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真の意味での統一理論
私は物理学について詳しくありませんが超弦理論は、 たとえ完成されて現実を巧く説明することができるとしても真の意味で統一理論ではないと思います。 真の意味で統一する為には、少なくとも下の2点について解明しなければならないと思います。 1. 弦の結合・分離条件 と 振動状態を決定する要因やパラメータを統一する必要がある 2. 弦を構成する要素を点(ないし剛体)の正体まで突き詰める もちろん超弦理論が完成することで4つの力を統一的に記述できるようになれば、 それの意義はあると思いますが、その段階では真の意味の統一とはまだ言えず、 言うなれば、擬似的な統一に過ぎないように思えてなりません。 このような考え方は間違っているでしょうか?
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自分は間違っていないと思います。以下、コメントしますが、かなりの受け売りです。 1.について 超弦理論がそもそも期待されたのは、素粒子の標準模型が100を越える任意定数を持っていて(値は実験で決める)、実験結果から任意定数を定めれば、ほとんどあらゆる現象を説明できるのだけれど、それでは統一理論ではなく、いわば高級な現象理論でないのか?、という問題意識からです。超弦を想定し、その運動に関する数個の仮定さえ認めれば、素粒子の標準模型の100を越える任意定数の根拠を説明できるかも知れない、というのが当初の期待でした。だから問題意識はいっしょなんです。ただし現在、当初の期待には、かなりの疑問符が付いています。 2.について こっちの方が、より本質的と思えますが、近代科学は「それをあきらめた」という意見があります。ここで誤解して欲しくないのは、「弦を構成する要素を、点の正体まで突き詰める」事を、あきらめる事とは違うという事実です。 現在の物理は、常にメカニズム(機構)を追求します。なので超弦理論が素粒子の標準模型を説明できたなら(現在は出来ていないと思いますし、あらぬ方向へ逝ってる気がします)、その時点から、超弦を成立させる機構は何か?、という研究がいずれ始まる気がします。その時想定されるのは、超球だったり、超三角形だったりするかも知れません。 しかし超球なり超三角形が正しいだろうと判明した瞬間、再び「超球や超三角形が成立する機構は何か?」と始まるわけです・・・。この無限連鎖を「積極的に」認めてしまった事が、「それをあきらめた」の意味です。現在の物理は、現象を説明するより原理的な対象に、その「現象が何故成り立つか?」の責任を、責任転嫁しただけだと、はっきり認識しています。 これを、 ・近代科学は本質追求(何故そうなるか?)を積極的に却下し、「どのように振る舞うか?」にだけ注目した. ・故に部分合理的体系である事を、積極的に受け入れた. ・それが近代化という事であり、中世に比較した、その理論/技術両面における優越性と生産性は、現在のところ疑いようがない. と表現する人もいます。 (例として、観測問題を含んだ量子力学がありますが、部分合理系である「それ」に基づいて、コンピューターもプラズマテレビも出来ています) という訳で、現在の態度としては、「一歩一歩」という事になると思います。自分は20世紀に生まれたので、この方針は、否定できません。