こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
>>まだまだ無知なので、どんなことでもいいので教えてくださいませ。
二十二社のなかでは平安京からもっとも離れた地に鎮座しているが、天皇家の祖神を祀る伊勢神宮は、当然のことながら朝廷との関係は深い。
天皇家と伊勢神宮内宮(ないぐう)の祭神天照大神(あまてらすおおみかみ)との関係は、「日本書紀」によると次のような伝承を背景としている。
高天原(たかまがはら)の天照大神は大国主神(おおくにぬしのかみ)に代わって地上を統治しようとする孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に「宝鏡」(ほうきょう=後の御神体))を授け、「この鏡を見る時は私(天照大神)を思い出せ」と言ったと言われており、これは宮中に天照大神とみなされる神聖な鏡が祀られていることの由来を語ったものである。
ところが瓊瓊杵尊から時を経たその子孫の第十代崇神(すうじん)天皇は、国内に疫病が流行したり相次いで反乱が起こるなどして不安定な世となったため、それまで大殿内に祀っていた天照大神と倭大国魂(やまとおおくにたま=大和国の地主神)の勢いをおそれ外に祀ることとした。
そこで豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に天照大神を託して笠縫邑(かさぬいむら)に祀らせた。そして、第十一代垂仁(すうじん)天皇の時代には倭姫命(やまとひめのみこと)に天照大神を託して菟田(うだ)の篠幡(ささはた)、近江国(おうみのくに)、美濃を巡って、最終的には天照大神は伊勢国に祀られることとなった。
現代で言えば奈良から滋賀、岐阜へと北上し、南下して三重に入り伊勢市の宇治に落ち着いたこととなる。延暦(えんりゃく)二十三年(804)に朝廷に提出された「皇大神宮儀式帳」(こうたいじんぐうぎしきちょう)によれば十五ケ所もの地を巡ったと書かれている。
二十二社とは:
平安中期以降、国家の重大事や天変地異など大事件が発生した時に、定例的に祈願の対象となった二十二の神社。
伊勢神宮、石清水(いわしみず)神宮、上・下賀茂神宮、松尾神宮、平野神宮、稲荷神宮、春日大社
(以上を上七社という)
大原野神宮、大神(おおみわ)神宮、石上(いそのかみ)神宮、大和(おおやまと)神宮、広瀬神宮、龍田(たつた)神宮、住吉神宮
(以上を中七社という)
日吉神宮、梅宮神宮、吉田神宮、広田神宮、祇園(ぎおん)神宮、北野天満宮、丹生(にう)神宮、貴布禰(きふね)神宮
(以上を下八社)
以上が二十二社
お礼
すごく詳しくわかりやすく教えてくださってありがとうございます!! 前まで私は石清水でお世話になり、もっと詳しく知りたいと思いまして、 質問をさせて頂きました。 私は天照大御神様が伊勢の地にたどり着くまでにそんなにたくさんもの地を訪れておられたことには少々驚きました。 もしかすると奈良や岐阜に祭られていた可能性もあったってことでしょうか?? 回答有難うございました。