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自分と違うタイプの人と
全く自分と異なったタイプの相手と話しているときに、 考え方の違いにより、相手の言うことに疑問を持ったとします。 まず前提として、相手の考えを理解しようと努力することを経た後、 その次に皆さんであればどのようなアクションを起こしますか? 理解して、けれども私はあくまでもこういう考えです、と伝えるか、 あなたの考え方はこうなんですね。実際にそれに乗っ取ったなら確かにそう感じるかもしれません、と共感点を探して伝えるか。 それとも、相手とどのような関係を築きたいかで変わるものなのか。 友達として付き合う場合、軽い知人として付き合う場合の様な… もちろん他にもやりようがあると思います。 どうか教えていただきたいです。
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>考え方の違いにより、相手の言うことに疑問を持ったとします。 まず前提として、相手の考えを理解しようと努力することを経た後、 その次に皆さんであればどのようなアクションを起こしますか? 考え方が違うことで相手に疑問を持つことがあるのでしょうか。 「その考え方が違っているから、そう考えてしまうんだ。」 それで終わりですね。ただ、 考え方が違うということ自体を疑問に思うなら、それを自分の力で直してやらねばならないと言うことになるでしょうし、タイプが違っていようがいまいがその辺りの事情は変わらないと思います。 >あなたの考え方はこうなんですね。実際にそれに乗っ取ったなら確かにそう感じるかもしれません、と共感点を探して伝えるか。 当然大人同士であればそういうことでしょう。 共通点を探しあうのが会話と言うことだと思います。 じっくりと喧嘩にならない範囲でおたがいの相違点を確認しあう、そうしながら相違点の更に奥をさぐりつつ会話を深めていくところに他人とのお付き合いの面白さがあるのではないでしょうか。 無理して相手の違いをこちらにあわせて矯正させるのは会話ではなく論争ですね。これは相手により避けねばなりません。たとえば目上の人との会話で、相手のプライドを尊重しなければならないときです。
- 雪中庵(@psytex)
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「社会常識」とは、常に実用的に有用な狂気(i.e.お金など 実際は手アカで汚れた紙切れに過ぎない)に過ぎず、 宗教であれ、資本主義であれ、当人が幸せに過ごしている のを否定する権利のある人はいない。 もし、“真実に目覚めた結果”の孤独や不利益を、補償して 一生面倒みる事ができるなら別だが。 (「考え」とは言葉の遊びではなく、生き方の原理だから)
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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人同士は全く誤解で成り立っていますね。 同じタイプ同士だと思っていても、本当にそうなのかどうか。 ほとんどの場合、違うタイプ同士なんでしょうね。 でも基本的には人は五感での知覚、歴史と社会の関係での意識形成、そして人間として生きている事実と事情は共通ですね。 多少の行き違いや摩擦、事が起こること。こういうことは避けられないのでしょうね。 夫婦とか、親友って、長い間のそういう関係できていまして。(75男性 友人は大体50年から60年以上の付き合い) でも時折、こんなに違うんだとか、判ってくれていると思っていたら全然通じていなかった。 なんてこともあったり。 だから違うタイプの人とも、まぁともかく誠実に御付き合いするようにしていますが。
伝え方は色々ですが、自分の場合は、勉強になります、という中身の応答をすることが多いですね。 実際そうなわけですし。付き合い方を考えるとか言うことはあまり無いです。 タイプの違いで考え方が異なるというよりは、考えで物を言うタイプの人と、感情で物を言うタイプの人と、センスや直観で物を言う人と、色々のタイプに別れているように思います。これはユングのタイプ論を引用した見方ですが。 ただ己の主張を貫きたいという我の強い物言いをする人と会話することになるとややこしいですね。タイプ以前の問題がそこにはあります。我を張っていても言っていることに真実味があるのであるなら引きもしますが、そうでない場合は、なだめるかスルーするか、あるいは批判したりもしてしまいます。
- yukiyama30
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とても難しいです。 私もせっかくコンタクトの取れた相手と肝心な案件が全く進まず問題が深刻化する危惧を致しております。
なかなか重要なことをお考えですね。しかし惜しいことに、私は非常に重要な点を質問者さんが本末転倒になさっているように思います。 >それとも、相手とどのような関係を築きたいかで変わるものなのか。 いいえ、相手と自分との差が分かった時には、どう付き合いたいかではなく、どう付き合えるかが分かるのです。刺激をお互いに与えあうことができる仲なのか、それとも、犬猿の仲になるだけなのか。相手がまずい人だと判明したのに、それでも友人になりたいものですか? 美人なら少々の無理があっても、おつきあいしたいとか、上司なら、どうしても仲良くしておきたいというようなことなのでしょうか。しかし願望の通りは無理というものです。 さて、私はどうしているか。基本的に、相手とまったく違うなぁと思った時は、不安な顔をするというより、「自分の知らないことを教えてくれる人かもしれない」と思うことにしています。そして相手が述べる考えを、面白がってみることにしています。「ほう?面白いですね。なるほど。なぜですか?ほう、ほう」と相槌を打っています。というのも、相手が別に違う意見の持ち主でも、私は別に困ることはないのですから。 しかし先に言っておくと、好奇心をもって迎え討つという態度が陥りがちな失敗は、相手に教えられる知識がない場合、過剰に相手に期待をして負担をかけてしまうということなのです。加えて「私の方が知っていることが多いなぁ」などと思い始めると、相手に対する敬意が薄れていき、相手のことを、モノを知らないのに適当なことを言っているくらいにしか思えなくなっていきます。すると相手と何ら心理的な葛藤がないにもかかわらず、喧嘩が起きてしまうのです。かくして、差異を楽しむというやり方が通用するのは、相手が「本物」である場合だけです。 そして要注意なのは、まだ憶測だけでモノを言っている若い人にこれをやると、大体、最後は知ったかぶりを暴くこととなり、泣かせてしまいます(私も若いですが)。そして酔っ払ったような調子で、テキトーなことを言って大きな顔をしたい中年の方も要注意。こういう方たちは、「すごいですね」と受け止めてくれる人を求めており、真理を追究する好奇心ではなく、母性的な愛情だとか、父を尊敬しつつ甘える子供の態度で迎え撃つのがいいのです。実のところ、私は苦手ですから、そういう御仁に直面した時は、「やや、これは豚面(遁面)だ」と逃げることにしています。 まず、ご自分の限界を知ることが必要ですよ。
料理番組を視ていると、水っぽいときは「上品なあじつけですね」味が散らかってるときは「斬新な味」など、表現の工夫で葛藤を解決していますね。
- Frozen_
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こんにちは。 難しいですね。話の内容にもよります。趣味とかファッションや食べ物の好みなら、個人の嗜好の問題だし、それが自分と違う場合、そういうのもありなんだねという風に、相手に合わせます。 しかし、仕事上の問題、あるいはある事実の認識について、私がある程度専門的に扱っている分野について、異論を唱える人があった場合、徹底的に議論をしますね。そして基本的には論破して決着ですね。 もし議論中に私の考えが間違っていることがはっきり分かれば、その件については自分の否を認めざるを得ませんが、そうでない場合は、相手に合わせるとか相手に迎合するということは一切ありません。 但し、このような態度に出るのは、一応相手をそれなりに認めている場合に関してで、軽い付き合いしか考えていない相手なら、言わしておくだけで、こちらも適当に返答するだけです。 私が何か話して、それを頭ごなしに否定するような人に対しては、一応相手の意見、考え、主張を、全て聞いて、疑問点は1つずつ質問し、徹底的に戦います。 全てのジャンルについてですが、いいかげんな知識で大きなことを言う人は許せないんですよ。ここの回答でもたとえばウィキペディア丸投げの回答を、さも自分の経験上の知識という風に回答する人が結構いますが、許せませんね。