創価学会は戦後の混乱期に困った人を助けていたそうです。
人は能力に差があるので、混乱時にはどうしても能力がある人がいち早く危機を脱出でき、能力が無い人が取り残されるという形になった。
その取り残された人々をお互い助け合おうとやってきたらしいです。
能力がある人がいち早く回復し、その威力の影響で能力があまり無い人も利益を得られるようになり、見えないところで力が働き能力がある人が能力があまり無い人にも恩恵を与えるという形になり、復興していったようです。
高度成長になって、差が歴然としたわけですが、慎まししい生活を恥じることなく毅然と生きるということで、物質的な豊かさには価値はなく精神的ゆとりある暮らしにこそ人の幸福があるとする考えは、弱者(能力があまり無く裕福な暮らしができない人)にとって受け入れられたわけです。
キリスト教もそういうところがあり、聖貧こそ天国への近道という教えがあり、ニーチェは「その言葉の裏には妬みや嫉妬が隠されている」と指摘した。
おおっぴらに聖貧の生活を誇らしいという人は清い人だと言えないと指摘したわけです。
で、高度成長で能力の差から生活の質の差が大きく開いてしまい、結局生き延びはしたが上を見たらきりがなく、どんなに苦労して働いても、裕福な人のようになれない人に、精神的豊かさこそ美なり という教えは受け入れられたわけですが、一番受け入れられた理由は生活保護。
生活に困っている人に「働くよりも生活保護を受けた方が楽になりますよ」といい、「会員に議員がいますから、口利きしてすぐに生活保護を受けれるようにしてあげますよ」と融通をして助けたのだそうです。
生活保護を受ける方が収入があるので、仕事をやめて生活保護を受けて、時間とお金にゆとりができた人は、自分にそういう情報を与えてくれ助けてくれた人に恩義を感じるわけです。
なんていい人なんだ、この人が宗教は良い宗教だ となった。
それでもっと精神的な豊かさを求めて、入信していったのだそうです。
よく集まって説経があるので、それに参加すれば知的欲求を満たせ、俗世の人とは違う知識を得られたとして優越感すら持てるわけです。
時間が余っているので集会の度に参加でき、精神的満足度をアップできる。
さらには本を買うわけですが、本を買うにあたり働く必要がなく、全部生活保護という国民の相互扶助費を受けているので、自治体からもらった生活扶助費の中からお金を払えばいい。
自分は一切損することなく、悠々自適な生活が送れるようになった。
選挙の時には自分に融通をしてくれる地域のその宗教の会員の議員を当選させれば、生活保護がカットされるという危険が無くなる。
だから選挙活動に必死になって自分のためにこの議員に一票入れてくれ とは言わないが、「とってもいい人だから入れてね」と宣伝するわけです。
最初は本当に焼け野原で困っている人たちを助ける良い団体だったことは間違いが無い。
戦後の初期の頃のメンバーの人から 成り立ちを直に聞き、助けられたという話や、その後の変容を聞かされたので知っている。
初期の頃からのメンバーのその人は神様など一切信じてはいないと断言していた。
だけど、仲間がいるし、師匠みたいに扱わ先生と呼ばれ慕われ自分の存在が他人にとって必要だと強く感じられるので、今の立場にすごく満足しているのだそうです。
確かに説経を聞くとなるほど と思うが、現実とは関係無い不確かなこの世の中をこうだと断言するような発言は、ちょっとイタイと思ってしまう。
「はあ はあ そうですか すばらしい考えですね」と否定することなく聞かされるこっちの身を案じてくれない。
が、こっちの人格すら否定して自分がいかにすばらしい人間であるかをタレだしたときキレてとうとう「傲慢すぎる」といって大喧嘩してからは、目で会釈する程度で、とっつかまって暇つぶしに説経を聞かされることは無くなった。
まさか 私が反撃するなど夢にも思わなかったらしく謝ってきたが、何が悪かったのかとうとうわかららなかったみたいで、その程度の人が高尚なことを言ってまるで自分が偉い人だと妄想するのが、この宗教の信者全員の特徴だといえると思った。
火事場で売名行為をしだすんじゃないでしょうか。
「われわれはこんなにまでボランティア活動をしましたよ って売名目的で活動をすると思いますよ。
補足
共産主義ですか?