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失敗した成果を発表することへの嫌悪

失敗した成果を発表することが嫌です。 もちろん、誰しも嫌だと思いますが、 そのような状況に陥ってしまった場合、みなさんはどのように折り合いを付けているのでしょうか。 次は失敗しないようにしよう、と思うのか、 それとも失敗した、と相手に思わせないようにするのか。 本当にこういうことに関して、折り合いを付けるのが苦手です。 本質的には失敗だな、と思えてしまうと、 人に対してえらそうに話すことがひどく滑稽に思え、恥ずかしさのあまりに発表が近づくごとに、緊張が時間の累乗の勢いで大きくなっていきます。 失敗した成果を発表するくらいなら、発表しないほうが1000倍ましだと思ってしまいます。 これの原因は何でしょうか。 治るものでしょうか。

みんなの回答

  • aymhfgy
  • ベストアンサー率43% (1472/3372)
回答No.2

誰しも失敗したことは隠しておきたいというのが本音だと思います。 ですので失敗談を振れ回る必要のない時は黙っていても罪にはならないかもしれません。 しかし、発表しない訳にはいかない場合は潔くそれを認めて率直に言うというのが一番、良い結果を生むような気が致します。 自己欺瞞で自分を固めて失敗しなかったことにしてしまったり何でもかんでも伏せておくというのは感心しないやり方です。つまり、自分や他人に嘘をつくということになると思います。それをすると後から傷付くのは結局、自分自身になると思えるからです。 それに失敗したと思っていてもそれをきっかけに人は立ち直ったり飛躍したり新しい展望を開いたりすることが出来るものです。 失敗しない人間はおりません。でも痛みを伴う失敗は後でその人を大きく育ててくれる元になってくれる可能性があります。失敗は悪いものだという思い込みが質問者さまを頑なにさせてしまう原因と思います。一時、恥をかくということを耐えてみるべきだと思います。 考え方を少し変えるだけで今よりも気持ちは自由になるはずです。

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.1

失敗品だからこそ、評価を受けるのです。 それが自分で「失敗だ」とわかっているのならば当たり前で、自分が自信作だと思っているものでも「失敗だ」という烙印を押されるのなら、それはある意味「失敗品」なのです。 失敗だとわかっているなら、尚更堂々と過程を言い、理由を言い、その作品を「売り出して」あげましょう。 あとは野となれ、山となれ、です。 「視点」というものは、人によって違うのは当たり前ですから、あなたが強調したいこととは別の場所を見て「面白いですね」と言ってくれる可能性もある。 可能性を捨てるんですか?…それじゃもったいないでしょう?。 時間も無駄になりますよ。 先のことなんか考えないんですよ。 発表するとき、意見するときは、自分が通したいことを通せるようにするだけです。 それしか出来ないからね。

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