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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:”必要”の違い   素朴な疑問)

「必要」の違い 素朴な疑問

このQ&Aのポイント
  • 人々の「必要」という概念は個人によって異なることがあります。
  • 損失を受けた場合にも、その損失の大きさや重要性は人によって異なります。
  • 人との関係や感情においても、相手との価値観の違いが問題となることがあります。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Cobalt_X
  • ベストアンサー率34% (144/419)
回答No.1

どうも。 正に「必要(価値観)の違い」ということじゃないんですかね。 >”何をどの位必要としているか”は人それぞれ違います。 >Aさんは10。Bさんは100。Cさんは1000。 では、その10とか100とか1000はどういう基準で決めたものなのでしょうか? 客観的にみれば、10/100/1000と違いが出るものなのだと思いますが、AさんBさんCさんにとっては、各々それぞれの方が必要に応じて所有や消費をしているものだと思います。 結果的に、それが当たり前になっているそれぞれの方から見ると、「全員心持ちは(例えば)10」なのではないでしょうか。 それが「当たり前(各人にとって心持10)」になっていれば、Cさんは実質10のAさん目線では物事を判断することは難しいでしょう。 同じように、Aさんは「実質が1000で、心持10」のCさんの気持ちは理解できない。 その差じゃないでしょうか。 ・10を持つAさんから見た場合。 おっしゃるようにCさんには90残ってます。確かにAさんよりは多いです。 でも、Cさんの損失の割合は91%ですよね。 結果的に、Aさんの所有が1と同じになっただけのショックを受けています。 90残っていて、実質自分の9倍もあるから「またどうにでもできるよ。がんばろう」という意見は、当然の事ながら「極めてAさん基準のものの見方」となります。 質素に生きることが好きっていうのも、Aさんの価値観であり美徳だと言えます。 Aさんは「生きている内に自分の稼いだ金は使いきっちゃおう」なんて考えている方の価値観は、到底理解できないでしょうね。 でも、そういった考え方も間違いではないです。 ・BさんやCさんから見た場合。 これもおなじですよね。 Bさん:自分より資産が少なくなって同情=極めてBさん的なものの見方。 Cさん:まだ90残っているにも関わらず、資産が91%減になって大ショック=極めてCさん的なものの見方。 「質素に生きることを信条」としているAさんの考え方は、理解不能でしょう。 こういった価値観の違いは、どちらが正解でどちらが誤っているなんて事はいえないです。 >Bさん、Cさんの基準によってAさんは強引に裁かれ、友達としての縁を切られました。しかもまるで悪人呼ばわりされて。 これも既に書かれていますね。「B/Cさんの基準(ものの見方)」で裁かれて・・・です。 >Aさんからしてみればとんだ迷惑です。Cさんの贅沢はそんなに必要な物か?と問いたくなる。 当然Aさんはそう思うでしょう。 でもこれも、B/Cさんと同じですよ。 「そんな必要なものか?(贅沢者)」と思うのは、「Aさんの基準(ものの見方)」で裁いているのではないでしょうか。 >Aさんはなぜそんな目に遭わなければならないのでしょう。 一見すると、Aさんが一方的な被害者の様にも取れますが、割合はあるにしろAさんにも原因はあると思います。 ・B/Cさん基準でものの見方を出来なかったAさん。 ・Aさん基準でものの見方を出来なかった、B/Cさん。 ・同情が欲しかっただけなのに、同情しなかったAさん。 ・「Aさんが同情しない」という理由だけで悪人よばわりする、B/Cさん。 それぞれ3人が、自分の価値観で(悪人よばわりするのも一つの判断:価値観)行動した結果だと思います。 このように、それぞれが原因を作っていると思います。 あくまで自己を通す生き方をしたいのであれば、友人を新たに作っても「同じ結果」だと思います。 友人や夫婦、その他人間関係においても、それは変わらないと思っています。 誰かがどこかの時点で歩み寄っていれば、結果は違ったと思います。

noname#207138
質問者

お礼

歩み寄りですよね。 お恥ずかしい話ですが、私が問題として取り扱っているものに於いても同じ歩み寄りが大切だとは言えるのですが、非常に困難で半ば非現実的とさえ思えてしまいます。 そうした中、歩み寄って仲を良くするよりも、マイノリティに押し寄せる波を振り払う方に重点が置かれていました。 この件に於いてマジョリティ中にマイノリティの気持ちが解る人にあった事がありませんし、もう既に期待する力すら底をつきかけています。 お答え頂いておきながら申し訳ありませんが、疲れるので止めさせてください。 本当に申し訳ありません。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • marun_2008
  • ベストアンサー率26% (268/1004)
回答No.2

Aさんは対人の処理があまり上手ではないようですね。 他人ならそのままCさんを放置すればいいですが、 友人なら歩み寄って一旦同情するのが、友人関係だと思います。 「それでも俺の9倍じゃないか」というのは励ましの言葉であって、 気持ちの歩み寄りの話ではありません。悲しい体験をしたら、 まず共感し、慰めて欲しいのが人間だと思います。 ある悲しみに対して歩み寄りがないということが冷たいのだと思います。 たとえが極端ですが C「1000人の友達がいて910人が死んだ、残りは90人しかいない」 A「俺には10人しか友達がいない、君には90人友達がいるから   いいじゃないか」 という人がいれば、やはり冷たいです。 想像も歩み寄りもしないなら「友達」と呼ぶのは、難しいですね。 まずは、タイヘンだったねと同調するのが友人でしょう。 ただ、経済格差の話でしたら、日常から経済観念の話に歩み寄るのが Aさんにとってストレスがあるのは極めて一般的なことですから、 そもそもAさんはCさんと友人関係と続けるのは非常に困難だと思います。

noname#207138
質問者

お礼

こんにちは。 地震のせいか、ずっとページは見れても投稿できず、今チャレンジしたらたまたま書き込み可能になりました。 No1の方、そういう訳ですので、No2の方に先に返事をさせて頂きます。 さて、だいぶ前から自分が普段考えている事を人に伝えて、一緒に考えたり、考えてもらったりするためにたとえ話を使用して来まして、ある時期にあまりにもすれ違いが多すぎるので疲れて止めていました。 その時の虫が声をだして今回またたとえ話を用いましたが、やはり無理なようです。 まぁ、自分自身がこういう種類の事をこういうたとえ話で言われても何を言おうとしているのかにたどり着けるとも思えません。 海の水を一つのバケツに詰め込もうとする様な行為でした。 お答えありがとうございました。