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政治がお金をつくって配ればよい
よくお金をつくって配ればよいと言うとやれインフレになる、海外で実際に起きたと実例を挙げてくる人間がいますが、今の米余りの日本で100億持ってる健康且つ健全な人間(極論)がさらに儲けようと悪巧みをして米の値段を何倍にもしようとするわけがないじゃないですか。働かなくなる(贅沢になる)っていうならばまだわからなくもないけど。(理系卒の数学好き農家)(もちろん日本だけが良くなればいいということではない) しかもこの大地震を体験して、新たな策としてお金を配りますよ(借金でなく、零からつくる)と公に発表して、それにもかかわらず私利私欲で儲けようと商品の値段をあげようとする人なんて笑い抜きで絶対いないでしょ。 質問になってないかもしれないので、自然科学は人生そのものだと思っているのですが、理科離れの今やっぱりあなたも自然科学は素晴らしいと思いますよね?
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- covanonki
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確かに、コメが年間必要量の倍くらいあって、それが全て一般国民の手元にまで行き届いてい れば、そんな市場でいくらお金を配ったところで、何時まで待ってもコメの値段があがるわけ がありませんよね。(ちょっと極端な例ですが) 今の日本ってそんな状態。だから「デフレ」がこれほどまでに騒がれてるんですよね。 ただ、univerphysicsさんの言う、 >しかもこの大地震を体験して、<中略>それにもかかわらず私利私欲で儲けようと商品の値 >段をあげようとする人なんて笑い抜きで絶対いないでしょ。 っていう考え方はちょっと違うと思います。日本の市場をコントロールしようとしているの は日本人ではなく、外国人です。日本人であれば、きっとあなたのように考える人の方が 多いでしょうが、欧米の投資家たちはちょっと違います。一つの投資会社が一つの国家の 国家予算並みのお金を持っているような、そんな連中ですから。 大地震を経験して、新たな策としてお金を配れば、そのお金を狙って、彼らが日本の投資 市場に参入します。だから今これほどの超円高になってるんですよ。 政治がお金を作る=政府紙幣のことでしょうか。 わざわざ政府紙幣を発行せずとも、日銀が発行する日銀券で十分な気がするのですが・・・。 それと、どうせ政府紙幣をする、っていう発想をするのなら、政府紙幣ではなく、たとえば 故小渕元総理が行った地域振興券のように、「日本人」しか利用することができず、なおか つ一定期間に使い切ってしまわなければ価値がなくなってしまうような、そんな通貨を発行 する、という発想の方が、よほど市場に貢献するのではないでしょうか。 本来であれば、日銀券を市場に供給しようとすれば、必ず国債のような媒体が必要となりま す。 政府が国債を発行し、これを金融機関が買い取るという行為は、金融機関の中で滞留したま ま動こうとしない現金通貨を国が回収し、政策と共に市場に供給することで、(その中に univerphysicsさんがおっしゃるような自然科学=農業が存在することは十分に考えられる 事だと思います。)市場を活性化するという意味合いがあります。 また、さらに日銀券には利息が付きませんから、国債を市場に投入することは、利息分金融 機関の資産の総額を増大させる役目もあるのです。 ですから、政府紙幣の発行とか、復興債の直接買い取りと言った発想をするのは、同時に市 場の希望を縮小させる意味合いが多分に含まれています。(どちらも途中に市場をかませま せんからね)
- wiz0009
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小学生レベルのゆとりを久しぶりに見た気がするw 給料20万円のうち5万円を食費に使ってた人間がいるとして、 100万円配って毎月120万円になったらそいつの食費は5万円のままだと思うか? 金があるんだからより良い物を食おうとするよな。 でも世の中の全員がそう思うから良い物から順に足りなくなっていくわけよ。 つまり値段が据え置きだったら底辺の食べ物だけ余って他は売り切れ。 余ってるコメはたいして値上がりしないが、 そのかわり唐揚げの値段が20倍になったりするってこと。 もし値上げしなかったら常に売り切れで「コメしか食えない」みたいな状況になるぜ? 金があるならあれもこれも買って、余ったら捨てればいいって思考になるからな。
補足
僕は農業を仕事でやっていますが、やはりボランティア精神や質素倹約を大切にしているし、周りの農家の方々皆さんも尊敬しています。(言葉では語れません) 鳥肉はつくったことはありません。乳牛も僕は飼育していません。 小学生の頃に給食で食べ物を大切にしようと教わったけれど、米や野菜をつくっていると本当の貧しさとは何かと考えてしまいます。自然科学をやってる人ならば皆思うことです。自給自足や物物交換はある意味誇りのようなものであり、当たり前のことなのではないでしょうか。 悩んでない農家の方を今まで見たことがありません。