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父の死と向き合う私の思い
- 父の死を迎える私の複雑な思いとは?
- 母との関係や過去の経験についても考えながら父の死への対応を模索する私
- 葬儀における参列者や儀式について迷いながらも、私なりの決断をする
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質問者が選んだベストアンサー
あなたは何も間違っていませんよ。私はあなたのお父さんくらいの年ですが、私なら人生の最後に幼いときに捨てた娘に会いたいなんて口が裂けても言えません。あなたと別れてからお父さんはどのような人生を歩まれたのかはわかりませんが、言えることはあなたとは別の人生を歩いておられたのです。親子や血のつながりは、勘違いする人も多いですが、私には何の意味もありません。あなたにとってお父さんは人生の最初にちょっと縁があっただけです。その意味であなたはお母さんとも今後、別の人生を歩むのです。私にも二人の子供がいますが、彼らの選んだ道に口出しするつもりはありません。死ぬときがくれば静かに一人で死のうと思っています。生死など大した意味はありません。
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- 18OSX
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32年間も別々に暮らしていれば、もう親子でもなんでもありません。 他人の言うことや世間の常識(と言われていること)は気にせずに ご自分の納得いく方法で対処すればいいと思います。 私だったら葬花くらいは贈ります(知っちゃった以上無視はできませんから)が葬儀には出ません。 花も連名ではなくお母上の名前のみにしてもらいます。 出て、周辺の人に何かと言われたり好奇の目で見られるくらいなら 出ずに、自分の耳に届かない場所で何かと言われるほうがまだマシです。 どうせその葬儀が終わればまた他人に戻るのですから。 ただ、お母上の考えはまた違うかもしれませんから そこはしっかりと話し合う必要があるかと思います。 お母上が「一緒に葬儀に参列してほしい」と言えば、私なら出ます。 が、それでも、そこまでです。以後の法事には出ません。 --- 私にも、生まれてすぐに離れて25年以上会っていない娘がいます。 「会いたい」というより「一目見たい」という気持ちはずっとありますが、それでも いまさら「親子」を持ち出す気持ちは全くありません。 「一目見たい」んですから、死んだ後に来られてもしょうがないですし(笑)。
お礼
回答ありがとうございます。 やはり母と葬儀には参列することにしましたが、もちろん一般参列です。 そしてこれを最後にその他の法事には出ません。 『会いたかったのならどうしてそれなりの行動をしてこれなかったのか・・』母の言葉がすべてなような気がしております。
- kotarou3241
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NO1の方同様、私も間違っているとは思いません。 私が物心付くまえに離婚、その後私の父は再婚し、継母との間に5人の異母兄弟をもうけました。 継母は私にとって毒親で、しかも父にはその後も長きにわたって嫌と言うほどお金の迷惑をかけ続けられました。 今後父に何かあっても、一切長女としての私の存在は気にする必要はない。毒継母とその子供達(異母兄弟姉妹との関係にまったく問題はありません)ですべて決めてほしい。危篤の連絡も要らない。一般の弔問客として連絡をもらえれば、焼香なり献花なりを考える、と5人全員に話をして、了解を得ています。 今後あるいはお父様に何らかの資産が残っているようであれば、法律の定める遺留分の範囲で淡々と受け取り、これまで苦労をなさったお母様と旅行する、目の前の必要なもののためにそっくり使うなど、後腐れのないようにさっぱりと気持ちよく散財なさるのもいいでしょう。 何の感慨もないお父様の死でも、それでこそ感謝の片鱗も沸いて、いいご供養になることでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 懐かしいという感情でもなく、正直に言えば知らないおじさんが病室で最期を迎えている事に違和感と嫌悪かんすら感じました。 私も父に対して何もしてきてはいませんが、父も私に対して何もしてきていないのだから後腐れないようにこの葬儀を最後にさっぱりしてこようと思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 私が産まれて来た事父と母が出会ってくれた事だと理解出来ますが、私が育ってきたことは母がすべてです。 そう考えるとshubalさんのおっしゃる通り、人生の最初にちょっとだけ縁のあった人だと言う事だけです。 他の方も回答して下さってるように、今回を最後に綺麗さっぱりしてきたいと思います。