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「部落差別」教育って必要?

塾で教えている中学生が、 「部落差別についての勉強があった。僕はそんな事知らんかったし、知りたくもなかった。知らなければ差別する事もないのに、知ってしまったら、ついそんな目で見てしまう。僕はそんな差別とかしたくないのに。知らないほうが良かった」 と言いました。 私もそう思います。私は別の県から引っ越してきて、今住んでいる県の部落地域は知りません。あることすら想像しませんでした。 知らない人が増えれば、自然となくなったりはしないのでしょうか?私のように、外部から来た人間は部落地域を知らないし、この中学生のように10何年間この県で生きてきて、それでも知らないのです。やはり、「部落差別」教育は必要なのでしょうか? 見てそれと分かるハンデを持った人を差別してはいけない、と教育するのは分かります。しかし、部落は、ここから部落地域ですという看板も何もなく、知っている人だけが分かるものですよね。 未だに差別意識を持っている人はいるでしょう。しかし、一般的な「差別はいけない」という意識を持った今の子供たちは、その差別意識を持った人に「部落差別」を言われても、はねのける事ができるのではないでしょうか。 私は、前記の中学生の発言に、どう答えれば良かったのでしょうか?また、「部落差別」教育は、必要なのでしょうか?

みんなの回答

  • hutago
  • ベストアンサー率29% (161/542)
回答No.58

もはや負の連鎖は断ち切りたいので教えないでほしいです。 私が住んでいる地域はいまだにその差別があります。 かれこれ20年は前になりますが高校の部活が郷土史だったので同和問題について調べ、地元で同和のかたがたが名乗る姓を知ってしまいました。 そしてその姓を名乗る同級生が居たのです。 知らなければよかった、と後悔してももはや後の祭りでそんな気もないのにどうしても意識してしまうのです。 今、私は子供には同和問題のことは話してません。 というのも子供の友達にやはりその姓の人が居るからです。 あんな思いを子供にはさせたくありません。

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  • nyamnyam
  • ベストアンサー率34% (10/29)
回答No.57

沢山の方が意見を寄せていらっしゃいますね。 すごく難しい問題であり、私も‘自分以外の人はどう思っているのか’知りたいと思っていた事でもあります。 私自身は学校で同和教育は受けていません。 私の住んでいた所は部落でした。 部落は全国の市町村のほとんど全てにあるもので、例えば○○県△△市□□区◇◇というように地域をだんだん小さく分けていった住所の一部に過ぎないとずっと思っています。(歴史的な成り立ちはわかりませんが) 部落=差別地域というわけではなく、差別の対象とされていたりするのは全国に沢山ある部落の一部です。 私の住む地域で差別されていると言われているのは、昔その部落の人々が処刑の仕事をしていたというものです。 どこまで事実かわかりません。 情報が田舎の田舎の方まで届かなかった昔は、人の噂話が事実になってしまった事だって少なくないはずです。 過去の争いを現代まで引きずり出していろいろ言うのはどうなんでしょう? 昔あの人たちの先祖はこんな悪い事をしたんだ。だから今あそこに住んでいる人達も悪いに違いない これはある意味、今の日韓関係と同じ事をしているようにも感じます。 そして私の結論ですが、同和教育は必要ないと思います。 どなたかおっしゃっていましたが、歴史の中の出来事の一つとして学校で教えればそれで良いんじゃないかと思います。 わざわざ教育と称して大々的に取り上げる大人がいけないと思います。 まだストレートに受け止めストレートに返してしまう小・中学の子供達に、わざわざ大人が持ち出して、見せて、差別するなと言うのは無茶な話かと思います。

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  • oosakago
  • ベストアンサー率20% (9/44)
回答No.56

私は部落差別のことは、きっちり子供達に教えるべきだと思います。日本の歴史の中で現実に起こっていることを、「誰も知らなければ部落という言葉や差別すら知らない」では問題解決にはならないと思います。 昔の~のようなことが部落差別であり、その中で部落差別というものを解り、そうゆうのは悪いのでやめていこうという人々の気持ち次第と思います。  ここからは私の今の部落差別の考え方とらえ方です。  私は部落ではありませんが、私の女友達が結婚時に親に反対にあい破談となりました。ここまでは「結婚は二人の問題なので、押し切ってでも結婚すればいいのに」と思いましたが、まぁ二人の問題だから、いいとしようという私の気持ちでした。問題はここからです。結婚する予定だった相手の男性ですが、夜中にドラム缶に灯油を入れて、それを車に乗せそれを彼女の家の周りに撒き散らしていたのです。もちろん放火する予定だったのですが、たまたま彼女の父親が仕事残業で晩遅くに帰ってきて、発覚し取り押さえられました。すぐに警察にと思い立ったようですが、ここで彼女も登場したみたいで、なんとか警察沙汰にはならなかったようです。運が悪ければ、母親彼女が死んでいたところの事件でした。これは第1談の話ですが、こういったたぐいの話がいくつか聞きます。俗にキレるといった行動でしょう。←私の周り未遂事件であり、実際起こってしまったものは他に3事件あります。  ここで考えました。私のまこと勝手な推定ではありますが、部落の人たちですが、何百年と同じ地域で過ごし、結婚~子供も同じ地域でしていると、やはり血が濃い人間性になっているのではないでしょうか?他の話でも最終的には常識はずれの「すぐにキレる」といった話です。私自身は、子供はまだ小さいですが、その私の子供が結婚時に相手が部落であれば正直疑いますが、その時は人間性だけを見ようと思います。別に部落の人でなかったとしても、すぐキレて常識はずれを起こすような人であれば、反対及びすぐにでも離婚させようと思います。  それと思うのですが、部落の本人達は自分自身が部落いう特定の人というのを、意識しすぎているのでは?と思います。もし自分の身に何か第2、3者から不具合を被った場合、別に理由は全く別のものでも、「自分はどうせ部落」だからというのを意識するといったかたちです。当の本人達もそれを考えないで行動すると、周りも意識しないでうまくやっていけるのでないでしょうか?  ということで、少しみなさんの意見とは違うかもしれませんが、私の現在、部落差別という人々をどう思っているかすこし記載しました。みなさまの正直なご意見・ご感想お願いします。  

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  • pasya
  • ベストアンサー率60% (3/5)
回答No.55

この問題に対し、如何に多くの方が関心を持っているか回答数の多さが物語っています。 確かに歴史上多くの方が差別の犠牲になってきたことは決して覆すことができない事実です。皆さんが回答されておられる通り、現にその名残が根強く残っている特定の地域や年齢層もあります。しかも広島の例を述べられた方がいるように人の生死に関わるような大きな問題となっています。覆せない歴史は中国においても日本大使館や民間企業を襲撃するまでに発展しています。 歴史を学ぶことは大切であると思います。 しかし、我々はなぜ考えることも嫌になるような歴史を学ぶ必要があるのか? それは今現在、そして未来をどのようにかたち作っていくかを考え、判断するためではないでしょうか?教える側においても教わる側においても同じ方向、あるいは目的のために学ぶ必要があると思うのです。私達にとって今までの歴史が必ずしも素晴らしいものだけであったわけではありません。人生と同じように消し去りたい過去もあります。そのような過去のほうが多いのかもしれません。しかし人類は素晴らしい歴史も数多く築いてきました。結局、私達は現在にしか生きられず、未来に向かう道しか築くことはできません。過去は振り返ることはできても変えることはできません。 ならば、過去を変えたり消したり踏襲したりするのではなく、過去から学び新しい歴史を築いていくことが私達の役割なのではないでしょうか? 私が今お話していることは当事者の方々にとっては綺麗ごとに聞こえるのかもしれませんが、現に私の周囲にも差別問題を抱え苦しんできた方が数多くいました。そして差別が生んだ利権や金も存在していたのかもしれません。しかしやはりそういった歴史のうえに新しい歴史をつくっていくべきだと思います。

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回答No.54

私は東北在住の人間です。 18歳のときに東京に行くまで部落問題は知りませんでした。 よく考えたら、私らは蝦夷の末裔でしょうか? 部落問題の対象者の方々より、日本人からかけ離れていますか? 部落問題を語る方がはオーストラリアに丸ごとケンカ売ってるような気がします。 犯罪者やその関連者の子孫(昔ならそんな根拠もなく部落に押し込んだ事例も多いと思います。) 世界には海賊の国家もあったと聞きます。(ちなみに豪州ではありません。) 開放するどろか、もともと根拠の無い理由で差別をしていただけでは、若しくは差別を利用していただけではありませんか 。 教育? 母親は命を掛けて子どもを産んでくれます。 私も母親の産道を通ってこの世に生まれてきました。 この世に生きている皆さんに問います。 胎児の中には母親の産道を通れずに遺伝子の病気によって間引かれているどれだけの可能性があると思いますか? 皆、母親の胎内からこの世に生を受ける事を許された仲間でしょう。 この仲間の関係になんで、敢えて差をつけようとするんですか? 部落問題をどうのこうのと言う人間は、目の前にいる赤ん坊の血統が判らなければ、すぐに口を塞いで殺せるってことじゃないですか? そんな、人間はこの世にいるのですか? 誰も親を選べません、でも愛してくれる、だから痛みの中で血を流して生んでくれる母親の子であることに変わりはありません。 こんな中で部落問題という議論に何の意味があるのですか? もしかしたら、単に部落問題の予算担当者でキックバックとかのある公務員の利権確保じゃないのですか?

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  • noujii
  • ベストアンサー率15% (109/721)
回答No.53
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回答No.52

No50の方が言われているとおりですよ。 差別教育などもう今の時代必要ないと思います。 部落利権などに味をしめている人,つまり,自分は差別されているのだから市が色々な援助をしろという名のもとに「差別されている」を声高に言っている人にとっては,差別教育がなくなると困るのです。 差別がなくなると,自分たちが優遇される根拠がなくなるのですから。例えば,簡単な職務の公務員として高収入を得られたり,税制上優遇措置を受けたりという特権がなくなるのです。 だから,そういう人たちが,市の教育委員会などに働きかけて,差別教育を続けさせるのです。 この問題は,「差別問題という臭い物に蓋をしてはいけないから。」なんていう青いレベルの話じゃ,まったくありません。

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回答No.51

皆さんが歴史等について詳しく書き込まれているので、その話はナシにして、私は小学校のときに恩師し教えられた言葉を書き込みたいと思います。 それは「先生はみんなに何も知らない傍観者になって欲しくない。きちんと過去を知った上で、大人になって欲しい。」というものでした。 小学生だったせいか、当時は(恥ずかしながら)学内で差別用語が多少飛び交いましたが、大人になった今となっては先生の教育に非常に感謝しています。やはり無知は恥ずかしいことだと思います。

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  • rkru
  • ベストアンサー率16% (5/31)
回答No.50

同和問題がある地域(=部落地域を含む広い地域)というのは、地縁が強く、町内会活動が活発な場合が多いように思います。その町内会同士に優劣(?)があったり、昔から仲が悪かったりするんです。つまり、差別のあるなし以前に、地域を単位とした仲間意識が強い。そして当事者の住人たちは、そういう地域性をなくしたいとは思っていないことが多いです。 地域の同和学習会、毎年開かれています。でも内実は「あの地域の歴史はこう」と勉強したり、「この地域の出身者の方に来ていただきましたのでお話を伺う」と、地域性をしっかり覚えるためとしか思えないものです。 不動産屋の広告にも、「ここに入居すると、町内会はどこになります」と断ってることがあります。 また、町内会より上のレベル(市政など)でも、地域の違いを考慮に入れていろいろとやっていると思います。実際、未だに道路が舗装されていない地域もあるんですよ。でも、住民はそれでいいと思っているんですから。No.50の方と違って、こういうの見ていると、こういう地域性っていうのは案外、なくならないかもなあと思います。 差別が悪いということを教育することは大切だと思いますが、それ以前に、せめて道路の舗装とか平等にやれよ!って思います。

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  • kanichi
  • ベストアンサー率25% (3/12)
回答No.49

残念ながら差別で食っている人は大勢います。 同和問題で食っている人も大勢います。 同和問題で自分を「いい人」と見てもらいたがっている人も大勢います。 本当に差別がなくなったら一番困るのがこういう人達です。 だから差別・差別と騒ぐのです。 同和問題はあと少しでなくなると思います。 差別は心の問題ですから教育や議論ではなくなりません。あと1・2世代です。わざわざ教育するのは差別されている人のためではありません。差別を存在させて同和問題で食っている人のためなのです。

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