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なぜ輪廻転生が必要なのでしょうか?
なぜ輪廻転生が必要なのでしょうか? 私は輪廻転生という考え方が怖いです。(すみません……) 小学1年生で六道についての本を読み、子供ながら怖くなった覚えがあります。なぜ輪廻転生する必要があるのか、と考えています。丁寧に教えていただけると非常に嬉しいです。
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zakky74です。 観点固定・・・これ一つが中々に受け入れにくく、厄介なシロモノですね。 >確かに観点が自分に固定されている、というのはあります。あなたも昔は観術を学ぶ際に色々あったのですね。今からは想像できません。観点を変化するのが観術。これでやっと腑に落ちました。 しかし、この観点についての理解が進む事は、全てを理解する土台が飛躍的に高まります。分離されたモノの総和を理解するやり方ではなくて、観点一つだけを明確に理解するだけで全体を理解する姿勢は圧倒的に創られるものです。 b-w-stepさんの観点が、人間に固定されています。 ですが、もし動物に移動すれば、一体何が見えますか? モノは?光は?細胞は?人間は? 本当に人間が見ている様に見えるのでしょうか? その場合、人間の科学だけが本当に正しいのでしょうか? もし植物に移動すれば、一体何が見えますか? モノは?光は?細胞は?人間は? 人間が見ている様に見えているのでしょうか? 地球に移動して、地球から認識する時には?地球の認識方式では? モノは?光は?細胞は?人間は? 太陽系・銀河系・宇宙・宇宙の外・・・に観点が移動して、そこから認識する時には? モノは?光は?細胞は?人間は?・・・一体どう見えているのでしょうか? 人間が見ている世界は、一部ですし、部分ですし、真実の姿とは言えないのではないでしょうか? その状態で 存在を確認する(脳の認識が働いています)。 名前を付ける。 覚える。 因果関係を規定する(判断基準が働いています)。 覚える。 因果関係に基づき、体系化を行う(判断基準が働く)。 覚える。 だから、次の様に思い切った事を言い切ります。 学術は、観点が人間に固定した時の認識方式しかまとめていません。 当然、物理学・数学・生物学・医学などもそうですし、ハリソン内科学もです。 それでは当然足りません! 人間の細胞は、人間が見ている細胞だけではありません。 他の全ての観点から見たときに見える人間の細胞こそが、真の人間の細胞です。 繰り返しますが、観術とは、観点を変化・運動・移動する認識技術です。 人間から観た人間の細胞を語る事も、当然にして出来ますよ。 それは2017年には確認できると思います。 >知っている、と思った瞬間に他の可能性を無視する。そして自信を持った瞬間に成長は止まる。これが人間なのかもしれません。 仰る通りです。 ですから、僕はよく観術からも離れます。僕が分からない事については素直に聞く様にしています。僕が知らないだけで、もしかしたら相手は知っているかもしれないからです。 このQ&Aでも何回がありました。 「最終理論を、明々白々に説明しているのは観術しかありません。」・・・これが僕の観点ですが、この観点自体も固定されているとそこから話は進みません。つまり、相手は最終理論を明々白々に説明できる存在かもしれません。この可能性を、僕は常に見ています。 ですので、最終理論について理解していたり、知っている節がある時には、観術の事をいったん置いておいて、まずは聞く様にしています。なぜならば、最終理論を明確に理解していて、しかも人に伝達可能な状態の場合には、人類の全ての問題を解消・解決する道までも明確に見えてしまっている為に、その喜びや可能性について共有したくて仕方がないからです。 歓喜溢れる心ですね。 人類500万年間の限界を突破した事の意味ですから。 涙だし、興奮ですし、感動はちきれんばかりです。 その事を分かるので、観術とは切り離す作業に切り替えます。 >>疑う程に逆に理解・納得が進みます。 >のは胸に響きました。他のサイトまで紹介してくださってありがとうございました。2017年をお待ちしています。 僕がそうでした。 また、観術に触れる多くの人がそうです。 信じて仰ぐ信仰は、妄信でとどまってしまいます。宇宙自然、人類文明歴史の何の整理もないままに、確信っぽい妄信で人生を突き進むから、69億人の幸せに及ばない程度の力しか発揮できません。 信仰よりは理解です。 天動説から地動説に移った事は、その事を教えてくれました。 ただ、学術的理解は信仰を抜ける意味ではそれなりに功を奏しましたが、まだ中途半端です。信仰・妄信よりは洗練されていますが、確信には絶対に至りません。ゆえに、学術からは輪廻転生や悟りについてノータッチです。 理解による確信。 その為には、疑問はとても大事です。 信じる事によって、疑問を有耶無耶にしたり曖昧にしたりする時代はもう終わりです。 b-w-stepさんの疑問については2017年の時には相当数晴れている事が、僕の目には観えています。その時の感動の出会いを楽しみにしています。
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- mtnlnd
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#36です 1、キリスト教での輪廻について クリスチャンではありませんが 弟子に輪廻を教えたと思われる部分は下記の通りです ’生まれつきのめくら’ を治したお話があります 治したあと弟子がイエスに質問します あの男が ’生まれつき めくら’ なのは本人のせいか両親のせいか と質問してます 本人のせい である時は生まれる前に原因がある事になります 生れ変りが事実であると知らない限り感じ取れないでしょう 私は事実と知っていたので感じ取れました 他にもあるそうです 生れ変りの事実をご存じない方は原罪説で説明するでしょうね? 原罪説はあくまでも一つの解釈に過ぎません正しいかどうか疑問が残ります アダムとイブの罪の為に子孫全てが罪を背負うなんて可笑しいのでは? 旧約に親の罪故に子も罪としてはならない とあったように思います 矛盾です それとは別に十数年前 知り合いから聞いたお話ですけれど最近はキリスト教でも生れ変りを認める傾向にあると聞きました 2、農民であった実例が無い これは確かめる方法によるのです つまり前世の事件に巻き込まれた事でしか解らないので何も無い人に関しては情報が得られません 前世が農民の実例はあります やはり事件絡みです 小作人が庄屋に苦しめられた お話です 小作人夫婦が苦しめられて自殺し それを恨んだ娘が恨みをはらして欲しいと近所の池の傍にある龍神神社に願掛け入水自殺 その庄屋の子孫は現在何かの不幸にあっているのです 但しこれらの情報を確かめる事は難しいです 何せ大抵2,3百年前の事ですから 更にその先2,3百年前の場合もあります 完璧では無い理由です でも有名な一族の場合は少しばかり解る事はあります 3、知的能力は神経由来 脳神経が無ければ運動出来ないでしょうから神経が関わっている事は確かですが運動だけですと犬猫でも出来ますから知的能力の違いは何処か? 現在解っているのは このような思考はこの部分の神経が活発に活動するくらいで記憶のメカニズムすら不明です 最近のニュースで 頭部から得た神経伝達信号処理で思考映像らしいものを読み取る事が出来ましたが 脳神経網は恐らくコンピューターでしょう 生体コンピューター 神経はアナログ&ディジタル動作してます 4、永遠の向上 について 創られた方に聞くほかありませんが向上しても超える事は出来ないでしょう 恐らく必要なのは知識ではなく知識を得る能力とか理解出来る能力並びに活用能力ではないかと思います 知識豊富は目的ではなくて活用の為の手段ではないでしょうか? 新知識獲得努力自身は向上に役立ちます 他に感性の向上も必要でしょう 芸術や人の心を感じ取る感性とか ネット社会では以前のように人に聞く必要は減るでしょう 人との関わりも減る為に人との付き合いが更に重要に思います 優れた人は劣った人を蔑む傾向があります これでは世の中暗くなり天国など夢では? 特訓の世界がこの世界(現世)らしいです(兼用世界) 4、天才マウスについて 本当に遺伝したと認められたかどうか 百%天才マウスになったのか 人でも 良くも悪くも親に似ない子が確実に生まれます 10%以上いるのでは?でも容貌は百%近いですね? メンデルの法則では1:2:1でしたね? 突然変異は1ppm以下とか言われますし どうなのでしょう NHKは影響が大きい為か言葉使いに気を使っており断定した言い方はしない事が多いですけれど 理由は別ですが学者等も同様です 天才マウスの検索してみました 記憶力が良いそうですね でも・・・ 5、誰それの前世は何々と言う霊能者がTVで紹介されたりします 霊能者自身は何処からそんな情報が来るのか解っていないでしょう 何故か心に浮かぶらしいです これは情報を伝える者がいるのですが何者かは知らないはずです 私が言う 確かめる方法はこれとは全く違ったもので その事が目的でもありません 副産物として得られる と言ったら良いでしょうか?詳しくは言えません 6、輪廻転生は考え方 では無く 事実なのです お釈迦様は事実を教えたのです でなければ大ボラ吹きになるでしょう 新約聖書はイエス亡き後90年も経ってから編纂されたそうで直弟子は既に居なかったでしょうから改ざんされた恐れは無くもありません イエス一代記が書かれてありますが何故か青年期が全く書かれていません抜けているのです 片鱗すらありません 輪廻の事実を掴んで欲しいです 生き方が変わります。
お礼
二度目の回答、恐れ入ります。 1.キリスト教放送局のFEBCさんでキリスト教は輪廻を否定していると教わりました。目くらの話について以前聖書で読んだことがあるので調べてみました。ヨハネによる福音書9章3節に書いてありました。引用します。 『イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」』 ここでは本人のせいであることを否定しています。と、なると生まれ変わりは事実ではない、と思いませんか? イエスが本人の責任でも両親の責任でもないと言う場合は、誰の責任でしょうか? 私はイエスの言動は輪廻転生を否定しているものと思います。 アダムとイブの原罪というのは今でも議論があります。ある一派では神は私達をわざと苦しませて幸せの有難みを分かるようにした、と教えているようです。それは私と同じ考え方です。 2.庄屋が不幸に遭っている、とあります。しかし人間の人生は不幸が基本です。苦しみの線の上に楽しみの点がある様なものです。庄屋の不幸が農民の自殺の結果であると証明することは出来ません。ですので庄屋の不幸が何の結果かは分からないでしょう。不幸の数は膨大ですからいちいち検証するには要素が多すぎます。よって庄屋の不幸が農民の自殺の結果であると考えるのは早計ではないでしょうか。 また、人間は不幸が基本です。中世ヨーロッパでは大多数の人間が苦しんでいました。農民として。と、なると中世ヨーロッパの前世の人々は余程の悪人だったかと思います。それ程の悪人が跋扈(ばっこ)する時代はありましたか? 殆どの人が苦しむ現世ならば、前世の世界では殆どの人が悪人ですか? というよりも基本的に人生が苦しみなら、基本的に前世では誰もが悪人ですか? 3.知的能力は大脳の大きさの違いです。特に理性は前頭連合野という所が担当しているとたけしの万物創世記で学びました。人間の前頭連合野は猿の6倍ほどあるそうです。それが人間と猿の知能の差の一番の原因です。大脳の大きさの違いのほかに前頭連合野の大きさの違いが大事だそうです。と、いうよりも知的能力の違いを何で読み取るのでしょうか? 運動もニューロンの適切な配置のお陰ですから、運動が得意というのも厳密に言えば知的能力が高い、と言えます。そもそもどんな分野でも訓練すれば幾らでも伸びます。と、なると知的能力の差は大して問題にならないのではないでしょうか。知的能力は訓練次第です。 4.<優れた人は劣った人を蔑む傾向があります>とありますが、誰かを馬鹿にするのは優れた人間ではありません。私は人をバカにする人間は劣った人よりも劣っている人間だと思います。この世が特訓の世界でもあるのは同意します。現世は特訓には最適だとは思います。その部分では私もあなたの考えには賛成ではあります。 4.神経伝達物質の伝わりやすさなどはあるのではないでしょうか。長寿遺伝子があるなら、天才遺伝子があってもおかしくはない気もします。突然変異は母体の年齢が高いほど起こりやすくなります。ただしその場合の突然変異は基本的に生存に不利です。 5.霊能者は怪しい人が非常に多いと思っています。ところでなぜ詳しく言えないのでしょうか。知ってしまうと不幸になる情報なのでしょうか。因果応報、輪廻転生が真実ならば素晴らしい情報は共有した方が皆の幸せに貢献するとは思いませんか? 6.輪廻転生が事実かどうかは私は非常に怪しいと思っています。その様な宗教的な教えは特に扱いに注意しなければならないと思います。歴史上、宗教は最も危ないものです。だからこそ私は徹底的に納得するまで追及します。ですので信じろ、と言われても(信じてあげたいのはやまやまですが)胡散臭いと思ってしまいます。他にも書いたように私は『希望輪廻転生制』を強く望みます。 さて、人は不幸を忌み嫌います。しかし不幸は本当に不幸ですか? 例えば一生挫折しない人生を送った人はホームレスをバカにしませんか? しかし不幸だらけの一生を送れば人々の苦しみに深く反応できるすばらしい人間が出来るのではないでしょうか。私自身を振り返ってみますと不幸にまみれた人生です。しかし私は大変な自分の人生を振り返り、自分よりも辛い昔の人々の為に涙が止まらなかっとことが何度もあります。自分の自慢のようで申し訳ありませんが、そう考える悪いことを沢山して来世で不幸だらけの人生を送って人間性を高める、という考え方もありえませんか? もっと言うと自ら不幸を求めて悪いことを続ける。つまり多くの悲しみを知る為に不幸になりたくて『悪事を行う』困ったさんが出現しませんか? また、人間は元々『堕ちる欲求』がどこかにあります。輪廻転生が向上のためにあるなら『堕ちる欲求』は一体なんでしょうか?
補足
補足欄ですみません。No.36へのお礼です。輪廻のたびに本当に運動能力などは伸びますか? 現代人は昭和の人間よりも運動能力は劣っています。それは現代人が運動をそれ程しないからです。もっと言えば時代を下るほど人間の運動能力は低下しているのではないでしょうか。運動選手の記録は伸びていますが、あれはトレーニング技術の恒常化と思います。計算能力の教育の賜物です。会話力も教育と文明の賜物です。他人への思いやりは時代が変わっても変わらないです。もし人間性すら向上しているのならば現代は今迄で一番過ごしやすい世界のはずです。しかし現代は本当に『一番過ごしやすい』時代ですか? 確かに私は現代は最善に近い時代とは思います。現代日本がストレス社会と言われても飢えて死ぬ人はほぼいません。幼少時の死亡率も大分低下しました。しかし物質的に最善の現代が最善の時代と決め付けるのはやや総計と言う気もします。個人的には狩猟民族の方が幸せと思います。多くの人は首を傾げるかと思います。しかし私は狩猟民族と思うのです。と、いうのも現代は最も欲深い時代です。欲が限りない故に苦しみも限りない面も否定できません。ある本に現代の日本は『餓鬼の時代』と書いてありました。私もその意見に同意する面はあります。狩猟民族は動物と同じですからある意味では餓鬼界の現世より上ではありませんか? ところで、昔の虐待は目に見えました。為政者が弱者を『直接』いたぶっていました。しかし今の虐待は隠れてなされています。また、現代はストレス発散の手段が増えたので人を虐める必要が減ったのかと思います。 そして今思っているのは輪廻は人間だけのものかどうか、ということです。人間だけとしたら歴史上どこの人間からか、ということも気になります。猿人、原人、旧人、新人、のどこからなのか知りたいです。人間以外にも転生するのならどの生物からか知りたいです。人工的に創られた菌にも転生するのか、植物に転生するのか、多細胞生物までか、魚類までで止まるのか、爬虫類までか、輪廻転生する生物はどこまでなのでしょうか? 気になって仕方ありません。 <人生を送る間に人は賢くなっていきます>とありますが、実際は賢いかどうかは分かりません。と、いうのも江戸時代の財政危機は幕府の人間が何とか解決しました。しかし現代日本の財政危機は最早解決できないでしょう。と、なると現代の政治家は江戸時代の政治家に劣りませんか? と、なると輪廻を繰り返しても向上していないのではありませんか? 賢い犬猫というのは計算できる犬でしょうか? あれは犬が吠える度に飼い主の顔色を伺っているらしいです。故にあの犬は飼い主の顔色を伺うのが上手なだけで賢いかどうかは分かりません。と、いうのも賢いのを何で計るのでしょうか? 恐らく人間が勝手に賢い、賢くない、と分類してるだけではないでしょうか。 折角御礼をしていただいたのに文句ばかり書いて申し訳なく思っています。ただあなたの回答はとても嬉しかったです。丁寧で親切でしたので。また、私自身の考えも練られたので非常に為になりました。このたびは回答、誠に有難うございました。
- 島崎 信也(@zakky74)
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zakky74でございます。 お応えする上で、とても参考になりました。ありがとうございました。 少し空いた時間を使い、今日はお礼と補足に対するお応えをしたいと思います。 b-w-stepさんが求めていらっしゃる問には、次回にお応え致します。 その時が、楽しみでございます。 >私が書いたのはこの世の仕組みを伝える内容・・・その場合は悟らなくても幸せになりえます。 なるほど。b-w-stepさんの見解は、分かりました。 >これは現代医学や科学はある程度は解き明かしているが、・・・酢が身体を柔らかくするかどうかも不明です。 これに関しては、ほぼ同じ意見を持っています。ただ、出発するところと申しますか、どこから観るのかの観点が多少違いますが。 >>存在の仕組み、存在のメカニズムについて、b-w-stepさんが知る限りでは分からないという事をお伝え頂いている >というのはやや論理が飛躍していませんか? 私は『分からない』とは思いません。アルコールを・・・などの枝葉末節です。根本なら何とか分かると考えています。 なるほどですね。 > では、私の考える最終理論について書かせて下さい。私は死後の世界は無限にあると・・・と、いったところが私の考える最終理論です。 b-w-stepさんが思う最終理論の定義、およびその内容を仰っていた様に受け取っています。 > 補足欄ですみません。お礼の続きです。 字数制限がありますが、補足とお礼がかける事が羨ましいです^^ ですが、僕がお応えする際にはとても参考になっております。 >>b-w-stepさんも含めて、現代医学・科学は無知である・・・ >というのも論理が飛躍している気がします。上述したとおりタバコを・・・と話がこんがらがりそうです。 なるほどですね。 > 観術について疑ってしまい、・・・あなたのお陰で私の考えが練られています。 念のためにお伝えしておきたいのですが、観術は、宗教ではございませんよ^^ ですが、多くの機会において誤解を受けます。その場合は、観術の中身や内容を吟味するよりは、外見やパッと見た感じで判断する場合が多い様です。 ただ、僕はその事で気を悪くすることはありません。 なぜならば、僕自身が思っている事≠事実であるという事を理解しているからですし、中身がない様に思う事そのものはその方の判断として自由だからでございます。 ですが、疎通・交流はしたいものです^^ >最終理論と枝葉末節は違います。最終理論は分かっても枝葉末節の全ては・・・ここで今一度あなたの中の最終理論の定義を教えてくだされば幸いです。 了解しました。 > さて、人類は枝葉末節を全て分かる前に・・・と書いていた本もあります。 僕も、そうした本や情報に触れた事があります。 色々な観点があって、面白いものでございますね。僕の見解とは違いますが、そうした見方となってしまう背景は確かに理解できます。 >という矛盾を指摘してくださり・・・細胞の構造に変わりはありません。 話が面白くなってきました。ここからの交流が非常に楽しみでございます。 > 私はこの質疑応答の中で新しいことを次々と・・・誠に有難うございます。 僕も、交流を図る上でとても参考・学びになっておりますよ。 最終理論の定義に関してと、それがもたらす事について・・・例えば枝葉末節についてや、人間が何を知れるのか、などについて僕からお応えしたいと思います。 ただ、今回はお礼・補足にお応えするだけに留める事をお許しくださいませ。 近い内に僕がお伝えしました最終理論の定義や枝葉末節などについて触れた後に、b-w-stepさんがご質問されている主題についても戻って参りますので^^
お礼
観術が宗教ではない、という事に安心しました。今迄宗教だと思っていたので、その面を含めてもやや厳しい文面だったかと思います。失礼致しました。 ところで個人的には観術は『感術』と思っています。私の感性で、ですが……。 何度も本当に有難うございます。zakky74様の回答を首を長くしてお待ちしています。私の世界観が広がることが楽しみです。出来るだけ丁寧に書いてくださると嬉しいです。このページを読んでいる他の方も観術から学ぶものがあるはずです。 ところで私の考えの続きです。輪廻転生は私は『希望制』と考えています。輪廻転生から得るものもあります。また、現世は辛いとはいえ、スリルに溢れた素晴らしい世界でもあります。全てを失う緊迫感は現世でしか体験できませんので。よって死後の平和な世界から現世へ『遊びに来る』ことはありうると個人的に考えています。また、死後の平和に感謝できなくなって辛いとき(はほぼ無いと思っていますが)にも現世に来て死後の世界に対する感謝を深められると思います。 今迄の私のお礼と補足も読んでもらえると非常に嬉しいです。 ところで『……でございます』などの様な言葉遣いは丁寧すぎませんか? 慇懃無礼という言葉があります。どうも私は丁寧すぎる言葉遣いは苦手です。何となく胡散臭さを感じてしまいます。すみません、本当に。どうも怪しいことを考えている人は表面を取り繕うことが多いと感じています。『巧言令色少仁』という格言があります。今迄の厳しい文面はその様な不快感も表現されています。恐らくその言葉遣いが生理的に合わない人もいると思うので、言葉遣いを変えたほうが良いかもしれません。zakky74様の今後の為にもその言葉遣いの是非を勘案していただけると幸いです。このようなことを提案するのは申し訳ないと思っていますが……。本当にすみません。私はだいぶ悲惨な人生を送ってきたので危険に対しては過敏になっています。今迄のお礼で他の人にも迷惑をかけてしまいましたが……。 繰り返しになりますが、これからの回答、本当に楽しみにしています。私だけでなく、このページを見ている全ての人の為にも丁寧な回答をよろしくお願いします。
- mtnlnd
- ベストアンサー率36% (89/242)
何故必要かは創られた方に聞くほかありませんが 起こっている事実からの推定は出来ますのでそれを話しましょう 輪廻転生は事実であり 世間の大方が知らないだけです 現在では坊さんでさえ知りません イエス様は教えなかっただけです でも知っていたと思われる部分が新約聖書にあります 弟子たちには教えたのではないかと思われる部分があるのです 参考URLは私の関連回答で ベストアンサーを頂いております 本題 輪廻とは生まれ変わる事ですが 人生を繰り返す事で確実に成長します 賢くなっていくのです 運動能力とか計算能力、会話力、他人への思いやり等etc 生まれつき皆違うのは再生回数や一生の間 どれだけ努力したかによるのでしょう 転生させられる理由は恐らくこうではないかと推定してます つまり人生を送る間に人は賢くなっていきますが良くも悪くも色々な方向に進みます 例えばプライドだけが強く中身が伴っていない人は次の人生では更にプライドだけが強くなるのではないかと想像されます ここで犬猫等に生まれ変わる事で過剰なプライドが修正されるのではないでしょうか? 実例が無いので自信はありません こういうのはプライバシーの問題があるので報告されないだけと思いますけれど蛇に生まれ変わった 実例はあります 世間には賢い犬猫がいるものでTVで紹介されたりしますが これらは人から犬猫に生まれ変わった例ではないかと想像してます 上記は実際起こっている事実からの推定に過ぎませんがご参考に この場では言えませんが 生まれ変わりの事実は現在誰でも確かめる事が出来ます 完璧とは言えませんが方法があるのです その為にあるのではありません。
お礼
クリスチャンの方(?)からの回答、恐れ入ります。キリスト教では輪廻転生という考え方は無いと思っていましたが、あったのですが。驚きました。ありがとうございます。私は聖書を持っているので輪廻転生の該当箇所を教えて頂けると非常に嬉しいです。 参考URL、誠に有難うございました。一通り読ませていただきました。前世が農民という人がいないのはなぜでしょうか? 歴史上、有史以来の人類の9割は農民だったはずですが……。不思議です。皆様、運が良いのでしょうか。さて、参考URLから少し引用させていただきます。 <前世に獲得した能力をベースに 生まれ変わる事で別人としてリスタートする訳ですが同じ道を選べば更に磨きが掛るでしょう そして最終的には天才になる訳です決して遺伝ではありません 遺伝は物理的形状性質 つまり姿や体質等に限られるでしょう遺伝学で証明されているのはこれだけと思います。> 頭脳も身体の一部ですので、遺伝はします。頭の良いマウスを交配して天才マウスを創りだす事に成功した旨を以前テレビで見ました。(恐らくNHKだったと記憶しています)頭脳、すなわち知的能力は神経由来ですので、遺伝します。例えば頭の良い人は神経回路が繋がりやすかったりするかと思います。なお身体障害など、何かしらの障害がある人は障害箇所の分だけ脳の使用量が減ります。その分他の才能が増えるらしいです。少し前に全盲のピアニストの方が有名になりましたが、彼も『視力』の神経回路の分がピアノの才能へ行ったのかもしれません。 また、能力を上げるなら現世に生きない方が効率が良いと私は考えます。神様は特訓の世界を創り、そこで訓練した方が早い気もしてしまいます。私は『輪廻転生して永遠の向上をするのは良い』と考えます。しかしここで2つの疑問が生じます。 1:なぜ永遠の向上が必要なのかという問いに答えていません。もっと言えば向上しなければ幸せになれない理由が不明です。向上という苦痛に見合うだけの喜びがあるか? と、問うた時に答えは否です。例えば私自身は英語と中国語もある程度は話せる上に生理学、生化学、病理学、哲学、歴史学、格闘術など膨大な知識を持っています。しかし今が幸せかというと?がついてしまいます。それらの知識は『幸せ』には直接的には関係していないからです。別に宇宙の多次元解釈を知らなくても幸せになれます。向上しなくてもお笑い番組を見れば『あはは』と笑えます。結局多くの技能や知識は『あればいいな』で『無いと不幸せ』ではありません。私の知り合いに日本語もあやふや、外国語は全く出来ない、知識も無い人もいますが私より幸せそうです。結局、幸せに向上は必須でないと今は結論付けています。あくまでも学問は遊びでしかないと私は思います。 2:向上すれば維持が難しくなります。例えば子供は小さい体なので食物をあまり食べずにすみます。成長して身体が大きくなれば沢山食べないといけなくなります。それと同様に多くの情報を得れば情報を『選択する時間』が増えて使い勝手が悪くなります。つまり勉強すればするほど脳内の情報を取り出すエネルギーが増大します。と、なると成長が良いとは言えなくありませんか? あなたも子供の頃よりも多くの食べ物を食べていますよね? 木をという物を観察したときに子供の頃よりも多くのことを考えますよね? あなたは成長した分だけひとつの事柄に費やすエネルギーが増えています。と、いうことは成長するほどに非効率になりませんか? よく考えてほしいのです。成長は本当に良いことですか? 嫌がらせの様なお礼で誠にすみませんでした。遺伝学も奥が深いので学んでみると良いです。私は今高等化学を学んでいる最中です。高校で習う化学は全ての科学の10分の1位しか量が無いと感じています。あの難しい高校化学ですら。ですので本当に勉強は深いです。この度は新しい知見、誠に有難うございました。厳しいことを書いて申し訳ありませんでした。私は輪廻転生という考え方は嫌いではありません。ただ、輪廻転生を使って人を苦しめる人が(万が一いるとしたら)嫌なだけです。すみませんでした。
- magga
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<<★<彼はあの世はあると見れば、彼の見方は邪見。あの世はあると思えば邪思惟。あの世があるといえば邪語。人にあると思わせることをしたら、非正法で行うこと。このようにして善き戒を捨て、悪戒に入ることが始まる。もし来世があるとき、この方は死後自分を安穏に出来るが、もし、あの世が無いなら、この方は死後、苦界・悪趣・堕処・地獄に落ちるだろう。>ということは成り立たないのでしょうか?★>> どうがんばっても成り立たないように思います。 来世があるとみるなら善悪の行為・善悪業に結果がでるということ。 それに従い、この世でもあの世でも幸福に生きるための行為・道徳・善戒をなすことが期待できるでしょう。 もし事実が「来世が無い」だったとたら、来世があるとしていたのですから、邪見・邪思惟・邪語・非正法で行うことをしていたことになるかもしれませんが、今生で道徳的に生き、心優しく、観察力高く、幸福に生き、死後、体が壊れた後、その「邪見・邪思惟・邪語・非正法で行うことをしていたこと」の結果はでませんから、自らを安穏に出来る。 八正道にて自己を育めば育むほどに、これらの安息が期待できる(完成すればなおのこと)。 ★ 「来世が無いときに地獄に落ちる」・・・・ 「来世が無いとき、死後生まれない」 「死後生まれない<無い来世の地獄>に生まれる!?」 ・・・いろいろ矛盾してます^^; <<決め付けるのは悪いです。しかし輪廻転生が必然、因果応報が必然、来世がある、と決め付けるのも悪い気もします。私は輪廻転生は希望制という気もしてきましたが……。>> 「来世が無い」とすると危険。 「来世がある」とするといくらか安全。 (世界観の決め付けは危険を伴うw結果がでる、あたりで止めれば安全かな、世界観も保留事項で^^) しかし、決め付けるより、確かめたらいかがですか、方法もありますし(by 仏陀) 仏教(初期)は超理性的ですから、検証(覚り)を勧めます^^v <<★<そして因果応報・自業自得・来世、輪廻がないならば、生命同士の支え合い、幸福を支援する、道徳概念が崩壊すると思います。>というのはその通りです。その意味でもそれらの概念は必要だと思います。★>> ですよね^^ それらがないとすると、非道徳に逃げ道が生まれる気がします。(悪戒が期待できる) <<しかし一方で欧米にはその様な考え方は殆ど無いようです。欧米ではキリスト教的な世界観によって人々は生きています。キリスト教では輪廻転生は否定しています。しかし欧米は道徳が崩壊しているわけではありません。(日本よりは道徳が無いと思いますが……)>> 元々の人間のいくらかの慙愧の心と優しさによって何とか保たれているという面と、宗教や法律などによる規範・縛り(矛盾をはらみながらでも)でも何とか保っているというのが現状でしょうね。 しかしながら、曖昧・矛盾・悪行為の正当化、なども多いですし(欧米日本限らず)、おかしなのがでてきてもすぐに潰せない弱さがありますね^^; 日本でもありましたよね^^; <<因果応報・自業自得・来世・輪廻という東洋的価値観と神・輪廻否定という西洋的価値観はどちらが正しいのでしょうか。それともどちらもある程度正しいのでしょうか。頭が痛くなってきました。>> 確かめれば良いでしょう(ヴィパッサナー修習・慈悲の冥想などの鍛錬で延長線上に過去を観る段階があるといいます)。 確かめるまで保留にすればいいのです。 「決め付け」が悪いというなら、一部の初期仏教徒の如く徹底的に検証的立場に立てば良いのではないでしょうか^^ 調べて納得いったところから実践してみてはいかがでしょうか。 カーラーマ経はしびれますよ^^
お礼
すみません。あくまでも例え話です。私も最初の3行は成り立たないと思います。考えてくださってありがとうございます。私の矛盾な考えをしっかりと検討してくださって非常に恐れ多いです。 来世があるとしても善悪の行為・善悪行に結果は出るとは限らない気もします。例えば悪を施して 『生育環境のせいで』『生物欲があるから』という意味で許される気もします。と、いうよりも生物欲のみに従って他の生物を虐める人間以外の生物はどうなるのでしょうか。仏陀は悟れるのは人間だけでなくほかの生物全てである、と語っています。当時は人間だけ特別と考えられていたと思いますが、現代では人間は他の動物と大差ない気もします。 仰る通り悪いことをしたら来世で罰せられる、とした方が教育上良いです。と、いうより私の考え方『何をしても死後は同じである』は広まっては困ります。また、私も来世では罰せられると幼い子をしつけた覚えがあります。真実はどうあれ教育上、倫理上という面で輪廻転生は否定できません。所謂大人の本音と建前ですね。 私も検証的立場に立ちます。本当に何度も書いてくださってありがとうございます。本当に恐れ多いです。皆様も本当に有難うございました。
- magga
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思うところを書いてみます^^ <<八正道が、八正道の完成が、なぜ善になるのでしょうか。>> 生命のネットワークを鑑みたとき、自分にも他の生命にも役立つから八正道は善なのだと思います。 心の面でも、妄想や誤った認識を捨て去り現実をありのまま覚ることで、現実と妄想・誤知との乖離によって煩悩に焼かれることもなくなり、自らが心を安穏を体験しますし、煩悩に焼かれることで多くの生命に苦しみを与えることも、自らの妄想・誤知を基にしてされる、思惟・言葉・身体の行為を介して苦を与えることもなくなる。 余計な妄想・感情が無いので、冷静に人の役に立つとはどういうことなのか、今の現状はどうなっているのか、どのタイミングでどう何をするか考えられるので、お門違いの余計なお世話になる可能性が減る。 自他にとって善となる、役に立つと・・・ 以上のことから善と私は呼びます。 <<善行は気持ちと結果とどちらが大事なのでしょうか>> 両方大事ですが、どちらかといえば気持ちの方が重要だと思います。 その育まれた心で(善悪・・・何をしてもそれぞれの方向に成長してしまいますから) その後、思惟、言葉、体の行為をなすのですから。 理にかなった行為が出来ない、結果がでない、失敗するのは「下手」なのだと思います^^; なので八正道の各支での調整で「上手」に出来るように鍛錬するのでしょう。 <<善行がことごとく裏目に出たとしたら彼は天国行きか地獄行きか>> 業自体は無始の過去から輪廻し続けているとの事で、みな五十歩百歩のようですが、 今の心の状況によって、引き寄せたり、離したりするという話です。 死の瞬間にその纏う善・悪、強弱さまざまな業のどれが結果を出すかはわからない。 故に、八正道で善業を積み(悪業の相殺なども)、心の善を育み、善業を引き寄せるように^^ 出来るなら今生で覚り、輪廻から解脱・涅槃に。 と八正道を勧めるのだと思います。 <<極端な話皇帝で人々を苦しめても八正道さえ完成させれば救われるのでしょうか>> そう思います。 999人殺したというアングリマーラも覚られたとありますしね^^ (親殺しなどいくつか今生で覚る機運をうすなう行為もあるみたいですが) <<『悪を行わぬ我』とありますが悪は誰でも行います。食事で他の生物を殺していますので。>> 植物は我々とは構造が違いますね。 どこからがその植物の生命か、どこから死んだことになるか・・・ 結構いい加減な生命で、切ったり、違うものに貼り付けても生きていけたり、根っこでのびて切り離してもどんどん増えたり・・・ 仏教では植物を調理することは殺生に含みません。 が、生きていくのに最低限のもので済ますようになってます(在家) 出家は、田を耕すことも、草を抜くことも、葉をちぎることも、調理し布施(遺体は物質です)されたもの以外食事することもしません。 なので、小さな悪行為ではあるのでしょう。なので輪廻からの脱出を説きます。 定義→「殺生」・・・対象が生命で、対象が生命だと知り、殺そうと思い、それを実行し、死に至らしめる。 つづく
お礼
煩悩に焼かれる、という考え方は的を射ていると感じます。一方で個人的には煩悩も必要ではないか、と考えることもあります。と、いうのもお腹が空かなければ食べ物が美味しくない様に、煩悩で苦しまなければ瞑想の喜びも無いのでは、と思うことがあるからです。つまり苦しみがあるから喜びがあり、煩悩という苦しみがあるから瞑想などを通じて無になる喜びもある、と考えます。これはどうなのでしょうか。本当に煩悩は絶対的な悪なのでしょうか。この世に完全な悪が存在するのでしょうか。揚げ足をとるみたいで申し訳ないです……。 また、妄想や誤知すらも良い方面で利用できないか思案しています。例えばこの世の殆どの文学作品は妄想ではありませんか? 恋愛小説などは都合の良すぎる妄想と考えてしまいます。しかしこの世から小説を無くしてしまえば自殺者も大勢出てしまいます。私の好きな言葉に金子みすず様の『みんな違ってみんないい』という言葉があります。妄想や誤知すらも使い満ち次第とも思っています。所謂『馬鹿とはさみは使いよう』です。ですので妄想を排除すべき物事だとは一概に言えないのではないでしょうか。この世から危険を全て取っ払うとしたら聖書のエデンの園状態に戻らなければいけなくなります。個人的にはエデンの園も理想郷としてはありと思いますが……。書いていて気が付きました。仏教はキリスト教に当てはめるならばエデンの園状態を目指してはいませんか? 違っていたらごめんなさい……。ただ、私はキリスト教に出会う前(ただ、個人的にはキリスト教の教えも完全ではないと思っています。クリスチャンでもありません。)に仏教と出会ったので仏教の教えを大事にしたい、と思っています。 仰る通り余計なものを削ぎ落とす事で冷静な判断が出来るのは言えますね。余計なお世話にならない様に個人的にも気をつけていきます。その為にも無駄を無くす、ということですね。肝に銘じます。 下手、という表現はなるほどと思いました。これは上達するしかありませんね。 八正道さえ完成すれば救われる、というのは驚きました。悪い皇帝ですら救われるのは意外でした。アングリマーラをwikipediaで読みました。聖書で言うならヨセフに少しだけ境遇が似ている気もしました。 植物は構造は仰るとおり違います。植物の生死というのは本当に分かりません。動物生理学とは別に植物生理学という学問があるくらいですので……。 やはり仏教は植物と動物は区別するのですか……。今迄なぜ仏教とはベジタリアンか謎でしたが、今謎が解けました。 しかし医学的にはベジタリアンでは生きていけないので肉も食べているはずです。肉を食べないでビタミン剤で済ませればよいのですが……。ビタミンB12が足りなくなるらしいです。このあたりは仏教とはどうしているのか気になります。 参考:メルクマニュアル日本語版 では植物が殺生にならないのなら微生物はどうなのでしょうか? 私達は毎日膨大な黄色ブドウ球菌を体内で殺しています。微生物に対する仏教の態度、個人的には非常に知りたいです。嫌がらせみたいですみません。 殺生を最低限にしたいからこそ仏教徒は托鉢をするのですね。やっと納得がいきました。ありがとうございます。 個人的な事柄で非常に申し訳なく思っていますが、キリスト教やイスラム教などの神を信じる宗教と仏教などの宗教の教えの不一致をどうすれば刷り合わせられるか悩んでしまいます。ものすごく変人で申し訳ないのですが……。 兎にも角にも私の様な変人に皆様、長々と付き合ってくださり恐縮です。皆様の寛大さ・親切さには驚いていると同時に深く深く感謝しています。
- 島崎 信也(@zakky74)
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zakky74でございます。 >私が理由・原因を語らなかったのは自分の考えを人に押し付けるようで申し訳なかったからです。私はキリスト教的な教えを信じて・・・ 理由・原因というのは、理解の世界でございます。明々白々な仕組みとして、人間が理解出来る事を指し示しております。b-w-stepさんが、キリスト教的な教えを信じていらっしゃる事は、それはそれで構いませんが、b-w-stepさんは輪廻転生の必要性や怖さに対して向き合おうとされているのですから、やはり向き合うべきは理解による納得なのではないでしょうか? 即ち、信じること=事実ではございません。 思い≠事実、信じる≠事実なのは、先の天動説から地動説の変遷を見ましても学べる事かと思います。即ち、多くの人間にとっては理解方式、認識方式として仕組み・メカニズムに対する理解や納得の方が力強いという事を歴史は明らかにしました(例え、地動説が宇宙自然の仕組みであったとしましても、人間にとって生きる意味や価値が高ければ、天動説のままでも良い筈です。ですが多くの人によって、地動説が支持されてきた歴史的背景を鑑みまするに、人間にとっての生きる意味と価値は信じる事よりも理解する事を選択致しました)。 明確に理解してしまっている事の前では、信じる事は及びません。 それは、明確に理解している事は仕組み・メカニズムと相性が良いからであり、信じる事は仕組み・メカニズムや事実とは関係なくてもお構いなしの世界だからでございましょう。人間らしさをイメージさせてくれる大脳新皮質は、理解と相性が良いのでございます。信じる事は、大脳新皮質との相性はよくありません。 >1の苦しみについては・・・ >2は私たち自身が悪を・・・ >3は人生で負けることです。・・・ >この世の創造の理由は皆が幸せになる為です。幸せになる為の手段としてこの世という地獄が創られたと私は考えています。 確認ですが、これは四苦八苦・無知の理由・原因でもなければ仕組み・メカニズムでもないと理解して宜しいのでしょうか?それとも、これが理由・原因となる仕組み・メカニズムをお伝え頂いたものだったのでしょうか? > さて、病気に対する知識は・・・実際は中身は無いものが巷に溢れています。 存在の仕組み、存在のメカニズムについて、b-w-stepさんが知る限りでは分からないという事をお伝え頂いていると理解して宜しいでしょうか?即ち、b-w-stepさんも含めて、現代医学・科学は無知である、その様にb-w-stepさんはお考えだと受け止めて宜しいでしょうか? >私は観術もその中の一種ではないか、と疑ってしまいます。すみません。もしzakky74様が間違った考えに捕らわれているのならば可哀想でなりません。 実際は中身が無い、と判断されているb-w-stepさんがおりまして、それを信じて頂いても構いません。一方で、観術には実は中身が有るのかも?・・・という可能性についても、少しでも良いですから関心を持って頂ければ嬉しいですね。 そして、この話の流れを思い出していただきたいのですが、 >>>生物としてのあり方自体が・・・ >>と仰いますが、生物としての在り方を語る為には、 >>即ち西洋の物理学にいう最終理論を明々白々に理解し、全ての仕組みを解き明かしてこそ、初めて生物としての在り方を語れる様になるのではないでしょうか? >>それを語ったのは、観術が世界初、歴史初だと思っていたのですが、もしb-w-stepさんが語れるのでしたら・・・ という事でございましたよね? この流れからは、観術に中身が有るか無いかはこの時点では問題ではなく、b-w-stepさんが最終理論を誰もが理解・納得できる形で説明する事ができるのかどうかが焦点だと思いますが如何ですか?即ち、b-w-stepさんが最終理論を理解しており、そこから始まる存在の仕組み・メカニズムを明々白々に人に語れて、その人が理解・納得してくれれば、観術に中身が有るか無いかは、大切な事ではございません。また、僕もb-w-stepさんから学べる訳でございます。 それ故に、もし語れるのでしたらご教授頂きたかったのですが、 > 物理学などの科学も現代は大したものではありません。最終理論を明々白々に理解することは不可能です。全体の理論の深さすら人間には分かりません。 b-w-stepさんは、最終理論を誰かに理解・納得できる形で説明する事が出来ないと理解して宜しいですか?そして、b-w-stepさんご自身が最終理論を明々白々に理解していない状態ですけれども、 >>>生物としてのあり方自体が・・・ を仕組み・メカニズム・事実であるかの様に語っていると受け取って宜しいのでしょうか?
お礼
仰るとおり、信じていることと事実は同値ではありません。 <四苦八苦・無知の理由・原因でもなければ仕組み・メカニズムでもないと理解して宜しいのでしょうか?それとも、これが理由・原因となる仕組み・メカニズムをお伝え頂いたものだったのでしょうか?> 私が書いたのはこの世の仕組みを伝える内容です。幸せになる為には苦しみが身に沁みていないと駄目、ということです。苦しみが分からなければ幸せも分かりません。子供の頃の幸せは苦労を重ねた大人になって初めて身に沁みる面も否定できませんから。つまり幸せになる為の手段としての不幸です。幸せを実感する為の不幸です。今の私達が子供の頃に戻れれば幸せを実感できると思います。 四苦八苦は生物が存在すれば存在するのが基本です。少なくとも現世では存在して当たり前です。少しでも自分の遺伝子を残す為の世界なら嫌な人がいて当然です。四苦八苦の理由・原因はただ単純に『現世に生きているから』ではありませんか? 死ぬ時に苦しみを知り、死後という幸せな場所で生きます。私の提唱する死後観では四苦八苦はほぼ無くなります。その場合は悟らなくても幸せになりえます。 > さて、病気に対する知識は・・・実際は中身は無いものが巷に溢れています。 これは現代医学や科学はある程度は解き明かしているが、未だにあやふやな点が多い、ということです。喘息の原因は未だに不明ですし、高血圧の原因も大体は不明です。と、ハリソン内科学に記載されていました。無知、というのは言い過ぎですが過信も出来ないと感じています。先端医学を学んでそのように感じています。全てを解き明かすのを100とすると現代は大体60前後ではないでしょうか。現代では中身が無いものが巷に溢れている、という例を挙げます。ブルーベリーが目に良いかどうかは不明です。酢が身体を柔らかくするかどうかも不明です。 <存在の仕組み、存在のメカニズムについて、b-w-stepさんが知る限りでは分からないという事をお伝え頂いている> というのはやや論理が飛躍していませんか? 私は『分からない』とは思いません。アルコールを過剰に摂取すれば酔ってしまうのは誰でも知っています。それと同じ様に私達人間でも完全でなくとも存在の仕組み、存在のメカニズムが分かるはずです。ここで注意すべきなのは最終理論の定義です。私は最終理論は『この世の大まかな仕組み』と解釈しています。最終理論が分からない、というのは例えば人工生物として人間まで創れるか否か、人工生物としてどこまで人間をより良い生物へ改変できるか、などの枝葉末節です。根本なら何とか分かると考えています。 では、私の考える最終理論について書かせて下さい。私は死後の世界は無限にあると考えます。例えばインターネットではホームページは無限に近いほど多いです。死後でもインターネット同様に世界自体が無限にあると思います。 人によって幸せは違います。だからこそありとあらゆる種類の世界が無ければ必ず不満を漏らす人がいると私は考えます。例えば人工物の一切無い世界、第二次世界大戦が継続中の世界……などです。人によって幸せは違うので1つの世界で全ての人が幸せになることは無いと思います。 恐らくこの世とあの世は次元が違います。その様に『次元が違う』のなら世界は無限大の数だけ存在しうると思います。 一度この世で苦しみを知った後に死後の世界へ行き、永遠に幸せに過ごす。死後の世界同士の移動は自由。現世では四苦八苦があるが死後は基本的には四苦八苦からは解放される。輪廻転生を望む人間は輪廻転生を幸せの形として選ぶ。自らの消滅を望む人は消滅出来る。修行をしたい人は幾らでも修行が出来る。現世での後悔がある人はその後悔を生める為の世界へ行って後悔を無くす。と、いったところが私の考える最終理論です。
補足
補足欄ですみません。お礼の続きです。 <b-w-stepさんも含めて、現代医学・科学は無知である> というのも論理が飛躍している気がします。上述したとおりタバコを吸い続ければ肺がんになることを現代医学は知っているので現代医学・科学は無知ではありません。あなたの『無知』という概念について説明していただければ幸いです。私の中の無知という概念とあなたの中の無知という概念が違っていると話がこんがらがりそうです。 観術について疑ってしまい、不快な思いをさせてしまって申し訳ありませんでした。私が悪かったと反省しています。宗教系は常人には分からない様なことを使って人を騙すことが多い、と思っているのでついつい厳しい対応になりました。観術は中身が無い、と書いた私は間違いでした。観術からも学べることが沢山あります。実際に観術を通して新しい地平が開きました。観術を教えてくださって有難うございました。私自身の考えもまだまだ至らないとは思います。あなたのお陰で私の考えが練られています。 <最終理論を誰かに理解・納得できる形で説明する事が出来ないと理解して宜しいですか?そして、b-w-stepさんご自身が最終理論を明々白々に理解していない状態ですけれども> 最終理論と枝葉末節は違います。最終理論は分かっても枝葉末節の全ては最後までは人類には分からないと個人的には思っています。上述した通り改造生物がどこまで優れているかの予想までは無理だと思います。また、第二次世界大戦で沈没した日本の戦艦・大和を構成する鉄原子の変化をリアルタイムでは分かりようがありません。私はそれを含めた内容を『最終理論』という言葉で表現しています。大和の鉄原子の数など分かりようがありません。今まで私が使った最終理論の定義とあなたの定義が違うのではないでしょうか。ここで今一度あなたの中の最終理論の定義を教えてくだされば幸いです。 さて、人類は枝葉末節を全て分かる前に滅ぶと個人的には考えています。今でこそ人類は繁栄しています。しかしその繁栄は危ういものです。中国やオーストラリアの自然はボロボロです。人口増加は恐ろしいです。50年後あたりが人類の絶滅する否かの転換点と書いていた本もあります。 <即ち西洋の物理学にいう最終理論を明々白々に理解し、全ての仕組みを解き明かしてこそ、初めて生物としての在り方を語れる様になるのではないでしょうか?> という矛盾を指摘してくださり有難うございました。これは言葉足らずでした。すみませんでした。<生物としての在り方>でなく<枝葉末節にいたる全て>でした。 生物としてのあり方自体が、というのを仕組み・メカニズム・事実であるかのように語っているのはその通りです。例えば薬はなぜ効くかを全て解明しなくても風邪の症状を抑えることは出来ます。それと同様に森羅万象の全てを知らずとも生物の仕組みや生きている理由を解き明かすことは不可能ではないと考えます。医学が進歩しても風邪薬が頭痛を治すことに変わりはありません。それと同時に科学が進歩しても細胞の構造に変わりはありません。 私はこの質疑応答の中で新しいことを次々と学んでいます。それはひとえに皆様のお陰です。zakky74様も私の成長の手伝いをしてくださって誠に有難うございます。
- magga
- ベストアンサー率15% (56/359)
こんにちは^^ また思うとところがあったので、書いてみます。 思索の参考になれば幸いです。 ★ まず、御釈迦様の語る輪廻について。 御釈迦様が覚って【発見し知った「輪廻システム」】を我々に語ってはいますが。それを信仰させるということはしませんでした。信仰する人もいたでしょうが、あくまで理性的であることが仏陀の道にとって重要ですから、信仰より納得・確認が勧められます。 ある村で、多種のバラモンたちが来て、来世などいろいろなことに対し「ある」「ない」といろいろ言われどっちが正しいかわからないで困っていると村人にいわれた仏陀は、徹底的に理性的な方法を持って物事に接する方法を説かれました。 基本的な姿勢として有名なのがこの十項目。 1・聞いたこと(風説)により 2・受け継いできたこと(伝説)により 3・噂により 4経本の引用により 5・論理だけで 6・推論だけで 7・様相だけで 8・自分の意見と一致するからといって 9・説者が堪能・カッコイイからといって 10・師だからといって (1~10)→信じる無かれ。 その方が不善であり、欠点があり、識者が非難するもので、誰かが実践しても有用でなく、苦のためなると皆さんが知るならその方を捨ててください。逆に、善でありj欠点が無く、識者が奨励するもので、誰かが実践すれば有益であり、楽のためになるものと皆さんが知るならそれを実践しなさい。 と^^ 初期仏教では理性的態度を推奨します^^ 来世についても、あるかないかわからない立場でも、 この世で、心清らかに生きれば(八正道を完成させれば) 来世があったら、善悪の業の異熟(善悪の行為の結果)あることになり、死後、善き所に生まれるということがありえる。 もし来世が無いなら、善悪の業の異熟は無いことになり、今生にて自分を治め、苦なく、罪無く、悩み無く、この世に楽ありて住する。そして死後生まれないのであるから、安穏に至れる。 もし悪を行って報いがあるというなら、悪を行わぬ我にどうして苦がやってこようか。 もし悪を行ってもあくの報いが無いなら、われらは、悪を行わない行っても報いが無いという二つの面で清浄である 以上の四つの安息を得る。 と、あるないわからないという立場でも、どちらの場合でも今と死後を楽に安穏に幸福に生きるために、今生で、今現在の行為を八正道で生きることで、最善を尽くすことで、より幸福になる道を、柔軟な見解を持って思索していく生き方を推奨しているように思います。 もう一つだけ^^ ★ もし来世がある(業が結果を出す)とき 彼はあの世はないと見れば、彼の見方は邪見。あの世は無いと思えば邪思惟。あの世が無いといえば邪語。人に無いと思わせることをしたら、非正法で行うこと。このようにして善き戒を捨て、悪戒に入ることが始まる。 もし来世が無いとき、この方は死後自分を安穏に出来るが、もし、あの世があるなら、この方は死後、苦界・悪趣・堕処・地獄に落ちるだろう。 ・・・・ 何事も知らないのに決め付けることは、何かを知ろうとする人にとっては汚れで、眼を曇らせます。 信仰(決め付け)の人でなく、何かを知ろうとする人であるなら、「真理の護持」の態度で、決めつけず、根拠を持って、論理的に、理性的に、最後の最後まで柔軟に再構築をするのが好ましいでしょう。 個人的には、八正道は今生で幸福に生きるために役に立ち、死後があったらより善き所に生まれるために役に立つ行為で、多くの人が行えば行うほどに、多くの命の幸福に繋がると思います。 そして因果応報・自業自得・来世、輪廻がないならば、生命同士の支え合い、幸福を支援する、道徳概念が崩壊すると思います。 ちなみに御釈迦様の説くところの業(因果応報)は、全ての現象を自作・他作とするのも否定していると。 自作他作の業が関与する環境要素が複雑に絡むので簡単に断言できるものではないとしていると思います。 そのような現象世界で、善業を引き寄せ、悪業をとうのけるためにも今現在の心を善に向ける(八正道の実践)ことが役に立つのだと思います。 いろいろ書きましたが参考になれば幸いです^^ ~生きとしいけるものが幸せでありますように~
お礼
仏陀は信仰を強要はしなかった、というのは未だに驚きです。悟れば楽になるからあなたも悟りなさい、と強調しないところがある意味では親切だと思います。 仰るとおり、ただ信仰しなさいではなく、確固とした事実に基づく信仰が大事だと思います。何となくの信仰では良くないです。 理性が大事なのですね。仏教にその様な態度があるとは知りませんでした。 しかし八正道の完成がなぜ善になるのでしょうか。極端な話皇帝で人々を苦しめても八正道さえ完成させれば救われるのでしょうか。すみません。折角教えていただいたのにケチをつけるようで。反省しています。ただ、真実の追究の上で一旦否定しています。私は八正道もありうると思います。 『悪を行わぬ我』とありますが悪は誰でも行います。食事で他の生物を殺していますので。 八正道ではありませんが、例えば人に善を施すとします。一生をかけて。しかしその善行がことごとく裏目に出たとしたら彼は天国行きか地獄行きかは気になるところではあります。 善行は気持ちと結果とどちらが大事なのでしょうか。八正道が善、善行が良い理由が知りたい気もします。 あの世が無いと見るだけで地獄落ちはなぜでしょうか。あの世の否定はなぜそれ程に悪いことなのでしょうか。と、いうことは誰かにあの世を否定させることが人を陥れる為の最高の罠でしょうか。 あなたの言葉を改変しました。すみません。 <彼はあの世はあると見れば、彼の見方は邪見。あの世はあると思えば邪思惟。あの世があるといえば邪語。人にあると思わせることをしたら、非正法で行うこと。このようにして善き戒を捨て、悪戒に入ることが始まる。 もし来世があるとき、この方は死後自分を安穏に出来るが、もし、あの世が無いなら、この方は死後、苦界・悪趣・堕処・地獄に落ちるだろう。> ということは成り立たないのでしょうか? 本当に申し訳ありません。 決め付けるのは悪いです。しかし輪廻転生が必然、因果応報が必然、来世がある、と決め付けるのも悪い気もします。私は輪廻転生は希望制という気もしてきましたが……。 <そして因果応報・自業自得・来世、輪廻がないならば、生命同士の支え合い、幸福を支援する、道徳概念が崩壊すると思います。> というのはその通りです。その意味でもそれらの概念は必要だと思います。しかし一方で欧米にはその様な考え方は殆ど無いようです。欧米ではキリスト教的な世界観によって人々は生きています。キリスト教では輪廻転生は否定しています。しかし欧米は道徳が崩壊しているわけではありません。(日本よりは道徳が無いと思いますが……) 因果応報・自業自得・来世・輪廻という東洋的価値観と神・輪廻否定という西洋的価値観はどちらが正しいのでしょうか。それともどちらもある程度正しいのでしょうか。頭が痛くなってきました。
- pupurr
- ベストアンサー率18% (129/704)
>>だからこそ欲を無くすのが大事 それは小乗教ですね。 今の時代に合ってないものです。 今は大乗仏教の時代ですよ。 欲をたてば、食欲などを絶てば、死んでしまいます。 煩悩即菩提という言葉があります。 ですから、それを転化する教えがあることを知ったほうがいいでしょう。 まぁ、それが、知らないということすら自分がきずかない。無知の知なんでしょう。 この世界の知らない事は無限に広がってるとして、その知ってる世界だけを見れば、ほんとに小さい世界かもしれませんね。 まぁ、一国で平和な時代の石器時代と、他国が攻めてくる事で、両者が協調しないと平和が出来ない現代とは、当然、教えもその時代に合ったものを用いるのは当然ですね。 正法時代、像法時代、末法時代と言われてますが、今は末法だといわれてますね。 その時代に合ったものを用いるべきです。 五重の相対がありますから、それも調べてみるといいでしょう。 また変毒為薬など、毒を薬に変えるとか、いろいろな言葉がありますから。
お礼
時代によって教えも違ってくるのは成る程と思います。 wikipediaで『五重相対』のページを読みました。この様な考え方を知ることが出来て勉強になりました。ありがとうございました。 末法時代は1052年から始まりましたが、時代を下るごとに人心が廃れている印象もあります。物が豊富になると心は軽んじられるのかもしれません。
- pupurr
- ベストアンサー率18% (129/704)
六道ですか。 六道輪廻というものですね。 十界ご具という仏教用語がありますから、調べるといいでしょう。 また、勝手な考えで、手垢にまみれることを教えるのはいけないことですから。 素人考えを教わるのは危険です。間違える可能性があるからです。 必要か必要ではないかといってみても、在るものは在るということです。 ただ、言える事は、因果でいえば、いい原因を作っていくといいと思います。その結果を受けるからです。ですから、いいことを思い、いいことを話し、いいことをするといいと思います。 生命感を学ぶ中に六道や四聖という言葉も聴きますよ。 ほかの話で言えば、「生まれたものは死に、死んだものは生まれてくる』という事を聞いた事がありますね。結局わかりません。 ただ、それを前提に、正しく生きるという事が出来ればいいと思いますが。
お礼
素人考えを教わるのは間違える可能性があるから危険、といのは仰るとおりです。私自身も素人なので自分の考えにはよくよく注意しなければならない、と感じています。だからこそ自分に柔軟性を持ち続けたいと思います。 在るものは在るというのは確かだと思います。しかし天動説が間違っていたように当然だと思われていたことが間違っている可能性もあります。誠に失礼ながら『在るから在る』では説得力が無いと感じてしまいます。 難しいです。輪廻転生も新手の宗教が人々を怖がらせてお金を巻き上げる為に使う概念という印象があります。私は考え方が歪んでいるとも思いますが……。 私は『選択的輪廻転生』が確からしい気がします。輪廻転生をしたい人はすれば良いし、したくない人はしないで良い、ということです。個人的には輪廻転生をするよりも輪廻転生をしない修行の方が早く悟れると考えてしまいます。輪廻転生をすると無駄かつマイナスとなる様な経験も多い気がします。 因果でのいい経験が本当に良いのでしょうか。私は善に生きたところ酷い目に遭ってしまいました。善に生きるのは損という気がしないでもありません。また、近所では良い人が皆早死にします。子供を残して死んだ女性もいます。本当に善を追求することは良い原因を作るのでしょうか。その女性は悪く生きてでも生き延びたほうが子供の為には良い原因になったはずです。そもそも善悪、良い悪いは人間が判断できるものではないと思います。人生万事塞翁が馬です。もし原爆が落とされなければ恐らく日本はこれ程の復興と経済発展は出来ませんでした。原爆を落とされたことで日本は可哀想だと哀れんでもらえました。また、敗北を迎えた日本は故人のためにも国民が一丸となって必死に生きました。そうなると人生最大の悪である原爆投下ですら善を運んだ面も否定できません。 また、動物は弱い物虐めをする生物です。鳥ですら弱いものいじめをします。では動物は全て地獄行きでしょうか? 十界互具には動物と人間という記述はありませんでした。人間だけが輪廻転生をするのでしょうか? 謎です。 畜生道として他の動物は人間よりも下といわれます。しかし本当に人間は犬などより偉いのでしょうか。現代では人間は他のどの生物よりも地球を破壊しています。地球にとっては人間は他のどの動物よりも最低の存在ではないでしょうか。 今日、考えました。恐らく仏陀が悟った頃には人間は他の動物とは全く違った性質を持っていると考えられていたと思います。しかし現代では人間も動物の一種でしかなく、犬や猫とは根本的には違わないと分かっています。 そういう意味では六道もある程度矛盾というと言い過ぎですが、それに近い面も否定できません。個人的には地獄道など下に落ちるほどに原始的な生物に近くなると感じていますが。 仏教ではキリスト教的世界観に対してどの様な考えを持っているか知りたいとも思います。
- 島崎 信也(@zakky74)
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zakky74でございます。 僕が提案したのは、四苦八苦と無知の、理由と原因について切り込んでみてはどうでしょうか、というものでした。ですが、b-w-stepさんのお話の中には、理由・原因が語られてはいない様にお見受け致します。現象・結果でしたら、触れられている様ですが。 > ソクラテスの無知の知という考え方があります。ソクラテスは・・・故に私も『自分は真実は何も知らない』という考えに立ち戻らなければならないでしょう。 無知の知には、次元上昇した無知がある事をご存知でしたか? 単なる無知の知からは、突破口が見えません。ですから、結局人間は真実を知らないんだ、という結論で終わってしまいます。その次の段階へと歩みを進める事ができるのが、現代でございます。 ソクラテスの時代でしたら、その段階でよかったのでございましょうが。 >今一度wikipediaで無知、四苦八苦、四諦の項を読んでみました。 >私なりに考えるのは人生は『苦』であり、どちらへ進んでも苦しみであるということです。 確かに人間人生は、四苦八苦だよとお釈迦さまは言っていますね。 僕も大好きなところでございます。 >例えばお年寄りの人は病気が無くなれば幸せと考えます。しかし病気がなくなっても苦しみはどこにでもあふれています。子供が結婚すれば幸せと考えても、子供の結婚した後にはやはり苦しみが待っています。その様に『何かを美化することによって心を支える』のに私達は気付かなくてはなりません。 病気が無くなれば幸せ・・・と考えるのは無知だからです。病気に対する無知、健康に対する無知、存在の仕組みに対して一体何がどの様に起きているのかを分からないから、その様にフッと思ってしまうのでしょう。無知と四苦八苦は繋がっております。 >ある本には悟っても再び悟りはから離れる、との旨が記載されていました。一般社会では悟りとは真逆のことを教えているからです。端的には『欲を断て』と教える悟りの道に対して世間は欲を煽ります。もっといいテレビ、もっといいパソコン、もっといい株……なぜならそうしなければ会社は潰れてしまうからです。この資本主義社会では。結局、生物としてのあり方自体が悟りには反しています。 悟りを得た状態は、例えるならば絶対的真理そのものの状態ですね。 ですが、絶対的真理だけではありません。相対的真理の世界もある。人間として体を持って生きているこの相対世界の中に、もう一度入って生きる事を選択できるのか、これが悟りを得たモノとしての次の段階でございます。 即ち、自然を悟るだけでは足りません。文明も悟らねばなりません。 >一般社会では悟りとは真逆のことを・・・ この様に思えるのは、悟りの世界とエゴの世界を完璧に橋渡しできていないからでございます。明確に悟りを得ているのならば、悟りの世界とエゴの世界の差を取りますから、エゴの世界の中でも十分に楽しみます。 即ち、悟った人も、ビジネスをして、資本主義の中に入り、その中で悟りを広めながら、だけど常に囚われない、留まらない心で勝負ができる・・・そんな生き方が今からの時代の悟りでございますよ。 >生物としてのあり方自体が・・・ と仰いますが、生物としての在り方を語る為には、生物が生まれる様になった前段階を語らねばなりません。つまり、物質の存在方式を語る事でございますし、物質の存在方式を語るには、力やエネルギーの存在方式を語らねばなりません。 即ち西洋の物理学にいう最終理論を明々白々に理解し、全ての仕組みを解き明かしてこそ、初めて生物としての在り方を語れる様になるのではないでしょうか? それを語ったのは、観術が世界初、歴史初だと思っていたのですが、もしb-w-stepさんが語れるのでしたらご教授下さいませ。 >欲を断て、というのは『欲望にはキリが無い』からです。どの様な幸せを手に入れても幸せは一時的にしか続きません。すぐに次がほしくなります。欲が満たされる幸せは一時的です。永続的ではありません。欲が満たされるまでの苦しみと欲が満たされた後の一時的な喜びを考えるとむしろ損をしていることが多いです。だからこそ欲を無くすのが大事です。 仰る通りかもしれませんが、これは現象・結果の世界を言語化してお応え頂いたのでございましょう? 重要な事は、それが起きる様になっている理由・原因に切り込む事ですし、その仕組みを明々白々に理解する事なのではないでしょうか?輪廻転生がどういう仕組みなのかを明確に理解してしまえば、怖い事は何一つありません。 これを機会に、四苦八苦・無知が起きる理由・原因について明確に理解しましょうよ。 >この度は再び勉強する機会を与えてくださってありがとうございました。 ここからが勉強の本領かと思います。
お礼
私が理由・原因を語らなかったのは自分の考えを人に押し付けるようで申し訳なかったからです。 私はキリスト教的な教えを信じています。つまり人間は現世に生まれることによって 1:苦しみを知る 2:現世で悪いことをして自分の罪深さを知り謙虚になる 3:自分の弱さを知り、弱者に優しくなる という3つの側面があると考えています。1の苦しみについては『闇が知らぬものに光は見えない』ということです。子供は自分の幸せを知りません。大人になって子供の頃の幸せを知ることが出来ます。同じ様にこの世という地獄に生きて初めて天国の有り難味が分かります。生まれて直ぐに死んだとしても『死ぬ苦しみ』は必ずあるので苦しみを知ることは必ず出来ます。人生は苦しみを知ることが出来れば十分です。 2は私たち自身が悪を犯しかねないことを知ることです。気を抜けば悪いことをしてしまう、というのを身をもって知るのも人生の1つの目的であると思っています。悪人は幸い、という言葉があります。悪人は自らが悪人であると自覚しているので行動には気をつけるから幸いなのです。 3は人生で負けることです。人生で勝ち続けることはありえません。恐らく徹底して落ちこぼれる時があります。人は人生で素晴らしい時にはホームレスなどの敗者を馬鹿にします。私もそうでした。しかし自分が敗者になってみると他の苦しむ人への思いやりが生じます。今までホームレスは変人だと思っていた私はビッグイシューを通じてホームレスがいかに真面目でいい人なのに不運な人生を送っていたかがわかります。 この世の創造の理由は皆が幸せになる為です。幸せになる為の手段としてこの世という地獄が創られたと私は考えています。 キリスト教が完全とは私は全く思っていません。また、あなたの提案する観術など、少しでも自分にとってプラスになる考え方があるなら取り入れます。しかしキリスト教の教えが最も真実に近いとは感じています。キリスト教は神を信じる宗教です。そして私は神(天使?)を実際に見たので神の存在を信じるようになりました。 さて、病気に対する知識は現代の医学では実際は大して分かっていません。私は医者の勉強をしていますがハリソン内科学を読んでも医学の曖昧さを痛感しています。例えば喘息の原因は未だに不明です。高血圧の原因も特定できません。現代の医学は決してそれ程の高みには達していません。まだ未発達です。恐らくあなたが会う医者も大して病気や健康に対する知識を持っていないはずです。(とは言っても一般人よりも遥かに多い知識を持っています。完全からは程遠いだけです)風邪で医者にかかっても原因となる菌すら分かりません。 物理学などの科学も現代は大したものではありません。最終理論を明々白々に理解することは不可能です。全体の理論の深さすら人間には分かりません。 英語のドリッピーではありませんが『これをやれば大丈夫』などと誘い文句だけは素晴らしくても実際は中身は無いものが巷に溢れています。私は観術もその中の一種ではないか、と疑ってしまいます。すみません。もしzakky74様が間違った考えに捕らわれているのならば可哀想でなりません。 観術について情報を集めてみました。あるHPで彼方に落ちる水滴のかすかな音さえも完全に捉える五感を越えた次元、とありました。医学的にはこれは五感です。ボクシング用語ではドライ・アウトという状態です。感覚が極限まで鋭敏になったのです。これを『次元を超える』と勘違いしている観術は失礼ながらいかがわしいです。 また、そのHPでは壁の向こうや茂みの中の敵を察知する、とありました。それは嗅覚です。生物は想像以上に多種多様なホルモンを出しています。性ホルモンだけではなく未研究のホルモンも幾らでもあります。また、無意識のうちに敵の匂いを察知するのが生物です。壁の向こうの敵の察知も可能です。生物は呼吸を止められません。その呼吸音は完全には消せません。身体の微妙な振動など、五感を極限まで研ぎ澄ませば幾らでも可能です。私自身も50メートル離れた自動車の音が分かりますので上述の事柄は特別とは思えません。 観術を身に着ければ世界人類すべての人を価値高く見れるとあるHPにありました。しかしそもそも全ての人を尊重する態度は大事ではありませんか? この苦しい世界に生きているだけで全ての人は素晴らしい人間ではありませんか? いえ、人間だけでなく全ての生物は愛おしいのです。毎日一生懸命に生きているのですから。 どちらにしろ私はまだ未熟です。抽象論だけでなく具体的にzakky74様の考える素晴らしいという観術についてもご教授下されば幸いです。しかし私に未熟だと気付かせて下さっただけでも非常に感謝しています。仰るとおりこれからが勉強かと思いました。
お礼
確かに仰るとおりです。私たちが見ているのは『人間を通した』物でしかありません。蜂や蝶などは人間とは違った風景を見ています。空を自由に飛ぶ鳥は人間では絶対に見られないものを見て、人間には絶対に感じられない風の中を飛んでいます。犬は人間の知り得ない匂いを嗅ぎ分けます。人間よりも聴覚に優れる動物もいます。 全ての存在にとっての全ての感覚。それを知らずして全てを知っている、とは言えません。私も大変勉強になりました。ありがとうございました。