一般的(と書くと語弊があるかも知れないが・・・)に、『科学・技術』の進歩に終わりはないと言われています。
飛躍して欲しいと言う「願望」も込められているとは思いますが、実際にも「終わり」はないと思います。
と言うより、「終わり」があるはずがないと考えます。
人間が、「自然界、又は宇宙」に存在している以上、人間の「現象に対しての『知』」が、自然界や宇宙に限りなく近づくことはできても、越えることは絶対不可能なわけで・・・。
例えると、1分間に100l流す能力のある水道の蛇口に、1分間に50l流す能力のあるホースを取り付け、そのホースの先に、1分間に30l流す能力のある別のホースを取り付けて庭に水を撒く場合、水道の蛇口からどんなに水を能力いっぱい送ろうとしても、庭に撒く水は1分間に30lを越えません。
これとよく似ています。
「自然界、又は宇宙」が1分間に50l送る能力のあるホースで、その中で生きている人間は、1分間に70l送る能力があるホースかも知れませんが、でも絶対に50lを越えることは『不可能』なんです。
この宇宙の自然に支配されている以上、絶対に不可能!。
別の世界から見ることができると、この宇宙のすべてと、それ以上のこともわかったり理解できるとは思いますが・・・。
余談(?)が長くなりました。
まぁ、「仮に」と言うことでの質問だと思いますので、考えさせていただきたいと思います。
すべてが解明されてしまえば、もちろん生命に関してのあらゆる問題も解決しているので、自分がいつ死ぬのかかも明白に知るわけですよね。(パラドクスが生まれるかも・・・)
未来のことも過去のこともすべて知った人間に、『今』を生きることに何の価値があり、存在していること自体に意味を感じなくなるのではと思います。
そもそも「社会」など存在せず、生活だとか有意義だとか、快適などと言う感覚さえ存在しないと思います。
医学だとか薬品などは論外。
現在の環境や社会を基準にして考えるには、かなり無理がある「もしも・・・」だと思います。
他の学問はともかく、『生命』に関するすべてが解明されると、知恵があり高い知能を持つ『人間(人類)』は、この世界で生命を維持する理由を失うと思います。
逆に、「知らない」から明日を信じて生きて行けるのではと思います。
burahumanさんの言いたい気持ちは理解しているものの、やはりいくら百歩譲ってもこう言う流れの結論になってしまう。
お礼
回答ありがとうございます 学問的に未解明な事が無くなった世界では人類が直接恩恵にあやかれる研究のみが残り結果多くの人々が幸福になる筈だが生まれた時からその環境では幸福感はない。 世界中の人間が幸福になっても少しの不平等を針小棒大に考えやはり破壊や殺戮が起こるような気もします。