帝国主義などについて
僕は現在「小泉八雲と日本」というのを読んでいます。
念のため書いておきますが、小泉八雲とはラフカディオ・ハーンのことです。夏目漱石が帝大英文科講師になる前の、同講師です。
だいぶ読んだんですが、小泉八雲は明治時代を生き、松江の中学の英語教師、熊本五高の英語教授、それから神戸でジャーナリストを経て、帝大英文科の講師になりました、日露戦争の時、静岡県の焼津で亡くなりました。54歳だったと思います。
僕はこれを読んでいて、慶應義塾を作った福沢諭吉とは対照的な思想だなと感じました。
というのは福沢諭吉は「文明論の概略」とか書き、そういった影響もあって西洋文化に人々は憧れ、風習や、外国語を学び、西洋の知識、科学技術などを学びました。学校制度が整備されたのもこの頃で、森有礼初代文相などが進めていきました。夏目漱石や森鴎外もこの雰囲気の中で英語やドイツ語を学びました。
富国強兵、殖産興業の時代です。ラフカディオ・ハーンはイギリス人とギリシャ人の間に生まれ、米国で40歳までジャーナリストをしていて、日本に憧れて来日して、松江の女性と結婚して帰化までしました。
最初に書いた福沢諭吉と対照的と述べたのは、小泉八雲は機械文明を嫌い、キリスト教も嫌いで、ピアノ・洋服・カーペットといった西洋風のものも嫌だったのです。むしろ英訳古事記などを読んだり、仏教や神道に関心を持っていました。当時、多くの西洋人が日本のことを未開の野蛮人だと思っていましたが、八雲はそうは思わず、西洋人の方が、植民地の争奪戦とかやり、野蛮だと思っていました。また政府が進めていた産業革命や資本主義も嫌っていました。いわば西郷隆盛のようなタイプで、西洋かぶれを嫌っていました。
一方、福沢諭吉は「脱亜論」を唱えていて中国や韓国との付き合いをやめて欧米の知識や技術を学ぶべきだと主張し、人々から支持されていました。
なんか令和の日本と明治・大正時代は似たようなところがあると思います。
今も英語とか数学は重視されていますが、古文や漢文は軽視する発言をする人は多いです。
小泉八雲は日本の自然の美しさを愛し、西洋化しない日本らしさを好みました。桜、浴衣、団扇、和食、浮世絵などです。
ただ当時の国際情勢は、そういった悠長なことを言っていられる時代じゃなかったと思います。明治27年には日清戦争、その10年後には日露戦争になります。政府は国家予算の4割を軍事費に使い、皇室費も削減し、官吏の給料も1割削減し、増税もしました。
帝国主義は当時の世界の潮流でイギリス、ドイツなどが最先端の国と目されていました。
伝統的な日本文化を賛美して、古典とかを悠長に学んでいる状況ではなかったと思います。
英語とか数学の方が重視される時代で、これは令和の現在とも同じです。
僕が葛藤するのは、何でも欧米文化の真似をすればいいのか?ということです。確かにヨーロッパの文化は素晴らしい。クラシック音楽や絵画、建築など素晴らしいです。また学問も数学や物理学など進んでいるように感じます。
しかし、お雇い外国人のフェノロサは日本の美術を評価して、岡倉天心は東京美術学校を作って校長になりました。
また資本主義は貧富の差を生み、経営者は安い労働力と、長時間労働を求めます。これはイギリス・ドイツなどでも問題になっていました。また工場とか鉄道の煤煙によって空気が汚くなっていました。
当時の貧富の差は現在よりも酷いものだったと思われます。こういった先進国の状態を見て八雲とか夏目漱石、芥川龍之介などは悩んでいたと思います。労働者は劣悪な労働環境で働かされて、また恐慌もしばしば起こりました。
長文失礼しました。まだ書きたいことはあるのですが、この辺にしておきます。明治・大正時代と令和の今日では似ていると僕は思います。
皆さんの意見を聞かせて下さい。宜しくお願いします。
お礼
おお! こんなサイトがあったのですね(笑) 助かります! ご紹介、どうもありがとうございました。