文学においての表現と内容
文学において表現と内容のどっちがより大切だと思いますか?
私は内容がすべてだと思っています。
ここでいう内容とは「ストーリー」だったり、「文章の意味すること」で、
表現とは内容を簡潔に伝えやすくするための技法ではなく、どちらかというと「あえてわかりにくくするような小難しい言葉や言葉ずかい」だったり「その場の情景を芸術的にあらわすものです」。
日本の小説や映画にしても内容よりもむしろ、小難しく遠まわしな表現をするものが「いい作品だ」とされているように感じます。
子供の頃、良い作品と推奨された有名な日本の本を読みましたが、つまらないものとしか思えませんでした。私の読解力が足りなかったのでしょう。
特に「風のまたさぶろう」など、周りの成績優秀な友人や大人たちは、宮沢賢治はすばらしいと言っていましたが、私には意味不明でした。
よって、本を読むこと自体あまり好きではない子供でした。
賢明な大人たちは「雪国」はすばらしいと言っていました。
どんな内容なの?と聞くと「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」そして「うーん深い!」といって思慮にふけるのでした。その後はどんなストーリーなのと聞くと、後は一切覚えていないそうでした。
興味はありましたが、またあの手の小説かなと思い読むのをやめました。
中学生になった頃、たまたま学校の行事で、小説のスタンドバイミーを手に入れました。映画でも見たし読む必要ないかと思っていましたが、短編だったので読んでみました。もちろん日本語訳だったのですが、小説に対する感情が180度変わりました。幹となるストーリーは映画と同じく単純なものなのですが、その枝葉には宝物があり、重厚な金庫にではなく、裸か、せいぜい透明なビニールに包まれている程度に感じました。
逆にストーリーなんて枝葉を乗せるための台車に過ぎないんだとも思いました。
本を読んで面白いと思ったのはそれが初めてです。(もっとも、親に進められた本を数冊よんだことがあるだけでしたが)
その後も海外の有名どころをいくつか読みましたが、どれもわかりやすいという印象でした。どうしてこうも違うのでしょうか?言葉が違う、文化が違うといってしまえばそれまでですが、文章とは伝えるためにあるのではないでしょうか?どんなに芸術的な表現であったとしても、本来伝えたい内容を隠してしまうような表現は避けるべきではないかと思うのですがどうでしょうか?自分の無学を棚に上げて書きましたが、少なくとも子供に勧めたいのは海外の作品です。それは難しい作品で文学的に優れた人間になることよりも、わかる人にしかわからない作品でわかった気になるだけの人間になることを恐れるからです。
お礼
お礼が遅くなりましたが、お答えありがとうございました。 「幾世を経て」を採用させて頂くことにしました。 他の回答者の方々もご協力ありがとうございました。