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自覚が持てない
抽象的な質問になりますがご了承ください。 自分の人生なのに、どこか他人や社会のせいにして生きている自分が いるのではないかと感じています。 でも、自分の人生は全て自分のせい(責任)です。それは確かに思っています。 上記は一例ですが、 自分が二つの矛盾した考えを持つことは誰でも結構あるかと思うのですが、 そこからどうすれば、 矛盾を解消して楽になれるのでしょうか。 思考方法を教えてください。 また普段、どのようにされてますか? よろしくお願いします。
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ANo.5のお礼文ありがとうございました。 引用レスさせていただきます。 >お礼が遅くなりすみません。 お忙しいのでしょうから、気になさらないで下さい。 >なかなか私には難しいです・・・。 『今は難しい』でしょう… しかし、『習うより慣れろ』と言う文字通り、 幾ら学習しても『詰め込みすぎや、一夜漬け』は効果がありません。 それより、もう少し『今はこれで良いんだ』と ご自身を認めて差し上げたら如何ですか。 質問者様がお幾つになられるかは存じませんが、 同世代の方でも、PCに疎いと言う方も居るはずです。 質問者様はこうして『Q&Aサイト』を知っていて、 PCを使い質問できるのです。 質問者様は、『Q&Aサイト』を始めから知っていた訳ではありません。 また、PCも初めから『使えた訳ではない』はずです。 何時しか、PCを使えるようになり、サイトを知ることになり、 自ら質問も出来るように“時の流れの中”でそうなったのです。 >例えばでいいのですが回答者さまならどのような観察日記をつけられますか? 質問者様が学生さんであれ、社会人であれ、 『予定表』を作った事があると思います。 その予定表の最も簡単なものは、 『カレンダーの空白に予定を書き込む』と言うことです。 『いつ、どこで、だれと、何の目的で、何をするか、用意するものは何か?』 これらを書き込むときに感情は書き込んでいません。 其れと同じ事を、過ぎ去った時間(一日)を書けば良いだけです。 (一例) 2011.6.6.深夜0時過ぎ 先日のQ&Aの投稿の回答を読み、 レスと再回答の依頼をした。 この例文に感情は入っていませんでしょう…如何ですか? >「自分が信じる」となるのが目標なんですがね。 信じると言う単語を誤解されている方が多いように感じます。 『信じる』と『信じたい』は全く違います。 その理由は、 『人間は何かを信じる為にはその何かを“知っている”と言う事』が 大前提になります。 “知らないもの”を信じることは不安が伴いますから出来ません。 知っているからこそ、信じることが出来るのです。 知るということはとても難しいことです。 (一例) 私は○○を知っています。と言う場合には○○について、 完全に知っている場合に初めて、○○を知っているとなるのです。 仮に○○について、何か少しでも“知らない部分がある”と言うことは、 ○○を知っていない…○○を知らないと言うことになります。 ですから、“知る”と言うことは難しいのです。 また、もうお解かりの通り、『信じたい』と言う欲求は、 『知りたい』と言う欲求と同じ事と言うわけです。 >最初の自覚の話に戻ってしまいますが。 自覚の“覚”はさとり、『悟り』と同じです。 ですから、『自覚を持っている』と言う方は自惚れているだけです。 誰しもが、日々、随時、何かしらの発見をしたり、気付いたりして 成長してゆきます。 つまり、誰しもが『成長の過程(途中)』に位置しているのです。 ですから、常に自分を観察していない(日々の暮らしを大切にしていない)と、 自身の成長に気付かない。 それは『自分に知らない一面があると言う状態』ですから、 自分を知っていない…自分を信じられないとなるのです。 質問者様には、心身お疲れのご様子が伺えます。 疲れていては、『日々に注意を払う事』さえ、難儀になります。 質問者様の生活に立ち入る所存はございませんが、 少し『心身ともに休息』されたら如何でしょうか。 その休息は言い方を変えれば、『充電期間』です。 どうぞ、ご自身に優しく接してあげて欲しいと思います。 それでは、失礼致します。
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こんばんは。 思考のプロセスはご理解頂けましたか…? >「注意深く」日々の生活を送るとはどういうことなのでしょうか? >このまま毎日を送る、というアドバイスは確かによくもらいます。 承知いたしました。 まず、『 例え 』 を使わせてください。 ご自身の “ 身体 ”は勿論ですが、 『植物等を日々“観察”する』とどうなるでしょうか…? 成人までの身長にしろ、植物にしろ、 『1日』で、“ 明らかに解る、目に見える変化 ”があるでしょうか? その答えは“ YES ”です。 しかし、『その変化は “極僅か” 』ですから、 『不注意な状態』では見過ごしてしまいます。 ですから、“注意して良く【観察】”をすることが大切なのです。 【観察】に、感情や欲があっては、“偏見”となり、 正確では有りません。 簡単に、『今日は~~だった。』と言う、 現実を“毎日続ける”事によって、 気づきや発見が生まれてくるのです。 ご自身のご自身に因る“観察日記”を、 メモ書き、走り書き程度、毎日残して見て下さい。 日付と、ほんの一行、数文字程度で良いのです。 日記をつけるとなると面倒でしょうが、 『今日は~~があった』もしくは、 『今日は~~だった』だけで良いのです。 何気ない出来事が、『大きな花の蕾』になったり、 何気ない“思考の変化”が、自分自身を育ててくれます。 つまり、日々を注意して過ごす…と言う事は、 『気づき』をやがてもたらせてくれます。 何かに『気づく』と言う事は、 それ自体が変化を意味します。 つまり、それが成長なのです。 欲や感情は一切書き込まず、一日数文字のメモ書き… 試す価値は在ると思いますよ…ご自身のために。 それでは^^。
お礼
お礼が遅くなりすみません。 再度回答いただきありがたいのですが、 なかなか私には難しいです・・・。 おっしゃるような「一日一行の自分の観察」も、 それが「今の自分から見た自分」なのだから、「今」の欲や感情は必ず入っているものですよね? 例えばでいいのですが回答者さまならどのような観察日記をつけられますか? 「自分」が書いている文章で、自分の欲や感情が入っていない文章というのはありえるのでしょうか? ぶしつけな質問ですみませんが、お時間ありましたらお願いします。 >思考のプロセスはご理解頂けましたか…? 正直に申しましておっしゃるプロセスは「理解」できますが 「納得」できてはいない感じです。「よし、諦めよう」とはなれないといいますか・・・。 でもおっしゃるようなことを信じてやるしかないのかなと。 そしてそれが、「回答者さんが言っていたから信じる」のでなく、 「自分が信じる」となるのが目標なんですがね。 最初の自覚の話に戻ってしまいますが。
再度すみません。 no,1 の回答者です。 私の場合は 『勘』 に従うって事なんです。 質問者さんが‘お礼‘で言っている通り どちらも間違いなく『自分』。この自分の双方の答えは 正誤関係なく 自らの思考の産物です。そこに正誤があれば 答えも出やすいだろうが 何時もそうはいかない。……そこにこだわるのは 馬鹿げていると思います。答えの出し様のないものだからです。時間の無駄遣い…。『悩む』事は良い事ですが『迷う』と疲れます。 そんな時の 簡単な方法が 『勘』に任せるって事…そんな意味で回答しましたが、 はて、役に立てられない回答かも。 が、自分を信じていないと 案外勘には頼れないもの です。 すいません。長くなってしまった…。
お礼
ありがとうございます。 おっしゃること分かります。 勘というのは、これまでの自分の経験を踏まえたものだから、 案外正しい、というかそれでうまくいく、ということを聞いたことがあります。 それで今の職業も直感で選んだのですが、 なぜか「やらされている感」ばかりで、ずっと毎日起きるのが苦痛なんです。 それでちょっと混乱というか、 はてどうしたものかと思って質問させてもらいました。 >自分を信じていないと とおっしゃっていますが、まさにそれが私に足りないと感じます。 「信じる」という言葉の意味・感覚がよく分からないこともあります。 自分の人生で一番長続きした事柄「ここまで生きてきた」ということにも自信が持てないので、 そもそも根本的に人格的に欠けているんではと落ちこんでしまう毎朝です。
こんばんは。 >思考方法を教えてください。 …と言うより、『 “思考” とは何か…?』 探ってみませんか? “ 思考 ”と呼ばれているモノのプロセス( 過程 )が解れば、 >矛盾を解消して楽になれるのでしょうか。 実は “矛盾していない”事 にも気づくと思います。 『思考』は “必ず本人の過去” に左右されています。 此処で言う “ 過去 ”とは、 ご本人の、『経験、体験、記憶』です。 そして、それらの “ 過去 ”に、 『今、現在の“意思や欲”』を加えたものが、 今起こっている “ 思考 ”と呼ばれるものです。 “今まで”の『経験、体験、記憶』は変える事が出来ません。 しかし “意思 ”は、今、この瞬間に如何様にも変える事が出来ます。 そしてまた、時間の経過共に、 思考の要因である『経験、体験、記憶』は刻々と増えてゆくのです。 ですから、『ある時の思考』と『また別の時の思考』は、 当然、“違いがでてくる”のです。 その違いを、ご自身が “ 矛盾 ”と呼んでいるのです。 その時々の“意思や欲”も、微妙に変化しています。 ですから、『思考』は揺れ動いてこそ、“自然体”なのです。 そして、今後起こるであろう事は、 『様々な経験、体験』をする事によって、 確固たる“ 意志 ”が芽生えてくるのです。 そうなった時は、『ちょっとやそっとでは揺れる事は無い』はずです。 ですから、このまま『 注意深く 』日々の生活を大切にする事で やがてその時はやってきます。 そうなれば、『社会を見る視点』も 当然“ 沈着、冷静 ”になりますから、 >自分の人生なのに、どこか他人や社会のせいにして生きている自分が >いるのではないかと感じています。 このような“ 感覚 ”は、 自然消滅して行く事となりますね。 この状態に“成ろうとして成れる”訳では有りません。 なぜなら、『成ろう=成りたい=現在の欲』ですから、 自然消滅まで、『 注意深く 』日々の生活を大切にして下さい。 そうする事によって、 >自覚が持てない ではなく、自ずと『自覚を持った方』に成長していますから…。 それでは^^。
お礼
ありがとうございます。 追加で質問させていただきたいのですが、 「注意深く」日々の生活を送るとはどういうことなのでしょうか? このまま毎日を送る、というアドバイスは確かによくもらいます。
- INAMOTOHUMAN
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私もたまにそんな考えに陥るときがあります。 人間って弱いもんですね。 誰かに甘えたくなるのはしょうがないことです。 私の場合は半分やけくそ気味に「しょうがねーじゃん。やるしかないわ」って無理やり思いこみます。 それを何回も繰り返して考えて落ち着くんです。 あとはしっかり頑張って「多少弱音をはいたり」「ためいきついたり」「だらしないところ」を見せても 馬鹿にされないようしっかり仕事を頑張る様にしています。 周りから評価されればテンションも上がりますし、落ち込む時の落ち込み幅も小さくなりますからね なるようになるしかないじゃないですか。やるだけやって失敗したら泣けばいいと思います。 (上から目線ですみません)
お礼
ありがとうございます。 今朝はかなりヤケクソで起きました。 参考にさせていただきます。
その都度 自分の直感に従う。 私は考えても答えが出ない時は 考える事よりも自分に正直に生きてきました… それこそ 自己責任。転嫁のしようがありません。1番良いです。
お礼
自分のことで考えると、直感というのがどういうものなのか分からなくなっている節がありますね。 自分に正直に、の「自分」がどっちなのか。 「外面を気にしているほうと反対のほう」を素の自分としていいもんでしょうか。 どっちも自分のはずだ、という気持ちもありますし・・・。 ありがとうございました。参考にさせていただきます。
お礼
ありがとうございます。 何度も繰り返し読ませていただきましたが、なかなか分かりません。難しい・・・ まとめると、 「自分を完全に知る」ことは不可能だけど、 それに向けて知り続けること。 それには日々の自分に注意を払うこと。 ということでしょうか。 どういう日記をつけるのかはイメージが湧きましたが、 その一文を書いたときには自分の意識があって書いているわけで・・・。 次に読んだときに、その裏の意味を自然と読み取ってしまうといいますか。 ふー、とまぁ本当に疲れてしまいますね、こんなことばっかり考えて(笑)。 どっか行ってしまいたいですが、なぜか毎日働きに朝起きなければなりません。 >つまり、誰しもが『成長の過程(途中)』に位置しているのです この言葉を言われて、私の中に起こっていることを以下に書きます。 「なるほど、これまでのこの方の回答を見るとそういうまとめになるわな。 俺もそれは理解できる。 自分もその『成長の過程』にいるのだろうな。 うーんしかし、その『成長の過程』ってどんな場所なんだ? イメージが湧かない。 イメージが湧かないと実感のしようがない。 なんで実感湧かないんだ俺は? 他の人はこの言葉を聴いて『なるほど!』と腑に落ちるんだろうか。 おそらくその実感が湧くまで日々を生きろということなんだろうけど、 よくそれに皆耐えられるなぁ。 我慢すらできない俺。忘れることもできない俺。 あー疲れた」 素直な気持ちです。 大変勉強になりました。今後読ませていただいたときには、必ず参考になると思います。 後になってわかるんでしょうね。 何度も回答いただき、お付き合いいただき、本当にありがとうございました。