※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:農地開放前の農家の規模について)
戦後生まれの私たちには分からない、戦前の農家の規模について知りたい
このQ&Aのポイント
北陸の富山市出身で、友人の親は農家でした。しかし、その親の農家の規模や位置について全く知りません。
友人の父方の実家は400町歩の農地を持っていて、士族だったそうです。また、母方の実家は50石の農家で平民でした。
戦後生まれの私たちは大きな農家しか知りませんが、400町歩や50石はどれくらいの規模なのでしょうか。同じような規模の農家がどのような位置にあったのか知りたいです。
私の友人の親のことです。
友人の親は北陸のtoyama市出身です。その人の親はそこそこ大きな地主だったということですが、今となってはその規模はどのくらいの農家だったのか全く分からないので、知りたいということです。
男親の実家は400町歩の農家で、士族だったということです。女親の実家は、何町歩かは解りませんが、50石の農家で平民だったと言います。
この程度の農家は、村でどのくらいの位置にあったのか、解る方教えてください。
われわれは戦後生まれなので、みんなそれぞれ大きな家屋敷がある農家しか知りません。
400町歩や50石が大きいのか、普通なのか、家同士が結婚を決めたのだから似たような規模なのかなあとも言っていました。
変な質問で済みませんが、よろしくお願いします。
お礼
早速ありがとうございました。 確かにその人の記憶違いでしょうね。 幼馴染でしたので、両方の親もよく知っていますし、遊びにも行きました。 男親の実家は郊外だったので空襲にあわず、女親の実家は中心部に近かったので、空襲で焼けたようです。 男親の実家は大きな藁ぶき屋根の農家で、とても資料にいただいたような瓦葺の家ではなかったと言います。 ただ女親が、「お父さんの家は兄さんに岩瀬のすごい大きな家からお嫁に来ている」と言っていたとか、「小作が家に来たら玄関の土間に、兄さんに『へ、へー』と土下座していた」とか話してくれたそうです。 女親の家の方は、「昔、千石のasano様から婿養子がお籠に乗って来た」とか、「うちは50石で村に2軒ほどだった、向かいの○家は200石で2~3ヶ村に1軒ぐらいだった」とか言っていたと。 400石も50石も、戦後の農地解放があったお陰か、今では誰が地主だったのか小作だったのか解らないくらい、御近所の知り合いの農家はみな裕福そうに見えます。 後継ぎでなく分家して勤め人になった私達の親は、みんな苦労して市民生活を送っているんだなーと話しています。 とても面白い資料をありがとうございました。 質問に関係なく、色々興味を持って読めそうです。