことを目指すべきであり、対等であるからには、その障害者を「人」として嫌いになったらそれもそれだと思います。 そうなんですよね。 対等な関係を築くには、それ相応の自立が必要になってくると思います。 しかし、そのためには世話する側とされる側の図式がら抜け出さないと難しいでしょう。 親は関係としては友達になることを望みましたが、実質的には世話係でした。 それに脳に障害がある場合、してはいけないことも障害のせいで仕方ないとして片付けられ、ますますこじれていくことになる。 障害のせいにして仕方のないことと片付けることも理解が無いといえますね。 >魅力などを語ってもらうことで 一応そういうのはあったのですが、嫌な思いをした後なので反発にしか繋がらなかったですね。 笑顔が可愛いだろうとか言われましたが、私を困らせたことで喜んでるとしか思えなかったし、親は被害に遭わない立場だから言える綺麗事だとしか思えませんでした。 事前に語られたとしても…嫌な思いをしたらやはり反発になってたかも。 >一言、謝罪の言葉や補償の品が、当人から無理なら、その保護者やあなたの保護者からあれば そう思います。 それがなく、障害なんだから仕方ないの一点張り。 これでよい感情を抱けるわけがありません。 >こんなふうに説明すると、より良く遊べるよ 遊び方といっても、それは私のプラモデルやゲーム機といった壊れ物の扱い方であり、親はそれらに疎かったのでそれも無理だったと思います。 説明の仕方を工夫するにしても、その手間自体が嫌な思いに繋がった可能性もあります。 それに「障害児が癇癪起こす=意地悪した」という固定観念があったみたいなので、ただひたすら丁寧に優しくやれの一点張り。 でも、説明自体があの子にとって苦痛だったんだと今では思います。 私が持つそれらを見て直感的にやりたいと思ったこと、それが全てであり、壊れてしまうことや持ち主にとっての正しい扱い方など関係なかったのでしょう。 もっとも、そういう子とのお付き合いはやはり勘弁ねがいたいですが。 >質問者さんにとっては逆効果だったろうと私は思いますね。 自分でもそう思います。 イジメの対処と同じで、なぜそういう行動に駆り立てられたかを考えず一方的に受け入れや容認を迫り、いうことをきかせるために権力を振りかざすのでは反発にしかなりません。 これは障害者雇用のノルマとペナルティーでも言えることですね。 >今後会わないのを許しました。 説明はしたうえで、嫌という気持ちを抱くことを責めはせず、どうしても、というものは許してあげたのですね。 凄いことだと思います。 お子さんはその後、その人についての見解は変わったのでしょうか? >おそらく質問者さんがお知りになりたいのは以下のような事例ではないか そうです。 トラブルになってしまったときのことを危惧していたものですから。 >やはり長く障害者と付き合うと契約するならば、 まとめの部分も含めて、同意です。 提示された【努力】も必要だとわかります。 ただ、断った人もその【努力】はしていた、ということは認めてほしかった。 例え実らなかったとしても。 メディアで悪者扱いされてる人たちだってそうだと思うんです。 断る側も、理解してもらう努力は必要ですね。

その他の回答 (3)

  • ucok
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回答No.4

「知的障害者と対等に遊ぶこと(略)もちろんできるのです」という私の表現にはちょっと語弊があったかもしれませんね。私が言いたかったのは、「100%可なわけでもないのと同様に、100%負なわけでもない」ということだけです。 何にせよ、古い人は、障害者をかわいそうで同情すべき、あるいはこちらが譲歩すべき対象であると捉えがちで、実際それを信じて公言する人が50代半ばくらいの人でも少くありませんが、そういう考え方はむしろ、障害者に対しても失礼であろうと思っています。

05051036
質問者

お礼

私も、今では一応大人なんで、もし障害者と接してトラブルになったとしても何とか双方の折り合いをつけていく方法を考えていこうと思います。 そのためのヒントを色々と教えていただきありがとうございました。

05051036
質問者

補足

>「100%可なわけでもないのと同様に、100%負なわけでもない」ということだけです。 ucokさん自身はそういう考えだとわかります。障害児を嫌う立場にも理解を示して頂けましたから。 ただ、負の面を扱わなかったりオブラートに包んだ表現にしてしまうメディアを通してしか障害児を知らなかったり、身辺自立ができてなかったり他害行動があったとしてもそういうものだと思考停止してしまってる人は >「知的障害者と対等に遊ぶこと(略)もちろんできるのです」 これを言葉通りに受け止めてしまうのではないかって危惧してしまうんです。

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.3

レスポンスを拝見しました。 >>“理解”というのは、そういうことだと私は思っています > >つまり、あくまでも障害の特性や対処法について知識をもつ、ということですね。 その上での見解(予想されうる事故のリスクが大きすぎるから受け入れられないといったもの)が障害者側の求めるものと違っていたとしても、それは理解が無いわけではない、ということで宜しいでしょうか? それだけで理解が無いとは言い切れないが「理解したうえで断っているのだ」という*伝え方*をするのは大切だ、と思いますよね。特に代替案の提供はキーになると思います。 その他に関しては、#2の補足欄に書いていただいた通りだと、私の乏しい知識では解釈しますね。実際、自分の経験から言っても、知的障害者と対等に遊ぶことはじゅうぶんに可能なのです。それに、私は障害者団体が経営する飲食店などに(美味しいという理由で)好んで行きますが、彼らはサービスを提供することだって、もちろんできるのです。 質問者さんが遊んだお子さんだって、必ずしも障害だけがその時の問題だったのではなく、小さい子なら誰もがそうであるように、慣れない相手と遊ばされて不安を感じたがゆえに物を壊したりした可能性だってあると思います。それが健常児なら、慣れるまで大人の仲介を受けたり、謝罪すべき点に関して大人のフォローがあるのが当たり前ですが、障害を理由にそれが省かれてしまうと、ご指摘のように障害児自身も不幸だと思いますね。 とはいえ、質問者さんの親御さんも親御さんで大変だったのだろうと、子を持つ親としてはお察しします。大人だって万能ではありません。遊ばせてはみたものの、思うようにいかなかったジレンマがおありになったでしょうし、のちには心の中で反省なさったのではないかという気もします。何年か前までは、「他人の子を立てて、身内は卑下する」という傾向も強かったですし、「我が子の気持ちに寄り添うことが、他人の子にも功を奏する」という考え方も希薄でした。今も、トラブルに遭遇することなく来た人にとっては、そういう概念に触れる機会がないかもしれません。 >お子さんはその後、その人についての見解は変わったのでしょうか? どうでしょうか、その人についてはあまり突っ込んだ話はしていないのでわかりませんが、ひとつ誇れるのは、間もなく成人するこの我が子には、人種偏見というものがほぼ皆無です。いわゆる肌の色が違う親密な友達は昔から複数いますし、かといって外国人だからと特別に優しくすることもありませんし、もちろん、有色人種でカッコいいと思える人は何人もいるようです。でも、そんな子にもさまざまな偏見はありますし、その一部に関しては私が子供に甘えて、こちらの我を通してしまったからだとも思っています。ゆっくりと変わっていってもらえればいいと願っているのですが。

05051036
質問者

お礼

お子さんのその後の話にも回答いただきありがとうございました。 参考になりました。

05051036
質問者

補足

>知的障害者と対等に遊ぶこと(略)もちろんできるのです。 障害者の保護者、支援者がよくそういった発言をしますが、その知的障害者は身辺自立もそこそこできていて他害行動も無く、万一トラブルが起きたとしても被害者に適切なフォローがなされていたのだと思います。 なのにその要素をスルーして、ただ「知的障害者でも~」と語ることで、成功例が独り歩きするのではないでしょうか? 私があの原体験を語った時、心が狭い、冷たいと非難されたことが何度かあります。 しかし掘り下げて話を聞くと、その人たちが思い浮かべる知的障害者はまさにucokさんが語ったような成功例であり、私はその成功例の障害児を疎んじていたかのように錯覚していたようです。 そもそも私の親も障害児の親も、そういった成功例を妄信した結果、ああいった展開になったのではと思います。 「知的障害者と対等に遊ぶことはじゅうぶんに可能なのです」 という発言が、 「他害行動があり身辺自立が不十分な知的障害者とも対等に遊ぶことはじゅうぶんに可能なのです」 という解釈になってしまい、疎んじる者を非難してしまうのかもしれません。 例えるなら、暴走族の爆音で迷惑したと語った時、普通に交通法規を遵守してるライダーに目くじら立ててるように錯覚されるようなものです。 普通のライダーに対する暴走族のような位置づけの障害者をメディアが公正に扱わない以上、こういった2次被害は決して少なくはないと思います。 >質問者さんの親御さんも親御さんで大変だったのだろうと 今では私もそう思います。 健常児でも起こりうる諸問題に加え、障害者に関する負の面をきちんと扱わないメディアの主張が、双方の親の混乱を招いてあのような展開になってしまったのではないか? 今ではそう思います。

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.1

このアンケート、なにげに気になっているのですが、「サポート求められた通りすがりの一般人の立場になって考えると」とお書きになっているからには、例えば、盲人に駅まで付き添ったとか、車いすを押したとか、そういうのも含まれるのでしょうか。だとしたら、何度か経験はあります。 1、駅を歩いていたところ、健常者から「この盲人を何々線の改札まで連れて行ってあげてくれますか?」と聞かれて応じた。その健常者は、その地点から、別の方向に行く必要があったようだ。 イベントに参加したところ、知人でもある主催者に「お帰りになるなら、(盲人である)Aさんに、ここの最寄り駅まで付き添ってもらえますか?」と頼まれた(ちなみに、付き添い方が下手で、途中でAさんを障害物にたくさんぶつけてしまった)。 イベントに参加していた車いすの人に「車いすの取っ手に引っかけた自分の荷物から何々を取って」と言われて応じた。 海外で宿泊した宿主に外食に誘われたが、その人が車いす生活なので、言われるままに車椅子を押したり、厨房に頼みごとをしに行ったりした。などなど。 その他、サポートではありませんが、障害者と遊んだり、障害者のサービスを受けたりしたことはあります。 2、障害について特別な説明を当事者から受けた記憶はありませんが、テレビや専門家や経験者の話などから、だいたいのことは知っているつもりです(とはいえAさんのような失敗例もありますが)。一度だけ、よく遊ぶ親子から、お子さんの障害の特徴を教えていただいたことはあり、注意すべき点(反応が遅い、など)がわかったので助かりました。 3、見解としては、なるほどな、という感じです。理解しにくい説明は今のところ、特にありませんし、べつに彼らは聖人君子でもなければ、甘やかすべき存在でもないと思います。理解やサポートを求められれば、できる範囲内で応じるだけです。 4、「ああ、そうなの」「あら、あぶなかったわね」「なら、よかったわね」など、普通の相槌を打ちました。 5、もちろん相手は納得しました。 何か補足していただければ、より的確なアドバイスができるかもしれません。

05051036
質問者

補足

アドバイスというか、不安を払拭したくて色々と質問してきました。 障害者の要望を断った時どうなるのか? 差別したとして責められるんじゃないか? というものです。 以前にもこういった質問をしています。 障害者を雇用できない企業の言い分は? http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6754647.html そもそも「障害に対する理解」って何ですか? http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6715506.html 私も、障害者と遊んだ経験はある…というより、幼少期に近所の知恵おくれの子の遊び相手を強要されました。 友人との先約など無視。 私の大事なものはことごとく破壊され補償には応じてもらえないどころか、許さないこと、遊び方を丁寧に教えてやらないことを責められる。 (養護学校の先生じゃないから無理だし、頑張って説明しようとすると癇癪起こした) 食事を一緒にした時、食べ方が汚いため吐き気を催したが、それも当てつけと解釈される。 文句言ったら食事抜き、ゲームなどの没収という折檻が待ち構えていた。 といった原体験があるんです。(折檻に耐えかね、我慢する道を選んでしまいました。3と4で分けたのはそのためです) こんなのは稀なケースだと思いたいのですが、フィクション、ノンフィクション問わず、メディアでは障害者に好意的な人=善人、障害者の要求を断ったり迷惑という訴えを取り下げない人=悪人という描き方です。 幼少期の私のように障害児に被害を受け腹を立てる子のエピソードもありますが、許せない子がいてもおかしくないような甚大な被害でも許してしまう展開です。 ucokさんは視覚障害者の誘導を頼まれたそうですが、私だったら断ります。 >途中でAさんを障害物にたくさんぶつけてしまった こういう問題を回避できないからです。 決して面倒とか差別とかではなく、あくまでも相手の安全のために断ります。 しかし、こういった考えが尊重してもらえるのか? 差別だと受け取られ、この一件が尾ひれはひれついて独り歩きして人間関係がめちゃくちゃになってしまうのではないかと不安です。 別件でこんな質問もしています。 どうしても、この障害者と団体の考えがわかりません http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7046870.html そちらでリンク貼ったNHKの番組では、私なら絶対断るような、協力者の都合どころか身の安全すら無視した無茶な要求をする障害者が登場し、その障害者を肯定的に扱っていました。 この要求が団体の演ずる劇、そしてNHKの番組という形になるまでにどれほどの人が関わってきたかを考えると、支援者の都合は軽視し要求断る側を悪人と見なす人間が多数であるか相当に強い発言力を持ってると思われます。 こういった問題を考えるため、理解を求められた側、それもできれば、無茶な要求を迫られた当事者の事例を知りたくて質問しました。

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