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満州関東軍と開拓団について
関東軍は日本本土の軍部との関係はどうだったのでしょう 関東軍はどうして開拓団をまもらず逃げたのでしょうか 現在では国民を守るのが政府であり軍隊だとおもいますが 守らなければどうなるかわかっていてなぜ逃げたのか 教えてください
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- head1192
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なぜ逃げたかという疑問には答えられない。 軍全体が統一した意思のもとに逃走したならたしかに逃げたことになるが、それを証明することができないからである。 本土との関係はどうだったか。 これは極めて複雑である。 これを理解するには「天皇大権」のことを知らなければならない。 戦前日本は天皇の国である。 天皇主権で天皇がすべての権力を握っていた(総覧)。 しかしそれでは巨大で複雑な近代国家を運営することはできない。 複数の人間がチームを組んで運営にあたらないと、とうてい国家を切り盛りすることができない。 こうして天皇から「臣」に、国家を運営するに必要な権力の一部を委託することになる。 これが「天皇大権」である。 この天皇大権の源泉は当然天皇にあり、分け与えられた臣同士は同格である。 天皇大権は政治の世界では総理大臣や国務大臣、枢密院議長などに与えられた。 戦前は総理大臣と国務大臣は同格だったのである。 宮廷序列や俸給での差はあるが、権力という点では同等だった。 だから閣議で意見が合わないときは総理大臣は国務大臣をクビにできず、総辞職するしかなかった。 軍隊の場合、天皇大権は軍の大臣や参謀総長、軍司令官や師団長などに与えられた。 なんと参謀総長と師団長は同格なのである。 さすがにこれでは指揮系統に支障をきたすので海軍では「艦隊司令長官は海軍大臣ならびに軍令部長の司令を受ける」と通達された。 陸軍でも同様の通達はあったはずだが、それを無効化したのが皇道派と統制派の抗争と満州事変、さらに二・二六事件にいたる流れである。 関東軍と本土との直接の関係ではないが、当時の陸軍中央でささやかれていたことが当時の陸軍の内情をよく表している。 「たとえ不可と分かっても押し通さないと左遷されて二度と中央に戻れない」 我が身が可愛いのは軍人も同じである。
- eroero4649
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軍隊というのは本来は中央集権されているものですけれども、しかし特にどこかの辺境や本国から離れた場所でいちいち中央にお伺いを立てていたら適切な対応ができません。 なのでそういう場合は現地の大将に大きな権限を与えることがあります。例えば「征夷大将軍」なんかがそうなのです。 関東軍も日本からは離れていたので監視がきかないというか、現地でいろいろとやっていたので中央の指示になかなか従わないで勝手をするという傾向はありました。日本は文化的にそういう下剋上が起こりやすいのを持っているのです。 で、質問者さんがいっているのは1945年にソ連からの侵攻を受けたときに関東軍が崩壊してしまったことを指していると思います。 関東軍は対ソ戦のための装備や訓練を行っていたので、本来は精強な部隊が多くありました。しかし太平洋戦争の戦況が深刻化する中で、関東軍の一線級の部隊を使わないのはいかがなものかということで、どんどん部隊が太平洋方面に引き抜かれたのです。例えばペリリュー島の戦いで米軍を苦しめた歩兵第2連隊は、満州に展開していたエリート部隊でした。 そんなわけでして、戦況が切羽詰まって日本本土も焼野原にされていた1945年の時点では、関東軍は戦力が引き抜かれるだけ引き抜かれて、スッカスカの状態になっていたのです。 後を埋めていたのは徴兵されてロクに訓練も受けていないような部隊でした。ウクライナに派遣されているロシア軍の招集兵みたいな感じです。 そこに対ドイツ戦を終えてシベリアに転送されてきたソ連軍部隊が襲い掛かってきたのです。彼らはドイツという当時最強のハードな敵と戦ってきた装備も充実していれば歴戦の古強者でもあったので、招集兵の部隊なんて文字通りの鎧袖一触だったのです。 それで、士気も崩壊して総崩れになったのです。総崩れになった軍隊っていつの時代でもどこの国でも同じようになりますよ。最近のよい事例が、アフガニスタン国軍ですよね。文字通りに総崩れになり崩壊しました。大統領はヘリコプターに積み込めるだけの札束を積み込んで逃げるというアニメのような逃げ方をしました。
お礼
ご回答いただきありがとうございました 勉強になりました
- fujic-1990
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> 関東軍は日本本土の軍部との関係はどうだったのでしょう 「関東軍は日本本土の大本営の指令を無視して暴走した」ものとされています。 > 関東軍はどうして開拓団をまもらず逃げたのでしょうか もちろん、自分たちの命が惜しかったからです。 もっとも、自分としては「われわれが死んだら、国土を、開拓団を、いったい誰が守るのだ?」「反撃するために、一時後方へ『前進』するんだ」という弁解を自分自身に対して行っていたようですが。 > 現在では国民を守るのが政府であり軍隊だとおもいますが 私もそう思うのですが、残念ながらそんなことを考えている国は少ないように思われます。 プーチンにしろ、キム王にしろ、その他軍政を敷く発展途上国にしろ、自分たちが生き残ることが国家の為だと思っています。だから、平気で内乱も起こします。 国家が国民を守るのではないようですよ。プーチンなどは「国民が国家を守るために、軍隊とともに戦うべきだ」と考えているものと思います。 > 守らなければどうなるかわかっていてなぜ逃げたのか 逃げなければ自分が死ぬからです。死ねば反撃できなくなるからです。開拓団は「足手まとい」だから「尊い犠牲」になるのもヤムを得ない状況だったのです、彼らの論理としては。
お礼
ご回答いただきありがとうございました
- sibuchino
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満州関東軍は、日本本土の軍部とは独立した存在であり、特に関東軍司令官のような高官は、日本本土の軍部と対等な立場にありました。しかし、関東軍は日本の植民地支配政策の一環として、満州を占領し、日本の利益を守るために存在していました。 開拓団は、日本が満州を植民地化した際に、日本人が入植するために送り込まれた団体でした。開拓団は、日本人が満州に定住し、農業や工業の開発を行うことで、満州を日本の属国とすることを目的としていました。しかし、開拓団は、現地の反日勢力から攻撃を受けることがあり、その保護のために関東軍に支援を求めました。 関東軍は、開拓団を守ることが使命の一つであったにも関わらず、実際には十分な支援を行わなかったことがあります。その理由には、関東軍が本来持っていた任務や利益とのバランスを考えた結果、開拓団の支援に優先度を置かなかったことが挙げられます。また、当時の関東軍は反乱や抗日運動などに対しても軍事力を行使することがあり、それらの対処に忙殺され、開拓団の支援が追いつかなかったこともあったでしょう。 現代では、国民の安全を守るのは政府と軍隊の重要な役割の一つです。しかし、歴史的な文脈や政治的な事情によって、当時の関東軍が開拓団を守らなかった理由については、複数の要因が絡んでいると考えられます。
お礼
ご回答ありがとうございました。 当時の軍での関係について勉強になりました