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気の弱い性格
大学一年男です。自分はとても気の弱い性格です。目上の人に対してはへこへこしてばかりで、親にすら自分の思ったことを言えない時があります。もう20歳にもなってこんなのはホントに情けなくてなんとかしたいんですがなかなか勇気を出せません。友達と会話してる時でもあれこれ考えてしまったりします。そもそも自分というものに自信も無くて、いつも内心びくびくしてる節があります。でもそれを表面に出しておどおどしてたらコミュニケーションも取れなくなってしまうからいつも表面的にはなるべく明るく振舞ってたりはするんですけど、それも基本的に周囲からはダメ人間扱いなので自虐かましまくってなんとかやり過ごしてる感じです。おそらく自分は嫌われ恐怖症みたいなところがあるのですが、それも社会に出てからは通用しないんじゃないかって思ってすごく不安です。どこかで割り切ろうと思っても気になってしまいます。なんか言ってること目茶苦茶で訳が分からないと思うんですけど、自分はどうしたらいいんでしょうか・・長い間自分であれこれ考え過ぎたせいで自分で自分が把握しきれません・・・
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- 841bb
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気持ち分かります。 嫌われ恐怖症・・・。要はいじめられたくないんでしょ。 まぁ、一度ガツンといじめられたら恐怖なんて無くなると思うんですが。 人をいじめてる人間ってしょーもない人だらけって事が分かればな~。。。 おどおどする事もなくなるんだけど。 いつか、ガツンといじめられた時は冷静な目でいじめる人達を見て下さい。 いじめる人って、自分がいじめられたくないからターゲットを見つけていじめるんです。 ターゲットがいなくなったら次は自分ではないかって不安が出てくるからまたターゲットを見つけるんです。 だから、私からみたら、いじめっ子の方が実は自分に自信が無くて自己中で精神的に弱いしょーもない人間なんです。 しょーもない人間だと分かったら相手しなくて良いでしょ。 大丈夫です。確かに社会てもしょーもない人間がたくさんいますが、マトモな人間も沢山います。 なるべくなら人には嫌われたくないでしょうけど、みんなに好かれるって事は不可能です。 大切なのはどんな人間に好かれるかでしょ! sansonsan さんは周りからダメ人間扱いされてもそれを自虐ネタにして明るく振舞える大きな心があります。マトモな人間ならちゃんとあなたの事分かります。 人をいじめるようなしょーもない人間なんて相手にしないで自信を持って社会に出てください!
絶対数から言えば、日本人は気の強い人よりも気の弱い人の方が多いと思いますよ。また、社会に出れば、気の強い人が人の上に立ったり、出世するとは限りませんからね。気の強さゆえに、上司にたてついたり、客先でトラブルを起こしたりする可能性だってある訳です。 なので、気の強いのが良くて、気が弱いのが悪いということはないのです。 質問者様はまだ20歳とお若い。まだまだ知らないことの方が遥かに多い訳ですから、今後の人生経験の中で、様々なことに慣れることによって、気にならなくなるものです。 私などは、体重100kg、胸囲120cm、服のサイズ3L~4Lの巨漢で、腕力ならそこらの人には負けない自信はありますが、見かけとは逆に気は弱いです。これだけは、持って生まれたものですから、それが自分なんだと認めてあげて、そんな自分を好きになってあげることです。そのように、自分を知ることによって、自分の出来ることを一生懸命にする。これさえしていれば、社会で通用しないなんてことはありません。 社会で通用しないのは、気が強くて、一生懸命にしない人です。 若い頃は誰もが質問者様と同じような不安に駆られるものです。何の心配もありませんよ。
うんうん。 分かりますよ。 私も二十歳前までは、引っ込み思案で、無口で、人に意見も言えない泣き虫でした。 母に「何や、そこに居てたんか?」 って、びっくりされるくらい影の薄い子でした。 でも、今は 爆弾オヤジです(笑) 大丈夫。 変える方法はありますよ。 それは自分と馴れ合いにならないこと。 自分に怒ることですよ。 あの時、どうして自分の意見を言えなかったんだ! って、一人になって壁に向かって怒るんです。 どんどん自分に腹を立てて、いつか爆発させるんです。 貴方が恐れるほど、他人は強くないし、自分は思った以上に強いんです。 (暴力や肉体的ではありません) 必ず変わります。 経験者が語るんだから間違いありません。 頑張って下さい!
気の弱い性格・・そのものは何とも出来ません。 ある日突然の様に気が強くなる訳もない・・と言う事です。 しかし、逆説的に考えて、どうして気の弱い自分を認められないのでしょうね。 良いですか、一見矛盾している様に感じるかも知れませんが、あなたが書いて居る気の弱さは、認めている・・のとは違います。 別な言い方をするなら、受け入れている・・のとは違います。 ここの所の微妙な違いが分からないと、これから先は進展しません。 本当に・・本当にと言う言葉を使いますね。 本当に自分の気の弱さを受け入れているのなら・・ 気の弱さなど気になりません。 そうは言っても、何事かがあって、自分の気の弱さを感じることはあります。 ありますが、それはそれで受け入れているので、それについてあれこれと悩みません。 例えば、誰かにあなたは気が弱いですね・・と言われたとします。 その時・・はい私は気が弱いです・・と受け入れているのなら答えられます。 が、そこで詰まったり、あれこれと言い訳をするようなら、受け入れていないことになります。 そして、その言い訳が際限なく続きます。 受け入れてさえいれば、一瞬で終わってしまうものを・・です。 この辺の事・・分かりますか・・ 微妙な違いですよ・・微妙な・・ですが、大きな違いでもありますよ。 私も気が小さい人間です。 以前は、泣き虫とか・・小心者とか散々言われました。 そして、その時々で口には出さないけれど、心の中では反発していました。 いや違う・・などなどと。 ですから、その時は問題(気の小ささや小心者)が解決しませんでした。 今では、他人に何と言われ様と、その通りなのですから、はいその通りですと答えたり、逆らったりしません。 また、自分に対しても言い訳などしません。 だって、事実私は小心者なのですから・・ しかし、自分の小心さを認めてしまうと、もうそれ以上あれこれと話が進展しません。 だって、認めた時点で完了なのですから。 私は電車の中などで、目があったりすると、私から目をそらします。 それが、平和理に生きる道・・でもあるからです。 また、目をそらした自分を卑下もしません。 小心者ですから、それで当たり前なのです。 小心者・・あるいは気の弱さを心底認められたとき・・ 心が平安となりました。 これって、逆説的ですが、小心者でなくなったのかも・・・ と言う事です。