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未来形
※ 例えば、「行く」 * 過去形 行った * 現在形 行く * 未来形 ( ) -「行った」=直ちに過去形だとわかる 「行く」 =現在 未来 の区別がつかない -「未来形独自の形 例えば、行す 行と」の様なものがなく 現在形と同じ形なのはな~ぜ? 御存じの方よろしく
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#2 です。帰ってきました。 屁理屈で申し訳ない上に、肝心の未来形がない理由の解答も書いていませんでしたね。 二重に申し訳ありません。 > >* 過去形 行った >* 現在形 行く >* 未来形 ( ) この動詞の区分でいうと、一般常識的には次のように理解されているはずです。 ◇「行った」は、動詞+過去の助動詞であり、日本語の動詞には過去形はない。 しかし、質問者の意図は、こういうことでしょう。 ◆「行こう/行くだろう」は、動詞+意志/推量の助動詞であって、未来という時を意味する助動詞ではないのはなぜか。 英語の場合、 * 過去形 went * 現在形 go/goes * 未来形 will go / be going to go といった感じで、やはり、純然たる未来を意味する動詞の変化がなく、意志・推量を意味する語句を用いて未来を表現するわけで、同じように不思議ですね。 だから、質問の意図は、日本語の時制の有無とは関係なく疑問ということだったかもしれません。わたしの #2 での解答は的外れだったわけです。(そもそも解答になっていない) 以下わたしの想像ですが、日本語にしろ英語にしろ、 過去・現在は確定的に語ることができる事柄であるのに対して、 未来は確定していないため、推量・意志・予定などの形式でしか語れないということではないでしょうか。 英語でどう表現するのが普通なのかわかりませんが、 日本語では、確定的な未来を語ろうとするならば、それは未来ではなく既に確定した現在の延長と認識されるということが言えるかもしれません。(これが解答のつもりです。) ○私は明日大阪に行く。……日本語では「現在形」を使います。 ? I go to Osaka tomorrow. ……英語でこういう表現があるでしょうか? おそらくダメですね。 多分、英語のほうが未来を確定した現在の延長として語ることを許さず、推量・意志・予定として語ることを強制する傾向が強いのでしょう。
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- marisuka
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No.1です。くりかえしのようになりますが。 日本語の動詞自体に過去形も未来形もないことは、質問者様もご存じのとおりです。 ご質問の中心は、助動詞に未来を表すものがないのはなぜか、ということですね。 未来、とおっしゃるのはどのような場面を想定しておいてですか? 未来は確定していないので、自分のことについては自分の意志で決められるので「そうするつもり」という意志の「う」。 自分以外のことについては推測するしかないので(確定していないという点で)、推量の助動詞「う」を使えばよい。 それ以外のケースがあれば、他の助動詞も生まれたのでしょうが、それ以外の未来はないので、他の助動詞もないのではないでしょうか。 あるいは、この「う」自体が未来の助動詞と呼べるもので、自分については「意志」、自分以外については「推量」と呼び分けている、というふうに私は理解しました。 「明日私は大阪へ行く」「明日彼は大阪へ行く」 については、現時点でその動作をすることになっている、ということで現在形? ちょっと苦しいですね。
- otasuke009
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未来に限らず、現在・過去についても日本語には時制はないと考えるのが適切なのです。 たとえば、 「今そっちに行ったぞ。」=現在の完了の表現 といった具合です。 だから、「た」形でも「直ちに過去形と分かる」とは言い切れません。 日本語での時の表現は、「今」とか「昨日」とかの時を示す語句によるか、前後の文脈から明白な場合には省略されます。英語などのように時制の表現を必須とする言語とは違うのです。
補足
(1) た だ 決して過去ではない例 さ~!! 買った買った~!! どいたどいた~!! さ~~!! 遠慮なく 飲んだ飲んだ (2) た だ の付いている下記はいつの事? 未来? 猫が子を産んだ 愛チャンは太郎の嫁になった お兄さんは戦死した -ま、屁理屈はよしましょう 有難う御座いました
- marisuka
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未来のことを語るとき、自分のことなら「意志」、自分のこと以外なら「推量・推定」で事足りるからではないでしょうか。それ用の助動詞があるから。 過去形だって、動詞+助動詞でしょ。 それに、現在形って、案外使い道がないのでは? たとえば「私は行く」なら行くぞ!という意志ですか。なら「彼は行く」ってどんな状況? 彼は行くだろうという予測? どちらも結局、未来を語っているのではないですか。 意味の上で差がないのなら、形の上でも差がなくて当然です。 日本語の動詞には、過去形も現在形も未来形もなありません。膠着語といって、メインの語に付属の語がくっついて、意味をなしていくという言語なのです。過去も未来も、付属語である助詞や助動詞で表すという言語だからです。これが理由です。
補足
※ 実は韓国語を勉強中で同語では過去 現在 未来 には (型は同じでもチョットちゃう場合もあるよ、はあるものの) 概ね「一定の型」、っちゅ~ものがあるのでこれに引きづられ 「あっれ~!! 日本語では現在と未来が~!?」となったわけ。 ※ 成程ネ!! 動詞-食べる は 食べる で 時制不明 語幹の食べ+た=過去 ※ このでんでゆくと同じく膠着語の韓国語も上で「一定の型がある」 と言ったのは「語幹+語尾」の事で「語幹そのものに変化はない」 と気づいた。 どうもお礼が遅くなりました
補足
※ お帰りなさい-ところで、なんかこのサイト調子が悪い。 (1) 書き込んだ質問の件名 や 回答お礼 がなかったり (2) さっきまでなかったのが急に出て来たり はこっちい措いといて- いや~!! 私の疑問はそんなに奥の深いものではないんです~!! ◆印の後ろの方、未来という時を意味する助動詞ではないのはなぜか- ではなく-未来という時を意味する助動詞はなぜないのか-なんです 例えば、~する つもり 計画 予定 これらは勿論 × 私は明日大阪に行く-でも万一の事があれば行かない可能性は排除しない 「だから行くという語でしか表現できない」と理解。 (この語、なんの ? も持たないまま使うのが常識的なんですかネ~!!) 詳しい回答有難う御座いました