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ウイスキーの価格差について教えてください。

同じウイスキーでも、国によって価格が大きく違います。 今回は例として「グレンフィディック12年」を挙げたいと思います。 国内の大手DSでの価格は、だいたい2180円から2480円といったところでしょうか。 サントリーの正規の価格では「オープン」となっています。 並行は最近見ないのですが、この価格に対抗できないというのが実情でしょう。 ところが海外に目を向けて見ますと、本場イギリスでは4200円前後で売られています。 免税店の価格でも、国内DSのほうがはるかに安いのです。 しかもコンテナに詰め、船便で運んで関税も払ってといった手順を踏んででも、です。 この価格差はなぜ起こるのでしょうか。 酒税が国ごとに違うというのは理解できるのですが、 イギリスで製造されたウイスキーが なぜ海外で安くなるのでしょう? また、同じウイスキーでは最安の国というのはどこなのでしょう。 日本もかなりいいところまで行っているとは思いますが・・・。 かつての日本も、輸入ウイスキーは本当に高価でした。 為替レートや物価の変動、税率の変化もあったでしょうが なぜ今では1980円のジョニーウォーカー・ブラックが かつては10000円以上だったのか。 その差額はどこに行ったのか。 小さいことですが、考え出すと疑問が次々に湧いてきます。 ウイスキーや税金にお詳しい方、ぜひご教授願います。 よろしくお願いします。

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回答No.1

輸入酒の国内価格というものは、生産国での販売価格に対して、輸入時点で関税がかかって、それが輸入価格になります。 その輸入価格に対して、国内の酒税が課せられ、更には輸入業者の利潤等が上乗せされて、一般販売価格になっています。 以前は、ウイスキーには特級・1級・2級という区別があり、それぞれ酒税率が違っていました。 輸入酒に対する酒税率は、すべて特級扱いでしたので、250/100(もっと高かったかも知れません)のような高い税率が課されていました。国産の特級の場合も酒税率は同じでしたが、先に関税がかかっていますので、輸入酒の販売価格はかなり高価なものになったのです。 日本の税収入のうち、酒税収入は間接税のなかでも、かなりの高い割合を占めていますので、当時の大蔵省は歳入不足が予想されるような時には、酒税率を上げることで、賄うことを何回も繰り返したのです。 昭和40年代後半頃から、「サントリーオールド」が爆発的に売れ、単一銘柄としては世界最大の販売数量になっていましたので、大蔵省の施策は成功したと言えます。 ところが昭和60年前後に税率を再度上げたところ、弓の弦を引っ張りすぎたのでしょう、ウイスキーが売れなくなり、価格差を宣伝に利用した焼酎ブームが起こります。 戦後、量的にはどんどん縮小傾向にあり、古臭いイメージしかなかった焼酎が、これを機に売れ始めたのです。 そして焼酎メーカーも努力した結果でしょう、今の若い人にはマイナーなイメージはないようですね。 輸入酒にとっては国産以上に大打撃でした。 そのため、外国から、特にスコッチを輸出品の重要産品としている英国は、同じ蒸留酒でありながら、税率があまりにも違いすぎるのは差別行為だ、アルコール度数が同じなら同一の酒税にすべきだと、強硬に主張し始めました。 酒税法は戦後間もなくの頃制定されたもので、清酒や焼酎に対しては、国内産品を保護する名目で、税率そのものが、かなり低く設定されていたのです。国内のメーカーの組合が以前から、同様の申し入れをしても、全然動かなかった政府が、外圧には屈して、税率を数度に分けて変更し、現在の酒税は同レベルに近づいてきました。 英国での販売価格よりなぜ日本の価格が安くなるのかという回答にはなっていませんが、昔に比べるとウイスキーがかなり安くなっていることの説明でした。

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