簡単に説明いたします。
パリには欧州の他の都市とは違って、排他的でなく
外国人の画家が住みやすい環境があったからです。
またもともと、欧州の文化を受け入れる素地もありました。
特に多くの芸術家が集まった時期がありました。
エコール・ド・パリといわれる時期です。
【エコール・ド・パリ】
パリに定住し、絵の制作を励んだ外国人芸術家の集団をエコール・ド・パリといいます。
彼らは第 1 次大戦前後から第 2 次大戦前までの間の
時代に、パリに定住しました。
【パリの街】
なぜパリに定住したかというと、若者の多くはユダヤ系であり、
祖国を持たない若者が住みやすい町であったこと、
若く貧しい芸術家たちが創造的な絵画の発表の機会が多かったことがあります。
この時期のパリでは,毎年定期的に開催される団体展 が 20 以上、
個人画廊は 130 店があって世界で一番発表の機会が多くありました。
住んで絵画の制作に励んだ画家は6万人といわれています。
【エコール・ド・パリの画家】
画家たちは貧しいながらも、薄暗いモンパルナスのカフェに集っては、
毎晩、酒を飲み、芸術論を交わし、自らの絵画を模索していました。
そうした画家の中には、
モディリアニ (イタリア)、スーティン (リトアニア)、
シャガール (ロシア)、フジタ (日本)、パスキン (ブルガリア)、
キスリング (ポーランド)などがいます。