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「一岸出船」とは?
- 「一岸出船」とは川の片方の岸からしか乗れない船のことです。
- 対岸に人を渡した船はまた元の岸に戻らないと次の仕事ができないため、帰りに人を載せないのは不合理です。
- そのため、「一岸出船」はどういう理由で片方の岸からしか乗れなかったのかという疑問があります。
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ご指摘のように、明治28年図式から大正6年図式まで、一岸出船、両岸出船の符号が用いられていました。その当時の地形図の凡例には、河川、船、航路が記載されていますが、図版が摩耗していて読みにくいのが普通でしょう。 しかし、よく見ると、一岸出船の場合は船が片側1艘だけ描かれ、両岸出船の場合は両端に船が描かれています。 また、陸地測量部が最初に刊行した仮製2万分1地図(明治20年前後)の凡例(原文は地形図「記号」)には、 人馬渡船 同上両岸出船の者 人渡船 繰綱渡船 滑綱渡船 などの区別があり、両岸出船だけ両端に船が描かれています。 面白いことに、繰綱渡船では船は片側の岸に 滑綱渡船では中央に描かれ、どちらも航路も弓なりに示されています。 以上の証拠から、渡船の場合、船は1艘が通常であり、2艘以上の場合は特記したものと考えられます。ちょうど、鉄道の単線、複線の区別みたいなものでしょうか。また、綱や滑車による渡船は、のちに人渡に統合されたようです。 なお、地理のカテなら、専門家の回答が得られると思います。
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- Pinhole-09
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私が昔通っていた渡船の経験について。 さほど広くない川で両岸の船着き場の一方にしか船頭小屋 がありません。 渡船は一隻だけ、船頭は一人で常に船頭小屋にいます。 客が来ると手こぎ渡船を出し、対岸で客を降ろすと、すぐ元の 岸にこぎ帰ります。 船頭は時々小屋の窓から対岸の船着き場を見て客を 認めると船を出して迎えに行きます。 客の方で大声で呼び、船頭が気が付く時もあります。 もうひとつは、川巾が広く乗客も多い渡船です。 両岸の船着き場の双方に船頭小屋と船頭、大型の発動機船 一隻ずつがあります。 一方の船がほぼ満員になると出航します。 対岸の客がこれを見ると、船頭に知らせ満員でなくても出航し 両船はすれ違うのです。 から船でも出ます。 対岸からの船が近くなるまで気付かず、あわてて出航する こともありました。 つまり船は両岸のどちらにも常にいるよう配慮しています。 前者のようなのがが一岸出船で、後者のようなのがが 両岸出船ではないでしょうか。
お礼
実際のご体験からのご回答、ありがとうございます。 質問はもう少し締め切らずにいようと思います。
- m-jiro
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当時の地形図を持っています。なるほど「両岸出船」「一岸出船」がありました。両岸では船の記号が両岸に書いてあり、一岸では片側にしか書いてありません。 愚輩の推定ですが、船の待機状況による違いではないでしょうか。 すなわち「両岸出船」は両岸で1艘ずつが常に待機していて乗客が来るとすぐに出船、対岸で客を降ろすと(乗客なして)すぐ引返すタイプ、「一岸出船」は運行は1艘だけでどちらか片岸で待機しているタイプではないでしょうか。この場合向こう岸から渡ろうとする時は大声で呼ぶとか、太鼓をたたくなどして呼んだと思います。ですから声が届かないほど川幅の広いところにはなかったはずです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私も可能性をいろいろと考えているのですが、ご回答のような可能性は思いつきませんでした。
- ryu707
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管理がお役所なら余った人材を遊ばすわけにはいかないので無理やり仕事を作った または両岸で管轄が違った。 民間なら別の業者が対岸で渡船業を営んでいた。
お礼
ご回答ありがとうございます。
補足
具体例をご存じの方、お教えいただければ幸いです。 自力でも http://www.kkr.mlit.go.jp/himeji/outline/river/database/kako_scene/list.html の下のページで3ヶ所「一岸出船」の記述のある渡し跡の記述を見つけましたが、明治時代にも片道運行だったのかは明記されていません。むしろ往復とも人を乗せていたことを示唆する記述もありました。
「両岸出船」と「一岸出船」の違いは「スタート地点」にポイントがあります。川があって両岸がある場合、「両岸出船」は両側の岸から船が出る事を指します。現代風に言えば「東京発新大阪行き」と「新大阪発東京行き」の両方の船があるという事です。「一岸出船」は本当に一方だけから客人を乗せて出る船を指してこう言います。「東京発新大阪行き」の船が、帰りには「回送」になっているといった風です。 確かに一見すれば効率の悪い話ですが、きちんとした歴史的背景がありまして、発祥は安土・桃山時代です。あの豊臣秀吉が敵軍の陣地に入り込む為に「一岸出船」を考案したとされています。当時はまだ織田信長の家臣であった秀吉が軍を率いて、片側の方から船を出し、敵陣地に乗り込みます。渡り終えると秀吉はそこで船と船頭だけを元のスタート地点に戻します。敵陣が自陣に侵入するのを防ぐ為です。しかし秀吉側も戻る術が無いので、戦い勝利するしかない。そこで生まれたのが「背水の陣」という言葉だとも言われています。 そうゆう背景があって、「一岸出船」という物が出来上がったわけです。
お礼
さっそくのご回答ありがとうございます。 意味は読んで字の如くでいいんですね。
補足
秀吉の時代の「一岸出船」の存在意義は分かりましたが、明治33年式地形図図式に記号があるということは明治中期にはまだ「一岸出船」があったということだと思います。 明治における「一岸出船」の存在意義をご存じの方、ご教示いただければありがたく思います。
お礼
説得力のあるご回答ありがとうございます。 カテゴリーは地理か歴史か少し悩みました。 私の質問はこのサイトのカテゴリー分けを無視すれば「歴史地理学」の分野になると思うのですが、地理カテでは歴史地理学関係の質問はあまり見受けないので歴史カテで質問した次第です。