まず、「馬鹿」って言葉を他者に向けて言うときのことを考えてみよう。
人は馬鹿として生まれてくることは、まず、ないよね。
ここでは頭に障害を持って生まれてきた人のことは入っていない。
なぜなら、「馬鹿」って普通「罵りことば」、「決めつけことば」として使うでしょ。
生まれつき馬鹿の人はいない。馬鹿ってスタティックな状態ではなく、
ある日、ある時、何かをしたり、何かを言ったりした、その内容について、評価する気にならなくて「馬鹿馬鹿しい」とか、程度を超えて「常軌を逸している」とかに対して、「馬鹿!」ってふつう言う。
それは、ふつう、自分以外の誰かが自分の考えや行動を評価して言う。
あるいは、ふつう、自分が誰かの言葉や行動を見て評価して言う。
全能なる神はあなたをいつも見ています。こころの中のありようも呟きもすべてお見通しです。行いでは当然のこと、こころの中でも邪なことを思っても考えても煩わされてもいけません。なぜなら、神は、あなたの行いが神のみ心に忠実であるかどうかで死後の永遠の安楽を約束するからです。
と心底信じ切っている者以外のひとは、この世で生きていくその生活の幅、人間関係の幅、行動の幅、口をついて出てくる言葉の幅を、他者もある程度共通に持っていると了解して暮らし、行動し、関わりを持つ。時代や地域やそれぞれの生活信条により多少の違いはあっても、目に見えない「それ」は、はみ出すと強烈なカウンター・パワーを返してくる。
常識とか良識とか呼ばれる、そのある程度の範囲内に、その行動や言葉や関わりがあれば、一応、「馬鹿」って言われずに済む。
Otamaさんが、津波の映像を見て、血沸き肉踊る思いをしようが、それはOtamaさんの勝手となります。思うのは勝手。変態趣味であろうがなかろうが、1日のうちの大半を妄想とともに暮らしていようがいまいが、それはOtamaさんの勝手(家族は大変かも知れないけど)。
ただし、それが、変態趣味や妄想が、自分の枠を超えてはみ出すと、途端に他者の評価に晒される。それは他者の中で生きている以上避けられない。
だから、思っている時点でではなにもない。
ここで、他者の評価を求めた時点で、君はカウンター・パワーを受ける。そして「ただの馬鹿」という評価を頂戴する。
繰り返すけど、犯罪じゃなければ、他者からの「馬鹿」っていう評価は、叙述限定用法の形容詞にならないからね。
ここまで書いてきて、Otamaさん、きみは基本的に「構ってちゃん」なんだな、と思う。
それは別に悪いことじゃない。他者との関わりでは程度の差こそあれよくあることだしね。
別の人からは殆ど評価に結び付かない「質問の連投」も面白いと思うよ。
よくそんなに(失礼ながら)下らない(っていうか、ちょっとは自分で考えてみれよ、という)質問を次から次に考え付くなぁ、と率直にそう思う。
でも下らないからといって、排除しようとは思わないな。
排除したいというか、少々辟易してきたのは、質問を多発することより、回答を得てきても質問者に、全然、そして一向に成長が見られない、ということかな。
もちろん、ここは個人の成長を促す場じゃないから「十年一日」も許容されている。
でも、これも程度問題。質問して回答が得られたら、質問の内容を自分なりに深めるとか、そういうことは興味がないのかな、と思う。
だから、ただの「馬鹿」ってことなのかな。
ある質問で回答を見事に「誤読」して覚醒した「ひとのみち」さんも面白かったけど、Otamaさんも別な意味で面白い人なので、少しずつでもいい方向で変化していってもらえればいいのかな、と思います。
3月も終わりになってきたけどまだまだ寒いので十分自愛してくださいな。
ほんじゃ(^^)/。
お礼
なるほど、面白い喩えですね。 じゃあ、Pさんが革命家で、私は突撃隊長になりましょうか。 しかし、NPOしたいけど、資産無いと無理だな~ NPO貧困問題対応 NPO世界大革命 後者は、 貨幣制度の廃止 国会の廃止 企業制の廃止 です。すでに代替案はできあがっており、どこかでテストしたり、 スパコン使ってシュミレーションしたりしたいのだ。
補足
>つまり馬鹿だから逆に輝けるということです。 いい言葉を頂きました。 本当にありがとう。