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死んでもいいかなって。

死にたいとは思わない。死のうとも思わない。けど死んでもいいかなって思う。 みなさんもこの気分になったことがありますか?一時的な気分ですか?この気分は健康な精神状態ですか?

みんなの回答

noname#161927
noname#161927
回答No.12

私にもあります。 >死にたいとは思わない。死のうとも思わない。けど死んでもいいかなって思う。 まさにその通りの状態で、もうずっと、何年間もそんな状態です。 >一時的な気分ですか? 私の場合は、一時的ではなく慢性化しています。 私事で恐縮ですが、突然息子が亡くなったときから同じ状態です。 母親なら誰でもそうだと思いますが、我が子は分身のような存在で、自分ではないけれど自分と一体化しているような、そんな存在。(わかりにくいですよね。すみません。) 息子の死によって自分の心も死んだ。私の魂も息子と一緒に天国へ行ってしまった。 そう言っても過言ではないかもしれません。 でも、実際、私は今も生きているし、これからも生き続けなければならないんです。 そんなことは十分わかっています。 死にたいとも死のうとも思わない、けれど、私の魂は天国にあるからいつ死んでもいいんです。 自分の心はここにあるけれど、魂はここにはない、だから死んでもいいかなって。そんな不思議な感覚です。 >この気分は健康な精神状態ですか? 心身ともに健康な人、そんな気持ちになったことがない人から見たら、こんな状態は健康とは言えないですよね。 私にとっては、それが当たり前で健康な状態なんです。 息子の死(交通事故)がトラウマになっていて、それを消そうと思っても消えないからです。 息子が生き返ってくれたら、簡単にそんな気持ちは消えてなくなると思います。 でも、時間を巻き戻すことは不可能ですから、これが今の当たり前の状態。 そう思って開き直っています。 開き直って生きることができると随分らくになれますよ。 背負っている重い荷物が軽くなります。 質問者様が何か背負っているものがあるとしたら、いずれそんな気持ちになれる日が来ますように。 的外れの回答でしたら申し訳ありません。

  • doorakanai
  • ベストアンサー率27% (758/2746)
回答No.11

こういう思考回路に陥るとなかなか抜けません。 何かあったら「ああもう死のうかな」と思うと それ以上その事について考えずに済むから楽なのです。 死を妄想して現実逃避するのですね。 その証拠にあなたは具体的に死ぬ方法を模索してはいない。 観察力や分析力が鈍る、脳にとっては危険な思考だと思います。 何も解決しないからね。 私はこの思考の次にどうしても「ではどうやって死ぬか」が来て 良い方法が見つからず死ぬのを諦め、この思考も捨てました。 考え続ける方が好きな性分だったし、何事か解決する分マシだった。 よって、一時的なものでした。心身共に無茶苦茶不健康な時でした。

noname#163132
noname#163132
回答No.10

10年以上前の話ですが、喪失感から突然そうなったことがあります。 今も時折なることがあるけれど、そのときのが一番強烈でした。 健康な精神状態とは言い切れないけれど、私にとっては、「本当は生きていたい」という意味だから、それは、「いつか再び心から幸せだって思える日が来ることを願っている」ということで、そのために「強くなりたい」という意味です。 以下に書くことは、自分の話ばかりになってしまいますが、よろしければお付き合い下さい。 不要でしたら、ここまでにしてください。 ___________________________________ 10数年前、父親が不慮の事故で亡くなって、母が心を病んでいたころ、夫までリストラがらみで鬱状態に…。夫は、二ヶ月ほど抜け殻のようになってしまいました。 ならば、私はもっと頑張らねば。そう思って気を張り続けていたけれど、引っ越しやら育児疲れで、自覚のないまま、気力体力共に既に底を尽き掛けていたのでしょう。 そんなところに母の言動が止めになりました。 あの頃の私は父だけではなく、自分が育ってきた家庭までも失った、帰る家さえ失った、そんな気分でした。 母は父が亡くなったとき、自分の娘達を身代わりに、仏にあの世に連れて行って欲しいと、父が帰ってくることを願ったそうです。でも、誰の顔も思い浮かばなかったとも言っていました。 いくら辛くても、母からそんな言葉は聞きたくなかった。 例え一瞬でも、それぞれの人生と家庭、夫や子供を持った私たち娘の死を願ったのですから…。 母は姉たちや妹には、そんな嫌な話はしないのに、何故、いつも私にはするんだろう…。 まだ私の娘は幼いのに、そんな言葉を祖母から聞いてどう思っただろう…。 そう思うと益々苦しくなりました。だから、 「母はそれだけ悲しみが深いんだ。今まで経験したことがない苦しみの中にいるんだ。だから仕方がないんだ」そう思って、その言葉を心から消し去ろうとして、忘れ掛けていたところに追い打ちとなった母の言動。とてもここには書けません…。 辛かった。苦しかった。 「私は、この人からは、一生本当の意味で愛されることはないんだ。 この人が身代わりにと望んだのは姉たちでも妹でもなく、私だったに違いない。 私はこの人からは、ここまで憎まれていたんだ。」 子供の頃から母に感じていた違和感。 まだ赤ん坊だった息子にまで冷酷なことを言う母を見て、私はもう、自分を誤魔化すことも心の傷に気が付かないふりも出来なくなってしまいました。 辛かったから考えないように、忘れようとして、でももう気付かないふり忘れたふりが出来なくなって…。 一度に色んなことが重なりすぎて、私は限界だったんだと思います。 最初はひどく眠かった。ただそれだけだったのに、夜中起きていられなくなってしまったので家事がドンドン溜まります。休んでいても、追いつかなくなるから気ばかりが焦って、そのうちに頭痛、めまい、吐き気、窒息感に襲われるようになり、日中も具合が悪くて横になることが増えていきました。 夫は輪番勤務者なので日中家にいることが多く、そんな私を軽蔑し、私は私で後ろめたさから、喧嘩することが増えました。家事はおろか、子供を外遊びにも連れいて行けない駄目な母。子供が可哀想で自分が嫌になりました。 私は母親失格の妻失格の、存在価値が限りなく無に等しい存在に思えました。 だから、「消えて無くなりたい」と願いました。 でも私には、新しい家族がいたんです。 母親失格だと思っても、慕ってくれる子供達がいたんです。 今でも消えて無くなりたくなることはあるけれど、家族がいるから生きています。 私がいなくなると、悲しんでくれる人がいるから生きています。 心の傷に気が付かないふりをしていた頃は、心の痛みを鈍くすることで明るくなれたけれど、認めてしまった今は、どうやったら以前のように悩みを切り離せるのか分かりません。 分からないけれど、月日が流れて行くことで辛い記憶のぶり返しは減りました。 実母に拘ることも憎むこともやめました。母と私の人生は違うのだから。 再び、心から幸せだって言える日が来るように、少しずつ心を強くしていきたい。 家族を守れる存在になりたい。それだけで生きています。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.9

別にいいんじゃないですか? メメント モリというラテン語があるそうです。 「死を思え」ということで、別に自殺の進めではなく、人生は死と隣りあわせだとか、明日には死んでいるかもしれないとか、 哲学的なことです。 だから、「死んでもいいかな」というのは、死とともにある人生をまさに、実践しているわけです。 後悔しないで毎日を過ごす。 私も、ずっと、そう思ってますよ。 過ぎたことは、悩んでも悔やんでも仕方ないし、明日があればこうしよう、あーしようとかは考えますが、 明日、もし、目が覚めなくても、マ、それも人生だと、若いころから思ってます。 別に、達観しているわけではないですが、痛いのは嫌だけど、死んでしまうのは、生まれたときから決まっていることですから。 それを忘れて生活するのではなく・・・ということです。 いたって、健全です。 ダモクレスという王様は、天井から、剣を王座の上につるして、そこに座ったそうです。 そのように、王位というのは危険、暗殺と隣りあわせという比ゆではなく、それ具現化したものとしての「ダモクレスの剣」は 有名です。 これも、「死を思え」でしょうね。 死刑囚のごとく生きよ・・・という言い方も確かありましたね。 「死と隣り合わせ」ということです。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.8

 私も思うよ。でも今生きているから生きてみようかなと。この頃気苦労が絶えなくてね…。  でも、なんとかなるかなと思いながら生きています。普通弱ったときには感じますよ。  それといつ死んでも良いかなと悟ってしまった。思い残すことはいつ死んでも同じだからと。  だけども生きても良いんだなとも。時期が来ればね。その間に出来る事はしておいても良いかなと。  疲れが取れたりすると、あの時の気分なんてどこかに行っておりますがね。

noname#203300
noname#203300
回答No.7

> 死にたいとは思わない。死のうとも思わない。けど死んでもいいかなって思う。  そんな気分のときは誰にでもあるんでしょう。ある意味『健康な精神状態』の証明みたいなものと思いますよ。  で、神経科や精神科に慌てて飛び込むと『うつ病』ってレッテルが貼られるのでしょう。“流行”らしいですからね。  まぁ、涙を流すか、腹を抱えて腸の捻じれるほど大笑いするかして、気分を転換してください。『涙は心の洗浄剤』だそうですが、私は還暦男ですから人前で泣くのも気が引けて、もっぱら後者です。今の時代はDVDを借りてくればどちらも“ワンコイン”で可能です。安いモンです。

  • wpd0m0j
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回答No.6

思いますが、普通だとも思えます。 誰だって、気持ちの浮き沈みあります。精神科いけば、ほとんどの人が、かるい鬱などと言われ、その気になります。 気が沈んだときも、自分のなかで、こんな日もある、今日は気持ちの電池たりないな。こんなときはあがかずにやすんでいよう。こんなもんだ、と、頑張らずに流れに身をまかせています。 そうするとそれほど落ち込みません。 無理して、明るくしようとか頑張ろうとか思わなくていいです。 休息が必要なんですから。 よく休むことで、充電されますよ。

noname#132068
noname#132068
回答No.5

もしかしたら心の病かも知れませんよね でも常に思うのでなければ 突発的に思うなら 誰でも大なり小なりそういう時はあると思います どうせ死はやって来ます わざわざ考えなくてもね

noname#140269
noname#140269
回答No.4

まさしく私がそうですけども、全く同じ感覚です。慢性的なものです。もっとも私の場合、5つの精神疾病を患っているので、ありがちな精神状態であるという事は言えます。失礼ながらluiopさんが特に精神疾病を患っていないのであれば、普通の人ですよね?普通の人でもそうゆう気分になる事はあると思います。ですが、それは一時的なものでしょう。精神が健康であろうと無かろうと、そうゆう気分になる時はあるもんです。余り思い詰めると、私みたいになっちゃいますよ。

回答No.3

思ったことはありません。 生きているのだから 明るい気持ちで生きましょう。精神的に何か悩めることがあるのではないかと思ってしまいます。

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