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ロン・ノルとアメリカ
カンボジアの歴史の中で、 ロン・ノルはアメリカ側で、アメリカもロン・ノルを支援していたのに アメリカはなぜ局地的にカンボジア空爆を行っていたのですか?
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アメリカが主導して爆撃したのでなく、ロン・ノルが要請して米軍に爆撃させたのです なぜかというと ロン・ノルがクーデターを起こした時カンボジア軍はわずか3万5000しかいませんでした それがわずか1年後に20万に拡大させました 当然ながら将校・下士官は不足し、徴集兵は適正な訓練を受けていませんでした とはいえ、それはポル・ポト側も同じでカンボジア内戦で共産側を主導していたのは 北ベトナム正規軍または北ベトナム軍の将校下士官に指揮されたクメール・ルージュ軍でした 内戦が始まり1年もしないうちに北ベトナム軍はポチェントン空軍空港攻撃で カンボジア空軍の全航空機22機の内19機が破壊されカンボジア空軍は壊滅 さらに北ベトナム軍は6号国道の戦いでカンボジア(クメール)陸軍の精鋭(というよりまともな)部隊20個大隊を壊滅させたため 米軍の空爆を頼ざるを得なかったのです 空爆の目標は地上のクメール軍に選定誘導させたのですが 前述のようにまともな将校がいないので誤爆が頻発、結果無差別爆撃になったのです またロン・ノル、後のポル・ポトもそうですが、カンボジア人には反ベトナム人感情があり カンボジア東部ベトナム国境に居住していたベトナム人が目障りだったようで ロン・ノルのクメール軍も東部のベトナム人住民を虐殺していましたが ロン・ノルが意図的に米軍にベトナム人居住地域を無差別爆撃させた可能性も否定できません 長文失礼致しました
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- trajaa
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ロンノル将軍がクーデターで実権を握ったと言っても、殆ど首都や都市部での話で 国全体に歓迎された訳でも無く農村部やベトナム国境付近には、 (ベトナムおよびカンボジア)共産主義勢力も多数いた カンボジア軍に国境付近の反政府勢力を駆逐する能力は無かったので、 ある意味南ベトナム軍と米軍の行動を黙認する事で、ロンノル派と南ベトナム+米国双方の 共通の敵である共産主義勢力の衰退を望んだ。
お礼
回答ありがとうございます!参考にさせていただきます!
- tanuki4u
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因果関係が逆です。 1 南ベトナム国内の北ベトナムからの補給路を、アメリカが潰した 2 補給路をラオスやカンボジアに移動させた ホーチミンルートというやつ 3 アメリカがカンボジアのシアヌーク政権に対して、カンボジア国内のホーチミンルートの壊滅を要請 4 シアヌークが拒否 5 ホーチミンルートの攻撃を許諾する ロンノルが政権につくようにアメリカが工作 6 ロンノルがホーチミンを追放して政権を握る 7 めでたく、アメリカは、ホーチミンルートを攻撃できた ということになります
お礼
回答ありがとうございます!参考になりました!
- pianishimo
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正確には覚えていませんが、南ベトナムとカンボジアが国境を接していて、北ベトナムの共産勢力がカンボジアを根拠地にして南ベトナムにゲリラ戦を仕掛けていたから、そこを攻撃したのでしょう。 カンボジア政権を攻撃したのではありません。
お礼
なるほど!ありがとうございます!
お礼
詳しく回答いただきありがとうございます!とても参考になりました!