簡単に説明いたします。
【プロエシュティ油田】
第一次世界大戦後、ドイツの復興とヒットラーの新たなる戦争、ヨーロッパ征服に必要な石油は、
ルーマニアのプロエシュティ油田でした。
当時のドイツは国内の消費量の60%はソ連とルーマニアからの輸入でした。
石油確保の生命線のプロエシュティ油田をソ連側に失われることをおそれていたヒトラーは、
ルーマニアと経済協定をむすび、軍事使節団という名目でドイツ軍を派遣し、
ルーマニア領土の安全保障に責任を負うこと、
兵器、軍用プラントを提供することを決めました。
さらにソ連がルーマニアを攻撃しないようにと先にイギリスを叩き、
形勢を有利にした後、イギリスと講和を結び、その後、
ソ連を叩こうという戦略を練りました。
それほどこの油田はヒットラーにとっては、重要な油田でした。
【コーカサスの石油】
アジアとヨーロッパの境とされたカフカス山脈を中心とする地域、
コーカサスの油田地域もヒットラーの対ソ戦略の重要な油田でした。
詳しくは「ヒットラーの奇襲」
檜山良治 講談社をお読みください。
【イタリアと石油】
1926年、それまで国内での石油探鉱開発にあまり興味を示さなかったイタリアは、
必要に迫られ国営石油会社AGIPを設立しました。
ルーマニア、アルバニア、ソマリアで探鉱活動を続けながら僅かな石油を確保していました。
その後、経済危機から国民の目をそらせるために
ムッソリーニは1935年10月にはエチオピア侵入を開始した。
当時の国際連盟(国際連合の前身)は経済制裁を決議しましたが、
「禁輸は、イタリアに対する戦争を意味する」と戦争勃発を警告したため、
国際連盟(当時)は経済制裁を遂に発動できませんでした。
ただしエチオピアの侵入に対してソ連のみは石油を供給し続けました。
価格は2倍の相場のようでした。
しかし1940年になると石油が不足し、ドイツに援助を
申し入れることになりました。
【米国と石油】
全く本題と関係がありませんが、
米国のイラク攻撃は、国際政治では石油を確保し、
中東の地域において、
確固たる地位を築くブッシュの戦略といわれていますね。
今も昔も、石油の確保が世界の制覇につながる戦略です。
お礼
ご丁寧にありがとうございます。 日本も石油の確保ができていたならアメリカに宣戦布告はしなかったかもしれませんし、南進策ではなかったかもしれません。そうすれば随分戦局も違ったかな?と想像を膨らませて楽しんでます。(不謹慎にも) <「禁輸は、イタリアに対する戦争を意味する」と戦争勃発を警告したため、 国際連盟(当時)は経済制裁を遂に発動できませんでした。>とありますが、では何故日本はあれだけ厳しい制裁を加えられ、「ハルノート」のようなものを突きつけられたのでしょうか?やはり、人種差別があるのでしょうか?また、それはイラクにも共通するものがあるとお考えですか?(査察を受け入れたイラクに対して、アメリカは決して受け入れられないような要求をしたような…)