既にご存じかもしれませんが・・・、
清代の後宮制度は
1.「皇后」
2.「皇貴妃」
3.「貴妃」(2名)
4.「妃」(4名)
5.「嬪」(6名)
6.「貴人」(定数なし)
7.「答応」(定数なし)
8.「常在」(定数なし)
9.官女
(2~4は「貴級妃嬪」、5・6は「中級妃嬪」、7.8は「下級妃嬪」になります)
となっています
「秀女」の選抜方法ですが、清代では「秀女」は3年毎に選ばれます。
(これを「選秀女」と言います)
八旗ごとに名簿に記載された妙齢の女性たちに対して、宮中で
「初選」(主に器量や姿態による一次選抜)
「複選」(器量と手芸による二次選抜)
が行われて、見事に合格すると、下級妃嬪(貴人・答応・常在)として宮中に採用されました。
これとは別に、五旗の満族女性を対象に内務府による秀女選抜も毎年行われ、合格者は「宮女」(妃嬪に仕える女性)として宮中に入りました。
「宮女」や「秀女」は、どちらも宮廷内の女官になるのですが、格が違います。
仮に、もし皇帝の「お手」がついた場合、どちらも妃嬪(側室)として扱われますが、宮女は「常在」からスタートするのに対して、秀女はいきなり中級妃嬪である「貴人」となります
また宮女は「25歳」までに皇帝のお手がつかなければ、実家に帰れます。
しかし、秀女は生涯を宮廷で過ごさなければなりません。
皇后を選ぶ時は、しかるべき家柄の娘を数人候補として選びますが、皇后になれなかった者は貴級妃嬪の「妃」以上として遇されます。
(ちなみに「皇貴妃」とは、皇后がなくなった場合に皇后となるべく選ばれた人です)
一例として、「西大后」は、「秀女」として宮廷に入って3年で「貴人」から「嬪」になったようなので、かなり早期に「咸豊帝」の目にとまったのでしょうね。
その後、1856年に息子「戴惇」(さいじゅん)を生んで「妃」となり、翌年には「貴妃」になっています。
(この時点では「西大后」は、もちろん「西大后」と呼ばれてはいませんでしたが、分かりづらいので便宜上この様に表記しました)
お礼
回答ありがとうございます。 品位は知っていましたが、宮女と秀女の違いは知りませんでした。 選抜方法まで教えてくださり本当に助かりました。