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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本の文化の窮屈さは33か国中8位と言うランク)

日本の文化の窮屈さランキング8位

このQ&Aのポイント
  • 日本は33か国中8位の窮屈な国
  • 社会的な規範の厳しさと罰の強さが文化の窮屈さとされる
  • 規制が法律に裏付けられ、個人の自由を束縛している

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • neatkn
  • ベストアンサー率44% (44/99)
回答No.1

ダウンすべきだと思います。 この国の規範は窮屈すぎるという意見に賛成です。 『社会的な規範の厳しさや規範から晩絶した時罰の強さの度合いが「文化の窮屈さ」であると定義』はいい定義ですね。感銘を受けました。 『日本においては社会的な規範の厳しさはほとんどが法律に基づいていて罰が与えられるのが当然と言う風潮になっている。 身の回りを見渡すと「禁止」と言う言葉を始め行動を規制する言葉をよく目にする。 このサイトでも「~はマナー違反ではないか」とか「~は迷惑ではないか」と言う書き込みを多く見受ける。 やがてそれらは法律に裏付けられた規制となり個人の自由を束縛するものとなる。』 ←全く同感です !!

kanden
質問者

お礼

私は東京に生まれ育ちました。 東京は年々窮屈になってきたと感じます。 駐車、駐輪、路上喫煙に加え路上販売などが規制対象になりました。 屋台のラーメン屋もおでん屋も姿を消しました。 昔は「迷惑はお互い様」と言う互いを許す風潮にあった様に思います。 そんなおおらかな風潮を取り戻したいと思います。 有難うございました。

その他の回答 (4)

  • iwashi01
  • ベストアンサー率17% (187/1051)
回答No.5

順番がいくつかってそんなに気になりますか? 「窮屈さ」と言ってる時点で、いい意味でのランキングではないんでしょうから、 ランクダウンしたいか?と聞くのはフェアでないような気がしますが 自己規制にも、低レベルのものと高レベルのものがあるような気がしますね (1)低レベルのものは、他人の足を引っ張る圧力に屈して、自分のレベルを落としてしまうもの (2)高レベルのものは、自分のなかに高い基準を持ち、それに従って行動するようなもの (1)はただただ社会を窮屈にして、全体としてレベルダウンし、だれも幸福になれない気がする (2)は、自由を束縛する面もあるが、発展が見込めるような気がする 法律化されると、もともとは(2)だったものが(1)になってしまう気がしますね

kanden
質問者

お礼

私もアップしてから外国の評価に左右されると言うのも正しくないなと思いました。 私は都心に住んでいますがこの評価にうなずくに足る窮屈さを感じた事も事実です。 規制の為に私の楽しみであった屋台のラーメン屋やおでん屋が絶滅しました。 そして至る所に「禁止」と言う言葉を目にしてイライラするのです。 そのキーワードは「他人の迷惑」です。 バスに乗れば車にはなるべく乗らない様にしようとか迷惑駐車はやめましょう。駐車、駐輪、歩行喫煙ばかりでなく増えてきている様に感じます。 このサイトでも「マナー違反」などを取り上げる質問者に時々出会います。 あれも迷惑、これもマナー違反と微々細々に至るまであげつらう事は却って自分の自由な行動に弊害をもたらすのではないかと思うのです。 まとまらないお礼ですいません。 有難うございました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

魏志倭人伝には、「倭人は盗まず」とあります。 あの頃、既に日本の犯罪は、中国に較べて少なかったのだと思われます。 それは、社会規範の厳しさが一因かもしれません。 しかし、資源もろくに無い日本が、ここまでやって 来られた背景には、この治安の良さがあったのだと思います。 治安が良いから、安心して、投資活動が出来るのです。 契約がきちんと守られるのです。 私は八位というのは意外に思いました。 もっと上がって欲しいですね。

kanden
質問者

お礼

江戸末期の開国後もそして戦後も日本は驚異的な発展を遂げました。 しかしそれは「外圧」によって今までの日本の規制のほとんどが撤廃されたからだとは言えないでしょうか? 治安維持は確かに必要です。 しかし行き過ぎた規制はかえって民間の活力を低下させるのではないかとも思えるのです。 このランクが上がって一位になったとします。 果たして海外から人(観光客も含め)が来るでしょうか?

noname#152422
noname#152422
回答No.3

そういうランキングを過剰に気にして変な自己規制をかけるというのが窮屈さの根拠の一つに通じるものがあると思います。 最近の言葉でいうと「空気を読む」とか「ふつう」とかですね。 「ふつう」という言葉を「正しい」という意味で使っているのをこのサイトの質問でもよくみますし、ウンザリします。「ふつう」の使い方が変だよと回答に書くと、良くて反論、悪くて逆切れが待っている。 ユッケ事件であの社長が政府の規制について述べてましたが、日本という国はオカミから規制されることを無上の喜びと感じる人が多いようです。そうやって主として他人から自分を縛ってくれることを期待するような風潮を感じます。 過去の歴史に関する自虐的な発言なんかもそうですね。外国から叩かれることによって、自分の「ふつう」でない部分を矯正してだんだん「ふつう」になることを期待しているんだと思います。 このサイトでの人間関係に関するお悩み相談のQ&Aなんかみてると、ものすごく細かいことに悩む人がいたり、回答で事細かにこうするべきだというのをずらずらと並べたりしているのを見ることがおおいです。かなり辟易します。よくみるのは「社会人として」とか「組織として」みたいなフレーズ。虫唾が走ります。 陳腐な解釈をすると、古くからの農耕文化の成立にとって共同作業をするうえで「空気を読」んだり「ふつう」であることが求められてきたことが現代に受け継がれていることの現れ、ともいえるでしょう。 行政組織による規制でがんじがらめになって復興が思うようにいかないとか、原発事故の情報隠蔽や業界の癒着は、そういう規制好きの国民性に甘んじてのさばってきたように思います。 ダラダラ書きましたが、外国の評価なんていちいち気にしないことです。調査主体の恣意的な意図が働いているかもしれないし、調査方法が適切かどうか全くわかりませんしね。もういい加減他人の顔色を伺うのはやめにしませんか?といいたい。

kanden
質問者

お礼

最後の部分は確かに仰る通りです。 いちいち海外の評価を気にして自己規制をかけるのは愚だと思います。 しかし又行き過ぎた規制に私が窮屈さを感じているのも事実です。 特に都心に住む私はそれを感じます。 このランクが上がって規制だらけでもっと窮屈な国となったら外国から人を呼べるだろうかと言う危惧も感じます。 仰る通り農耕文化の時代お互いの規制と言うものは空気を読むと言うか以心伝心の様に常識化していました。 今回の災害においても法律がかえって臨機応変な対応を阻害してきた様に思えてしまいます。 私はこの調査結果を一つの問題提起としてアップしました。 有難うございました。

回答No.2

「日本は窮屈すぎる、もっと自由であるべきだ」というのもまた、「○○とはこうあるべきだ」というきっちりしたものを望む姿に見えますけどね。

kanden
質問者

お礼

戦後の驚異的は復興はそれまでの規制がほぼ無力化した時代だったと思います。 ある面で無法状態と言ってもいいでしょう。 「なんでも有り」の自由な状況が驚異的な発展の起爆剤にもなったのではないかと思えて仕方ないです。 うまいお礼でなくてすいません。有難うございました。

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