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春樹文学と皇室
かつて、文芸評論家の福田和也が漫画原作者の大塚英志と対談した際、歴史的に日本文学が皇室から受けた影響の証左の一つの事例として、所詮は知的遊戯に過ぎないとしながらも、「村上春樹における皇室的存在」なる論文はすぐに書けてしまうだろうと言ったことがあります。では、具体的に春樹文学に皇室文化の影響がどう関わっているのか、どなたか文学方面にお詳しい方がいらっしゃいましたら、お教えください。
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村上春樹は、故意の書き落としを多用する作家ですよね。つまり、いかにも重要そうな謎めいた要素を放置したり、登場人物の行動が意味もなく不可解だったり。 一方、皇室の権威も、意味のないものを隠すことによって高められています。 これについてここで簡単に説明するのは難しいのですが、特に象徴的なのは、天皇は自分の意志をあまり主張しませんよね。何を考えているか分からないから、人は勝手にいろいろと想像して、天皇の代わりに発言したり、行動したりしてくれるわけです。その発言と行動の責任は「代弁」した人にあり、天皇にはありません。 アメリカ大統領みたいなシステムだと、自分で発言し、行動する必要があって、何かミスったら責任を取らされるので長続きしませんよね。最高権力者がなるべく何もしないことで空洞化し、それによって周囲の人間を動かして権力を維持するというのがまあ、少なくとも明治以降の天皇というシステムなのです。 この辺ついては森鴎外の『かのように』を読むと、興味深い考察が書かれています。 知ってしまえばなんでもないものでも、人は隠されれば興味を抱くわけです。そして、隠されたものが空っぽであれば、いくら探しても答えは見つからないわけですから、人は答えのない「謎解き」に夢中になり、ずっと興味や関心を持ち続けることになります。そのシステムを政治利用しているのが、(江戸以前は知らないけど)少なくとも明治以降の皇室のありようであり、それと同じ原理で書かれているのが村上春樹の小説だ、ということです。 なんでもない謎をちりばめることにより、何か物凄く知的なことが書かれているように見せかけるという。 私としては、同じシステムが使われているからといって、皇室と村上春樹を結びつけるのは難しいと思いますし、意味のないことだとも思いますけどね。これは古典的な物語のシステムのひとつであって、皇室特有のものとは言えないですし。また、そうやって結びつけようとすること自体、システムに荷担していることになると思うわけです。だから「知的遊戯」だと言っているんでしょうけど。 福田や大塚の論文を待たずとも、すでに『不敬文学論序説』(渡部直己・著 批評空間叢書)という本でその辺についてはわかりやすく書かれているので、詳しくはそちらを読まれるといいでしょう。