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躁うつ病と新型うつ病の違いとは?
- 躁うつ病は気分が上がったり下がったりする病気ですが、新型うつ病とは異なります。
- 躁うつ病と新型うつ病は全く異なる疾患であり、混同するべきではありません。
- 躁うつ病患者は勝手な論法や医事法違反になる行為に悩まされることがあります。
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精神の病苦は、一般の人にはなかなか理解できません、これもしょうが有りません。 同じ病苦を持つた人又は身内でないと、つらさや、生き難さは、理解できない物です。 あせらずにユックリで、いいのではないでしょうか、無理をし、焦れば焦るほど、病状が悪くなります。 薬を飲みながらでも、社会復帰できれば、病気が治ったと、考えていいと思います、治療の継続は必要ですが。
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お礼ありがとう。 精神病はすこしケイベツ、のまなざしで見られがちです、そこが一番、頭にきます、それさえ無ければ、普通の病気と同じです。 私の知っている人も、焦り、社会復帰し薬を飲まず、再発し病状が悪化、退院の見込みなし、かわいそうなものです。 負けたくなかったみたいです、健常者と対等に仕事がしたかったようです、そのために薬を飲むのを嫌ったようです。 同じような事にならないように、焦らない、怒らない、ゆっくりで良いと思ってください。
私も躁うつ病です。 この半年程は落ち着いていますがそれまで3年程上がったり下がったりで 苦労しました。 職場では私の廻りにも躁うつ病の人もうつ病の人もいます。 皆結構長い年月をかけて治療しています。 新型うつ病は最近言われるようになった病気かとおもいまが 職場にやはりそれらしき人がいます。 でも躁うつ病と新型うつ病とはあきらかに違います。 ただ病気をしたことのない人は病気にたいしての情報量が少なく 区別も出来ないしどんな感じかもわかりません。 ですから廻りのことを不快に思うのは良く判りますが あきらめて治療に専念しましょう。 まだまだ日本社会ではメンタルヘルスに対する理解が不足しているのです。 私も偏見とか差別で苦労しましたが、今はもう何とも思っておりません。 さんざんめいわくかけたのに、こうして仕事も続けさせてもらって、 給料ももらい家族と生活できているのだから。 出世やお金の事は考えないで、それだけで十分じゃないかと思っています。 むしろ感謝しています。
お礼
メンタルって、 ホントに差別され易いんですよね。 この数年で感じたのは、 健常者の社会には「入って来るな」的な考えのことが多いということです。 出世を強く望んだりはしませんが、 社会で生きる一員として、 自分たち障碍者も努力をしなくてはならないのは、 健常者とは変わらないことだとも思っています。 回答ありがとうございました。
- furi-deruto
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今回主さんのお話を聞き、初めて新うつ病について知りました。 躁うつ病・・・・私も以前、なりかけたか、なっていたか・・・・・嫌な思い出です。 実際に病院には行っていませんでしたが、症状などを見るとそうであったと思います。 周りは本当にあっけらかんと生きた感じで、うつ病に全くならなそうな人にこの話をしたときの言い返しなどを思い出すと、症状がある時の苦しさがどれだけ辛いか・・・・ 今の主さんの話した方も本当に失礼極まりないですね。 新うつ病知っているなら、躁うつ病も知っとけといった感じで。 ましてやうつ病に変な絡みするなんて、そうとう無神経な方だ思われます。 うつ病に全く関係なさそうな人たちは、 というか、人によって小さいことですごく気にする人と、大きいことでも全く気にしない人等、いろいろと性格が分かれますが、 全く人の痛みや苦しみがわからない人には、やはり私たちのようにうつになる人の苦しみや辛さはわからないのです。 だから、どんなにうつ病について一生懸命話しても、救いの手を伸ばしてもそれは冷たく流されるだけ。もしくは更に傷つけられるだけになりえます。100%そういう訳ではありませんが、やはり辛さがわからない人にはわからないものです。 だから、今は考えられないかもしれませんが、 いつか主さんのうつ病が落ち着き、余裕ができたら、 躁うつ病になっている方、なりそうな方が近くにいたら、見つけたら助けられる人になれるといいですね^^ 経験した方でないと、うつ病の人たちを本当の意味で救えないと思います。 無理せず、毎日のちょっとしたこと、 例えば晴れた日の空を見たり、 もうすぐ春が来るので、花や木などの開花までの成長なんかを見て、 ちょっとした幸せに心がほっこりしたらいいですね^^ 私の住んでる家の近くに桜の木が一本大きく立っていますが、 きっとこれから蕾ができて、桜がさいて、すずめが飛んで、温かい春風が吹いて、緑が多い茂る・・・・・ 今から考えるてもすごく楽しみです。 そんな楽しみを是非考えながら、このコメを読んでいただけたらと思います。 長くなりました・・・・・
お礼
回答ありがとうございます。 自分のような精神疾患患者でも、 やっぱりどこかで苦労や努力をしなければ、 個人的なことですが、 働いたり、買い物をしたりという、 日常的なことができたりするのに、 必要なことなんだな、とは思っています、 つい、他罰的ではなく、 自己罰的になっていて、 一歩が踏み出せないんですよね。 もし自分が他罰的な性格だったら、間違いなく、社会に出ていて何が悪い? といったような態度になっていると思うんですが、 そういう自己罰的なことがまったく理解してもらえない社会って、 どこかが歪んでいるんじゃないか、と考えたりもします。 だからこそ、政府も重い腰をやっと立ち上げて、 精神疾患を5大疾病として取り扱うことにしたんでしょう。 うつ病も統合失調症もかなり増えている? というか、社会的に目だって来たから、 政府もテコ入れする気になったんでしょうね・・・。 遅いというか、何んというか、ですよね。。。
私も過去に躁状態、鬱状態を体験しましたが、 確かに尋常じゃなかったです。 あれは体験した者でないと分からない感覚なのかもしれませんね。 私だって、あんな気分がズドーンと上がったり、下がったりすることなんて、 発症前では想像もできませんでしたから。 ただ、今思うに「新型」とか、なんとか色々言葉が分散しているけれど、 結局は同じベクトル上の話で気分の上がり下がりの振り子が人それぞれ違っている、 というシンプルな話になってくるのだと思います。 躁鬱を体験する人は、それだけ感受性が強い、いや強すぎるのかもしれませんね。 でも、それが悪いわけではないと思う。 感受性が強いから色々な発想が出来たりするってプラスな面もいっぱいあるだろうし。 俗に言う「新型」といわれる人たちは、感度が低い分、 振り子がゆっくりなんだと思います。 鈍感といえば、聴こえは悪いけれど、 極限を体験しなくて済んでいると思えば、ラッキーなのかもしれません。 新型だって、ストレスの連続に耐え切れなければ、 おそらく何時かは躁転してしまうでしょう。 人それぞれ、ストレスに耐え切れるコップの量が違うのだと思います。 私が不思議に思うのは、 なぜ鬱の極限にパチンコ球が飛ぶかのごとく躁が存在するのか? この理由が一番知りたいですね。本当に謎ですよ。(^^;) でも、今こうやってざっくばらんに書けるのは、ありがたいことです。 あなたも一歩一歩、ですよ。
- CrazyInVain
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お怒りもごもっともです。 現時点の日本では各精神疾患の病状や メンタルヘルス対策の周知の徹底は まだまだ進んでいません。 誤解されることも多いかと思います。 しかし、最低限付き合わねばならない方や 自分を支えてくれる方には 自分の病状をある程度分かり易く説明することが 必要なのは止むを得ないと存じます。 それ以外の無理解な連中は無視してよいでしょう。 精神疾患に罹患された方には 何の罪もありません。 まことに微力ながらご健闘をお祈りいたします。
お礼
どうもありがとうございました。 やっぱり世の中は健常者のヒトたちのものであって、 自分のような精神疾患患者は理解してもらいずらいんだな、と 実感しています。 ただ、他の病気、 ガンだとか、胃潰瘍などの一般的な病気にかかってしまうヒトたちだっていますよね、 でも、精神疾患は他の一般的な病気とは区分されてしまうのが、 ちょっと腑に落ちないですかねぇ~。 いずれにせよ、精神科には一生通院しなければならないのは、 もうどうしようもないとは思っています。