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自分の人生に責任を持つとは?
- 「自分の人生に責任を持つ」とは、自分の行動や選択に対して責任を感じることです。自分自身が自己決定を行い、その結果に対して責任を持つことが重要です。
- 会社などの組織で働く際には、個人の責任だけでなく、組織全体の責任も考える必要があります。自分のミスや失敗については、自身の責任を認識し、改善することが求められます。
- 自分の人生に責任を持つためには、自己啓発や自己成長を意識することが大切です。他人の痛みや迷惑を感じること、自分のミスを反省し改善することなどが、責任を持つための考え方のコツです。
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自己責任とは、ある自己が自己成長(=自己創造)してゆく際に避けて通れない問題です。 わかりやすい言葉で言えば、「やるべきことはしっかりやり、やってはならないことは、決してやらない」ということですが、難しいのは、やることの方ではなく、やらないことの方です。 ある指導者からの命令があった場合、「これをやりなさい」という命令を部下が破った場合は、指導者の責任になるのですが、「これをやってはならない」という命令に背いた場合は、自己責任を負うようになるのです。(※この部分の理解はあなたには少し難しいかもしれません・・・) それぐらい、人はやってはいけないという禁じられた一線を守ることに弱いのです。 また、多くの人が自己責任を果たしえないのは、「禁」に弱いからです。 言い方を代えれば、禁の魅力即ち誘惑に負けてしまい責任を果たせない人がほとんどなのです。 何故ならば、責任を果たすのは、あくまで自由意志による自由行動によるからです。 自由意志と自由行動によって即ち真の自由によって責任を放棄することなく、喜びの実績を求めるようになる時、同時に自己成長(=自己創造)を遂げるようになるのです。 生涯を通し、自分という作品を創ること以上に大きな喜びは存在しないことと思います。 親が子供を産んだ時、「この子には立派になってほしい」と思う時のこの「立派な姿」こそが自己創造のことに他なりません。 言いかえれば、人として責任を果たす人間になってほしいという願いが「立派」には込められているのです。 たとえば、この社会にはさまざまなルールや法律がありますが、それを守る時、言われなくともそれを守ること自体が喜びゆえに積極的主体的に守るようになるというわけです。 義務でしかたなくとかいやいや守るのではありません。 また、越えてはならない一線は死んでも越えないのです。 責任に生きるとは、そういうことです。 自分を創るのも自分を壊すのも、結局は自分なのです。 責任を果たせば人は嬉しく、果たさなければ喜びは失われてしまうのです。
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- troml
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私は自分で、自分の人生に責任を持っていると思って生きているつもりなんですが、改めて質問されると、ピシッと答えられないものですね。 私は40代ですから、若い人よりも長く生きていますし、人生経験もそれなりに重ねてきて、真っ暗闇のどん底の状況を何度か乗り越えてきたので、この先何が起きても私は乗り越えられるという自信があるんだと思います。 将来に不安を抱えている若い方にひとつアドバイスするとしたら、どんな最悪の状況でも、最善の道はあるということです。よくない状況になったとしても、よくなるためにはどうするのが一番いいかを常に考えて行動していれば、危機は乗り越えられます。 自分の人生を良いものにしようと思えないのは、なりたい自分の理想像が見えていないからですよね。将来の夢が定まらないのなら、とりあえず「金持ち」とかでいいから、自分は絶対金持ちになると自分に誓うといいんじゃないですかね。(私は若い時に自分にそう誓ったんです)
お礼
ありがとうございます。 確かに、「金持ちになる」でいいんですよね。 他の人にも、「とりあえず何でもいいから目標作りな」と言われることがあります。 客観的に自分を見ると、「俺は目標も何も無いかわいそうなやつだ」というポジションに 自分で無意識のうちに持って行きたがっているように最近感じました。 何かに依存しています。 できるだけそれを無くすようにして、 その依りかかる対象を自分自身にするという訓練をするべきだと思っています。 やり方がよくわかりませんが(笑)。 確かにお金はいくらあってもいいと思うので、 金持ちになる、をテーマに生きるというのもアリなのかも知れません。 これをここで回答いただいた中からではなく、自覚できるようにならないとだめなのですが・・・。 情けないです。 「お前が感謝できないのは、感謝する気持ちが無いからだよ!」という言葉を思い出しました。 今まで厳しい状況もありましたが、 さらに厳しい状況を何度も何度も経験すれば、そういう気持ちになれるのかも知れませんね。 ありがとうございました。
- tomban
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>ここに質問すること自体が無責任な気もするのですが、 何かの手がかりになればと思い質問しました。 いやいや(笑)。 質問を問うのも自分だし、回答をセレクトするのも自分ですから。 無責任ということはないですからね。 気軽にどうぞ。 1、私はあまり責任というものを自覚することはないですね。 ただ、一応はこの世に生を受けて、周りに育てられ、成長させていただきながら、自分もまた誰かの人生に関わりを持つということに対しての自覚は、日々持ち続けていたいと思います。 …私が、私の手に持っているであろう「匙」は、年々重くなり、大きくなっているということですね。 2、>ミスして叱られても自分のこととして捉えられないということ、迷惑をかけても他人の痛みを感じられないということでしょうか。 これは元をたどれば、今の私に「自分の人生を良いものにしよう」という気概が薄いからかなとは感じています。 うーん、わかるような気もするし…なんとなくですね。 プロジェクトに関しての理解が足りないのかもしれないですね。 私も十代の時はそうでしたから。 自分の人生は、他者なくしてありえないわけです。 他者と、ひとつの目的を共有することが、仕事の醍醐味ですよね?。 それが労働を楽しむこと、仕事のやりがいというものの一つですけど、そういった空間を支えていくというメンバーのひとつに自分がなっているんだ、ということを自覚できないままだと、仕事自体が楽しくないですよね?。 ただ、労働対価としての賃金をもらうだけになっちゃう。 それはやっぱり、自分の人生を楽しくするという意味では、良くないことなんですよね。 私も最初はそうでしたよ。 だからピンとこなくて…随分嫌な思いをさせたと思います。 嫌々仕事をしていたのが、恥ずかしい限りです。 つまり「ノリ」ですよ。 自分が頑張ってるということで、仕事は動いてるんだ、という自覚があれば、自然と仕事も楽しくなってくるし、会社の方も頼ってくれたり、一緒にやれるよな?やろうぜ!というノリになってくることでしょう。 もちろん、会社そのものが暗くて覇気がないと、それは難しいかもしれませんけどね。 自分の人生は、自分のみに非ず、ということだけ知っていれば今のところはいいでしょう。 自分で理解していくには、他者の助けが必要だし、他者に助けてもらうには、自分の努力もいるってことですよ。
お礼
>自分の人生は、自分のみに非ず まさにこういう自覚がないんですね。この質問もそうですよね・・・。 他の人の目線からこれまでの私の人生を見てもらうと、 おそらく「助けてもらってるじゃん」と言われそうです。 自分でももちろん、一人では生きてきたとは思わないのですが、 「もし他の人がいなかったら」という想像力が足りないのでしょうか。 常日頃考えてはいるんですが、その考える方向が間違っているのでしょうか。 そもそも生きることが前向きでなければ、 「別に助けてくれなくていいのに」的な思考になりがちです。 そういえば自分には、できる限り責任や負債を背負いたくない、という意識がありますね。 他人に迷惑をかけずに生きるべき、というのはそもそも間違いなんでしょうか。 「ノリ」も非常に大事だと思って、これまで「ノリ」で行動したこともあるんですが、 そのつど限界が来て、考えこんでしまう自分がいます。 ありがとうございます。
- hyuuma8579
- ベストアンサー率29% (326/1097)
≪補足≫ 禁を破ってしまうのは、自由意志の力ではありません。 自由意志は責任を伴うので、その禁の一線までは、自由意志で行けても、その一線を越えようとしたときには「やめろ、そこから先は行くな!責任を果たせなくなるから」と働くのが自由意志です。 それでも越えたとしたら、自由意志が誘惑の力に拘束されたのです。 自由意志および自己責任が拘束を受けてしまったからこそ、禁を破ったというわけです。 不倫問題などは、ほとんどがこれにひっかかってしまったわけです。 一旦その一線を越えた者は、自己創造に失敗した者となるので、その再創造の困難は想像を絶するものとなるのです。それがわかるからこそ、自由意志は一線まできた時、「やめろ!やめろ!」と必死に叫んだはずです。その声を無視して誘惑に屈してしまう者の愚は今も絶えませんね。 酷くなっています。それだけ責任を果たさない人が増えたのです。 だが、私がいつも単純に不思議に思うのは、責任を果たさないで喜びを得る方法はないのですから、ほとんどの人はどうして喜ばない人生を選ぶのか・・・わざわざ自分を壊したり、喜ばない人間になってどうするや? 責任を果たす・・・これ最高!!なのにね♪
お礼
人は誘惑に弱い という言葉で片付けられるかもしれませんね。 >わざわざ自分を壊したり、喜ばない人間になってどうするや? という言葉のように、人生は逆説的にできてることが本当に多いと思います。 >責任を果たさないで喜びを得る方法はない ということが腹に据わってないのでしょうね。 将来が見えていない、目先のことだけを考えているという自分の姿とつながります。 ありがとうございます。
- troml
- ベストアンサー率17% (561/3166)
責任を取るというのは、心で思うことじゃなくて、行動することを言うんです。 人生も、どんなことを思ったかで決まるんじゃなくて、どんな行動をしてきたかで決まるんです。 自分の人生にとって最善のことは何かを考えただけでは何もなりません。これが最善だと思ったことを実際に行動にうつしてはじめて、自分の人生が開けてくるし、責任ある人生を生きられるんじゃないですかね。 ものすごく一生懸命真面目に考えているんですね。答えが見つかるといいですね。
お礼
ありがとうございます。 >責任を取るというのは、心で思うことじゃなくて、行動することを言うんです 全くその通りだと私も思っています。 そのときは、私もそういう行動を取るべきだと思います。 深く考えずとりあえずやってみるということも大事だと思います。 ただ、質問の書き方もまずかったのですが、 過去のことに「責任を取る」ということの前に、 未来のことに「責任感を持つ」という感覚って?ということが知りたいんです。 この感覚は、持っている人といない人では もしかしたら大きな隔たりがあるのでは、と感じています。 何をしても自分で責任感を感じられずに同じミスばかり繰り返す人(例えば私)はいます。 「自分の人生を良くしよう、良くすべき」と思えてない、といいいますか・・・。 そんなの当たり前でしょ、誰でも持ってるよ、っと思う人が大多数だと思うんですが、 私はどうもそういう感覚が無い(or薄い)のではと感じはじめました。 未来像はどうしても負のイメージに引っ張られます。 また、何かに依存しているようです。自立できてないんです。 しかもそれを解消するにはどうしたらいいのかさっぱり分かりません。 ですからこれは「マイナス思考」とも似たようなものなのかもしれません。 こないだ採用面接を受けていて、自分の中でこれが解決されないとダメだなと感じ、 とりあえず質問してみました。周りに話せる人もいなくて・・・。 同じような人も必ずいると思い、Q&Aに残したいと思ったこともひとつです。 おっしゃるような「行動」ができるように、心に据えられればと思ってます。 ホームレスになりそうになったらとりあえず行動するだろ自分、と信じてはいます。 理屈をこねくりまわしているようですみません。
- troml
- ベストアンサー率17% (561/3166)
自分の人生に責任を持つというのは、財産を作ることだと思います。 自分のしたことで、人や社会に迷惑をかけてしまった場合に、責任を取る方法はお金で損害を賠償するということですから、財産がない人は責任能力がない人ということになりますよね。 苦労して財産を築いた人は、つまらない失敗で財産を失いたくないですから、失敗しないように気をつけるし、いい加減なことはしなくなるし、だから責任ある行動をとる人と言われるんです。 それに比べて、財産のない人は、失って困るものは何もないし、人に迷惑をかけたらかけっぱなしで、無責任な生き方しかできませんよね。
お礼
ありがとうございます。 なるほど、生き方・死に方というよりも、周囲に迷惑をかけたときにお金を支払えるかということですか。それは確かにそうですね。
補足
補足欄をお借りして失礼します。 やはり「責任」というと対外的(他人など)なものだと思うのですが、自分の人生に対する責任感というのも結局対外的なものだということなのでしょうか。自分の中だけでの「心持ち」のことだと思っていました。 実はもう一つ自身でピンと来ない言葉があって、 「人は一人では生きられない」 という言葉なのですが、もしかしたら関係があるでしょうか。もし今後回答頂ける方でピンときた方がいれば教えてください。
- まつい たかあき(@mamitakun)
- ベストアンサー率28% (273/954)
odvanscale さん、こんにちは。 だいぶ自分で答えを導き出している状況のようですね。 私が思うにodvanscale さんの考え方は間違っていないし、 そのようなものかと思います。 追加で、組織での動きの場合は、 多くの正解の選択のうち、odvanscale さんが選んだ答えではない 選択肢で組織が進む場合があります。 この場合、他人が選んだことに責任を取ることになります。 そういう割り切れない状況も出てくるのが、会社の生活の一部です。 「しょうがねえなー。」の感覚が持てることが大事かと思います。 ある意味、組織の責任の方が無責任ですね。 自分の事は、自分に帰ってきますので。
お礼
ありがとうございます。 「しょうがねえなー。」も含めて自分の責任ということなんですね。
- cowstep
- ベストアンサー率36% (756/2081)
自分のミスが組織のミスになったら、その時こそ自らの進退をかけて責任を取るべきです。 ミスをしても、組織に迷惑をかけないよう、フォローをするのが責任ある対処の仕方です。 組織のチームワークが良ければ、お互いにミスをしたとき、バックアップして、被害を最小限にとどめるようにします。
お礼
ありがとうございます。 フォロー、バックアップは大切なこととは分かっていながら、 それが自分の責任感とはつながっていなかった気がしました。 組織第一で動かなければいけないという責任感が薄すぎるのかも知れません。
お礼
ありがとうございます。難しいですね・・・。 読ませていただいて思ったのは、 やはり自分には「自己創造」という気持ちが薄いのだろうなということです。 「やってはいけないこと」も「やるべきこと」も、 それがなぜそうするのか、最終的に何につながっているのか、 がはっきり自分の中で持てていないのでしょうね。 自由なことも分かる、やってはいけないこと・やるべきこと(法律的・道徳的に)も分かる、 でも何だかそれが全て受身になっているように感じます。これまた他人事のようですけど。 自分の人生は自由なんだ、自己創造なんだということをもう一度思い直したいと思います。