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犯した罪の罪悪感にさいなまれる中学生の過ちとその後の悩み
- 中学生の時、とあるお店で値札の貼り替えをしてしまい、罪悪感にさいなまれます。
- うちが貧しいため、お小遣いもわずかで服はお下がりでした。
- 犯罪を犯し、二度目もやってしまいましたが警察官の方に諭され、約束を交わしました。しかし、罪悪感にさいなまれ、償いの方法を模索しています。
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質問者が選んだベストアンサー
相談者さんは、いい人に恵まれて「更生」できています。 今度は、先に書いたように「お母さん」を大切にしてください。 頑張って下さいね!
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貧しかったから… 「○○だったから」なんて自分の背景を語る必要ありますか? 償いたいなら、別にいらない情報です。 「単純に責められないね」「あなたも大変だったんだね」 「これからはお母さんを大事にしてね」 って、その時許してくれた人々のように思ってほしいのかな? だったら、償いたいなんて題名じゃなく 「私のした事は罪だけど悲しい事情があったんです」だよね? まずは弱い自分と向き合わないとダメ。 今のままじゃ、償う以前の問題です。
お礼
ありがとうございます。弱い自分も確かに居て言い訳だったのかもしれません。向き合うキッカケはここに勇気を出して書き込みをしたことから始まります。前向きに頑張ります。
- カルキノス(@Karkinos)
- ベストアンサー率30% (146/486)
僕も罪を犯したことがあります。 長くなりますが……昔話から始めさせてもらいます。 僕は寂しい幼少期を過ごしました。 父は、僕が寝ているうちに仕事へ行き、僕が寝たころに帰って来ていた。 だから、たまに父と顔を合わせても「このおじさん誰?」と泣いていたらしいです。 母は、弟が先天性の病気で生死の境を彷徨っていたので、そちらに掛かりきり。 おかげで僕は、一番甘えたい時に甘えることができなかった。 「よくできたね」と誉められたことも、頭をなでられた経験も、抱きしめられた思い出もない。 そんな僕にとって、唯一の心の拠り所だったのが幼なじみの女の子でした。 もう顔も声も思い出せない。共に過ごした時間は一年にも満たない。 ──それでも世界で一番大切な人。 ある日、彼女が引越すことになった。 理由は彼女のお父さんが亡くなったから。 僕はどこへ引越すのか訊いて。彼女は確かにその住所を口にした。だけど僕は知らなかった。 だから、家に帰って母に訊いた。母は「そんな所はない」と言った。 僕が聞き間違ったのか。彼女が言い間違ったのか。それとも母が知らなかっただけなのか。 ……手掛かりがゼロになった。 今考えると住所を知る方法は他にもあった。 彼女の友達に訊く。担任の先生に訊く。市役所へ行って訊く。 でも、無知な当時の僕は何も思いつかなかった。 幼いころの世界は小さくて、一つ一つのピースが大きかった。僕の世界の99%は彼女だった。 だから、彼女がいなくなった途端に僕の世界は色を無くして灰色になった。 全てがどうでもよくなって。生きることすら面倒で。 友達が野球やらサッカーやらを楽しそうにやっているのを見て、何が面白いのか理解できなかった。 小一で、ですよ。我ながら冷めた嫌な小学生だったなと思う。 退屈でつまらない毎日でも、生きてさえいれば彼女にまた逢えるって思って生きてきた。 だから、幼い僕は待ち続けた。 一度目の夏休み。彼女は来ない。きっと忙しかったんだ。 一度目の冬休み。彼女は来なかった。きっと用事があったんだ。 春休み。来ない。夏休み。来ない。冬休み。来ない。また春休み……。ずっと待ち続けた。 趣味で心の隙間を埋めながら。 アニメにマンガにゲーム。空想に逃げてるわけじゃない。 現実に立ち向かうためのエネルギーを得るために。 小学校を卒業、中学へ入学し卒業して。 高校へ入学。 1999年の七月。ノストラダムスの大予言。 世界が滅ぶならそれもいい。いい加減、生きるのも疲れた。 でも時は何事もなく進み続け、高校を卒業。 「なんであの子は会いに来てくれないんだろう?」 考えて、気づいた。 ……来るわけがない。来れるわけがない。 あの家はお父さんとの思い出が詰まっている。 その思い出が楽しくて幸せなほど、辛くて悲しいものに変わるのだ。 あの家は、彼女のお父さんが亡くなった場所だ。 ……僕に会うためなんかに帰って来るわけがない。 あの時、僕は彼女に何を言った? 「次はいつ会える?」「また会えるよね?」「どこへ引越すの?」 自分の感情を優先しただけだ。 慰めの言葉一つ彼女に掛けなかった。 「死を理解していなかったんだから仕方がない」「子どもだったんだから仕方がない」 だからなんだ? そんなのは言い訳だ。 気持ちが「逢いたい」から「逢って謝らなきゃいけない」に変わった。 でも。 僕は待っていただけで何も努力をしていなかった。 逢う努力も、彼女に相応しい自分になる努力も。ただ怠惰に生きていただけだ。 嫌われてるかも。忘れてるかも。病気になってるかも。怪我してるかも。他に好きな人がいるかも。 そんなことを考え出して逢うのが怖くなった。 「こんなヘタレの僕には、彼女に会う資格なんてないんじゃないか?」 そう思うと逢うことも赦せなくなった。 このころ、僕はもう一つの真実に気づいた。幼い日の自分の過ちに。 下記質問の回答No.7を参照してください。 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6540703.html ……後半に続きます。
お礼
そうだったのですね。寂しい幼少期を過ごされてですがこのように未熟な私のためにご自身のご経験を語って下さるそんな強く優しい人になりたいです。前半だけで気付かず締め切ってしまい、ごめんなさい。でも罪は犯していないです。幸せになって下さい。
あなた自身がきちんとその様に思っているのであれば、そして今現在、きちんとした社会のルールを守って生活しているのであれば、充分に償いは出来てると思います。いつまでも引きずっていたら、お母様にも、寛大な処置をしてくれた店の人にも、警察官にも「失礼」になります。少なくともお店の人や警察官はあなたが「立ち直る」事を前提に寛大な処置をしてくれたのですから、死にたいとか、私は最低だとか、そうゆうネガティブな考えは止めて、前を向きましょう。それをお母様も望んでいる筈です。
お礼
みなさん、本当にありがとうございます。そうですよね、ずっと胸に抱えて誰にも話せないまま過去の記憶で自分を責めました。これ以降は犯罪はやっていません。母の幸せを願います。私頑張ります。周囲にそんな風に思っていただけていたと考えてしまいました。私が死んだら母も悲しみますよね、私は更正出来たと胸張って言えるように頑張ります。
- yamato1208
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今の気持ちで、十分償いはされています。 今度は、お母さんを大切にしてください。
お礼
ありがとうございます。この気持ちで償えているのでしょうか? 母は誰にも言わないでくれました。私を信じてくれました。私は自分なりに頑張って、家計を微力ですが支えています。 そのお店にも匿名でお金を置いておきました、手紙を書いたので私だと分かっていると思います。 それでも、過去に犯した罪に悩みます。自分が情けないです。 でも母を大切にします。ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。母の悲しみの涙は私にとって何よりもみたくないものでした。ありがとうございます。頑張ります、マイナスな考えからやっと解放されました。