刀と武士の心
しばらくぶりに、何か参考になるご質問とご回答はないかと、「歴史」カテを覗いてみますと、「日本刀の持ち方」という質問がありました。私は剣道もしませんし、喧嘩も弱いので、「日本刀の持ち方」なんて全く関心がありませんが、「日本刀」という言葉で、ふと「武士の魂」という言葉を連想してしまいました。時代劇なんか観ていますと、「痩せても、枯れても、刀だけは」というのが、武士たる者の精神……今流に言うと、「僕の立場」……が「刀」に込められていたのではないかということが、感じられるような映画やドラマも昔はあったように思います。
何故、こんなことを言うかというと、最近、幕末・維新のことを、歴史本などで読んでいて、それは、西洋の文明が入ってきているから、仕方ないと思いますが、刀でもって働かなければならない幕臣どもの体たらく……刀が使えなくても良いから、一生懸命使え……みたいな「憤り」(*^_^*)がありました。
嘘か本当かは、知りませんが、坂本龍馬は、銃を持っていたそうですね。しかし、死ぬときに「脳をやられた」と言って死んだそうですが、「刀でやられた」のではないですか?もし、そうであれば、ごく一部の武士には、「刀」は、精神的なものではなく、武器としても生きていたようにも思います。良くは分かりません。
質問は、
(1) 武士が、刀を、武器としても、精神のよりどころとしても失ってしまったのは、いつ頃のことでしょうか?その背景は何でしょうか?ご回答をいただく前に、勝手に想像してもいけないとは思いますが、江戸時代のことですよね。それと「武器」として失うことと、「精神的なよりどころ」として失うこととは、時期がずれるのでしょうか?
(2) もう一つは、明治以降も、立派な軍人さんは、「刀を持って」写真に写っていますよね。「刀」には、何か、男としてのよりどころみたいなものがあるのでしょうか?
(3) それと、これは、もしご存じであれば、ということですが、私の記憶に間違いがなければ、かなり昔、私は観ていない映画……これも確かではありません<(_ _)>が、「切腹をせざるを得なくなった武士が、お城の前で、竹光で切腹をした」というような映画があったような記憶があります。その映画をご存じであれば、「何故、その武士は竹光で切腹をしなければならなかったのか?」、その時代と切腹の背景を教えていただければありがたいです。
(4) これも、ご意見があればという程度です。今の日本人にとって、「刀」の意義を見いだすとしたら、それはなんでしょうか?ただ単に「銃刀法違反」の世界であって、意義は見いだせないし、見いだすべきものでもないのでしょうか?
お礼
ありがとうございます^^