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日本の文化や歴史、好きなものは何がありますか?

アーティスト感覚でもよろしいですから、ふっと浮かぶものを一言頂きたく思います。  昨今、「ダメな日本」という言葉をよく聞くので、悪いところは学んで直していくべきですけれど、大事なことまでだめになりそうで、危機感を感じています。  私は日本人に生まれてとても嬉しく思っておりますので、他の皆様のご意見を集めたいと思います。  ポジティブな日本を見つめる上でも、学んでいる人に教える上でも、参考にさせて頂きたく思っております。  よろしくお願いいたします。

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  • hekiyu
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回答No.2

日本の大衆文化ですね。 外国は一部の貴族とか、エリートが文化を興し 発展させて来ました。 しかし日本では貴族も勿論ですが、大衆が文化を 興し発展させて来た、という歴史があります。 庶民出身の学者がいかに多いことか。 だから、政治家があんなに劣っていても、何とか やってこられた、と考えています。 あと武士道もいいですね。 新渡戸稲造の武士道です。 武士という貴族階級の道徳律が庶民にまで 降りて来た訳ですが、ろくな宗教もない日本が ここまで来られたのは武士道という思想の お陰だと思っています。 それから、自虐的なところも好感が持てます。 科学技術文化歴史何をとっても世界でトップクラス なのに、相変わらず自信がなさそうにおどおど。 ケンカだってやれば相当強いはずなんですけどね。 それでも、この自信の無さ。 私は好きですね。 自信が無いから、外国から少しでも良いところを学ぼう という姿勢が出てくる、と思っていますから。

okome3
質問者

お礼

 細やかに、ありがとうございます。  「大衆の中にある文化」の独自の発展。 それが原動力になっている事は、長くみていっても感じる事ですね。  『武士道』も歴史は浅いですが、英文で海外に伝えたいことを鑑みても、強く感じます。しっかりと「仁」の心を日本の考え方で論じていましたし。  自信のなさはきっと「国境」を持った経験がないためではと思っています。外交経験が足りない。 (自虐的で自信を持てなくなったのも、「無知の知」からきているのでしょうか)  ですのに、昨今の外交に長けた人の話を聞かない風潮は「出る杭を打つべし」精神が変に強いせいでしょうか。  上の方々には、「海外に『空気を読む』という習慣がないこと」をわかって頂きたいです。ない自信を振り絞ってでも、言いたい事を言って頂きたいですね。  いいところも悪いところも、広く受け止めてらっしゃる内容に感銘しています。感謝いたします。

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  • kadusaya2
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回答No.3

休日は着物を着て過ごしています。 年々、夏は浴衣を着る人が増えてきていますので、喜ばしい限りです。 友人がこういうの↓をやっています。 【myJapan】 http://my-jpn.com/ 学生や若者が、日本の良さを伝えるCMを作成しています。 かなり大きな “うねり” となってきているので、良かったら応援してあげてください。

okome3
質問者

お礼

 ありがとうございます。  お着物は、私も独学ですが着るのが好きですので、親戚などからも頂いたりして、四季を愛でております。  お着物談義が別なところでしたいですね。  「my japan」拝見いたしました。「キモノスイッチ」 伝統的な型紙の修繕が出来る方も少ない中、作っていらっしゃる方を拝読させて頂き、嬉しく思っております。  「切り絵」も好きなものですから、つい手さばきに観いてしまいました。    実用的な中の美を見つけるのは、慣れている大人の方より着眼点が面白いと思います。  とても期待をしています。  もちろん、今後のご活動に期待をしています。  ご紹介に感謝いたします。      

  • cliomaxi
  • ベストアンサー率33% (2921/8736)
回答No.1

例えば日本刀のように性能が優れているだけでなく美術品としての価値すらあるもの。 個人的には機能や芸術性に於いて日本刀に勝る刀剣は世界の何処を探してもないと思っている。 他にも火縄銃も戦国時代は別として、世界的に見ると芸術に域にまで達するものもある。 浮世絵も大衆娯楽だったものだし、そう言ったありふれたものすら芸術品として昇華させるだけの力がある。

okome3
質問者

お礼

 ありがとうございます。 日本刀は私もガラス越しですが、名刀を美術館で観てかなりの感動を覚えました。   「戦う道具」としての機能を博すための知識を持ちながら、美しく仕上げる考え方は、「敬う(うやまう)」という言葉を形にすることが「粋(いき)」としてきたからかもしれませんね。  直接的な言葉より、間接的な「何か」の中に様々な発見がありますもの。  刀で言いますと、つばやさやに施してある蒔絵や彫刻などは、「戦いの道具」を長く使わなくなった頃発展したといわれています。  依頼された方への職人の気持ちがあらわれているところなのでしょう。  浮世絵も人々の言葉や意向を反映しているものですから、短命な画家も多かったようです。    人の気持ちを考えて作った作品には、思っている以上の情念が備わっているのでしょうね。  貴重なご意見に感謝いたします。