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法定果実の悪とは?
- 日本の現状において国内、国民に不安が存在するとき、それは明らかに政治の問題ですか?問題のある法定果実は改良されずに社会を滞らせています。
- 法定果実は上下水道に例えられるほど、至る所に詰まりやすく滞りやすいものです。将来的に高度な社会を実現するためには、改良や淘汰が必要です。
- 現在の社会に存在する犯罪のほとんどは金銭目的ですが、法定果実の存在を廃止することで、犯罪の動機を減らすことができるのではないでしょうか?
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zakky74でございます。 >観術、何か高齢化、老齢化と深い関係があるような気がしないでもないですが? どこを、どの様に受け取ったからその様に思われたのでしょうか?とても独特な見解でございますが、hateha2_gooさんの観点から見たらその様に見えるのかもしれないですね。 お金が問題なのではなく、観点が固定されている事が問題でございます。 政策が問題なのではなく、観点が固定されている事が問題でございます。 問題の所在を勘違いされている方は非常に多いのですが、問題は一人ひとりの中にあります。一人ひとりの観点が、自分の観点に固定されている事、人間に固定されている事、それこそが原因でございまして、その原因があるからお金や政策など、その他諸々の問題が生み出されていきます。 観点固定を解消し、観点を自由自在に変化・運動・移動する事ができる個人一人ひとりに溢れてきましたら、自然と問題は消え行くものでございます。 如何でございましょうか?
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- 島崎 信也(@zakky74)
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zakky74でございます。 >>観術はこれからの日本・世界にとって必要不可欠な基本的技術である事を確信しております。そう遠くない未来、観術がベースの産業へと転換していく事でございましょう。 >順風漫歩というところでしょうか? 確信と盲信は違いますよね? 確信という時に、明確な道が見えている時に確信といいます。この場合、道が見えていますし自らの回転力(自転。或いは内部エンジン)によって道を歩みますので、政府や政治など、或いは市場の状況や資本主義の構造などの様な外部環境に依存しない完全独立、完全自立の変革を起こしえます。 盲信という時に、明確な道は見えておらず、根拠は無いですし、実は道は見えていないのですけれども(本人は見えていると錯覚している)、その状態で自らの思い(≠事実)だけを選択する時に盲信と言います。この場合、道が見えておらず周りの回転力(公転。或いは外部エンジン)によってしか道を歩む事ができず、常に外部環境のせいにしたり、自らを変革する事なしに依存型、責任転嫁などをしているにも関わらず、最もそうな論理によって強引・強制・一意的な仕組みを通じて変革させようとします。 明確に道が見えており、その意味で順調でございますよ◎ > 季節柄気温、降雪量も地域によってまったく違う、よって他の地方の状況判断はその他の地の状況判断とは相容れない。個人の周囲の環境状況イコール日本全体の状況ではない。犬の散歩にしても芝の整備されている地と氷雪に閉ざされた地ではまったく話しが違う、また野球とスケート、同じ場でプレー観戦としても混乱するだけとも思えますが、この日本の状況下において北のものは南で渋滞する南のものは北で渋滞する双方まったく相容れない異質の状況を露呈しているとも言えますが、一部の利権と成り易く人々の公共性将来設計の障害となり得る金権腐敗現行貨幣制度その廃止、念頭に入れるべきではないでしょうか? 違いで見る事は簡単です。 ですが、違いを違いのままに置いておいたままにする事こそ、双方全く相容れない異質を生み出す根本原因ではないでしょうか?違いは違いとしてありますが、同じ共通のプレートに乗っている違いでございますし、共通のプレートを通して、違いと違いは疎通する事が可能でございます。 故に、日本の状況が変われば、世界の状況も変わりますし、世界の状況が変われば日本の状況も変わりますね。 >個人の周囲の環境状況イコール日本全体の状況ではない・・・ 観点が固定していれば、その様に見える事もあります。 ですが、観点が変化・運動・移動する事で、個人の周囲の環境状況から日本全体の状況へと変化を及ぼす事も可能でございます。 >双方まったく相容れない異質の状況を露呈 観点が固定していれば、その様に見える事もございます。 ですが、観点が変化・運動・移動する事で、同じビジョン、同じ夢、共感共有がおきる事も充分に可能でございます。観点を固定した瞬間に、そんな可能性は確かに殺がれてしまいますが・・・ > 中央資本に地方を救う能力は無く、現状を知りその対策が出来るのはその地方地方の能力である。金権腐敗の出る幕はあるのでしょうか? 金権が腐敗している事が絶対の真理ではございません。 故に、金権が健康に、金権が健全に、金権が美しく、そんな可能性も充分に残されております。その可能性を殺いでしまう認識は、とても暴力的で哀しい事だと思います。 金権を暴力というのではなく、金権を暴力と決め込んでいる認識の暴力と向き合う事の方が先なのではないでしょうか? 僕は、金権を必ずしも褒められたものではないと思ってはいますが、金権に問題解決の原因理由を置くのではなく、個人ひとりひとりの認識・意識に原因理由を置く事が大切ではないかと思っております。 如何でございましょうか?
お礼
回答ありがとうございました。
補足
観術、何か高齢化、老齢化と深い関係があるような気がしないでもないですが?
- key00001
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> ” 人間が生きていくうえで必要なものがある。衣・食・住がそれである。 社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。 単なる原始的な共産主義,社会主義的な発想ですね? では現在の世界の中では北朝鮮が、一番そんな感じですよね? アナタの理想国家は北朝鮮ってコトで良いですね? その北朝鮮では「供給すべき」が出来ないんですよ? 「何の代償もなしに供給」しようとしたことが原因で、供給不足が結果では? その不足部分を解消するシステムが資本主義ですが? 「代償アリ」でも、社会主義システムを実践している国より、少なくとも物質的には、確実に恵まれてますが? > ある一つの発明が興味深いとみなされるやいなや、たとえそれが無益なものであっても、その作品は > 大量に生産され、一つ持ちたいと望むすべての人びとに配給されることになる。” > 日本に数多く存在する 法 上記を目指し総て刷新されるべきではないでしょうか。 意味が全く判りません。 無益なものを大量生産し、全ての人に配給する様な社会が「上記」? そんな上記を「目指し総(じ)て刷新されるべき」ですかね? ソロソロ[資本主義の欠陥 ≠ 共産主義・社会主義の優位性]に気付いて下さいね。 優れた資本主義は、資本主義システムで生じた格差を、社会主義的に救済しています。 発展している社会主義は、社会主義システムによる全体的な供給不足や貧困を、資本主義的な手法で補っています。 その結果、本来ある筈の無い格差を生じ、それを是認せざるを得なくなっていますが。 いずれのシステムも、一方だけでは成立しません。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
単なる原始的な共産主義,社会主義的な発想ですね?>> 一苦一難ロシア革命(1917年)、時の勢力西欧を念頭に誕生したのでしょうか。その西欧も風雲急を告げる戦乱模様というところでしょうか。 人間が生きていくうえで必要なものがある・・・遡るに過去より宗教にても言われているのでは、原始的な かもしれません。 北朝鮮が、一番そんな感じですよね>> 世界には人の過ごしやすい地域そうでない地域があるそうですが、北朝鮮が前記の場とは思えませんが人によるのかもしれません。 海外の情報、間接的にマスコミ等の報道または教育によるものが多々あり、自己の生活に直接影響するものとしては国内情勢だけですが、その国内その情報の報道にも不穏なものが多々あるのではないでしょうか。中には良い悪いに係わらず身近なものもありますが。 確実に恵まれてますが_とは言われても災害事例も飛び込んでくる、人道的に万全を期すため対策を考慮する必要があるのではないでしょうか? ある一つの発明が興味深いとみなされるやいなや、たとえそれが無益なものであっても>> 自分が必要としないものであっても、他の必要なすべての人びとには配給される、実現されるべき社会の理想ではないでしょうか? 仮にですが、サインアップだけで物流が滞りなく行われるように政策をすすめる、便利な社会となるに違いありません。人々の拠り所となる 法 、整備、改正しなければ誰も暗誦出来ません。 ソロソロ[資本主義の欠陥 ≠ 共産主義・社会主義の優位性]に気付いて下さいね。>> 資本主義、共産主義・社会主義の云々というよりは、太古より多くの宗教にて指導されている法と言うべきではないでしょうか?
- 島崎 信也(@zakky74)
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zakky74でございます。 >>政治・政府から動いてヒットする様な技術では、とても心もとなくて、時代をリードするとは言えず、真の技術足りえません。 >貿易立国日本、その土台を支える造船技術の開発等、前の時代の政府によるリードとは言えないでしょうか。 何を言っておられるのか今ひとつよく分かりませんでしたが。 流れを整理しますと、観術も政治、政府によってみんなの前へ並べられる必要があるのではないか、という事でしたよね?それとも僕の受け取り方が間違っていましたか?僕はその様に解釈していたのですが、その意味で >>>政治、政府はそれらをすべて看板表札としてならべる、そうすればみんなが分かりやすくなる・・・ と疑問を投げかけた事に対して、僕は観術はその必要がありませんと申しました。真の技術であれば時代をリードしますし、政治や政府から自立・独立されておりますし、逆に政治や政府を変革しえるものですよ・・・とお伝えいたしました。 それに対して、造船技術の開発や貿易立国日本が話題に出てくるのは一体どうしてなのでしょうか?今ひとつピンと来ませんでしたが・・・ 観術が、真の技術であり、多様な問題の解消と解決を図る技術だからとても必要とされて、広く受け入れられるという事と、貿易立国日本や造船技術の話に何のつながりがあるのかわかりません。 僕は、hateha2_gooさんからは観術について尋ねられていると思っているのですが、そもそもそれが思い込みなのでしょうか?そうだとすると僕側がずれたコミュニケーションをしている事になりますね。 観術を横に置いておいたとして。 学術による全ての技術では政府・政治から独立・自立はされておりませんし、されよう筈もございません。僕は、造船技術は人間の幸せに直結した技術であるとは思いません。あくまで間接的な幸せに留まるものだと観ております。 真の技術でもなく、政府・政治から自由にもなりえない二流の技術だったからこそ、今の程度の資本主義で留まっております。本来、資本主義の理想とするところはもっと高みにあり、今の程度に留まっている原因は政府・政治などにあるのではなく、今まで人類をリードしてきた情報・知識・技術・産業がお粗末であった為と考えております。 今、この時代に最も必要とされている事は、固定されている観点を如何に自由自在に動かす事ができるのだろうか、という事でございます。全ての問題解決は、観点を自由自在に動かすところから始まります。 学術は、観点が固定されている事を前提にしております故に、学術による時代の変革はとても無理でございましょう。 話を主題に対するお応えの方へと戻していきますね。 > このような日本の状況において国内、国民に不安が在るとなると、これは明らかに政治の問題ではないでしょうか? そういう見方もありますでしょうが、観点の移動と関係の無い政治に幾ら問題を見出しても何も解決は致しません。重要な事は、観点の移動と直結した個人一人ひとりの意識がどうであるか、ではないでしょうか? そして、個人一人ひとりの意識が変わる為には一体どんな道具と付き合うのか、というのはとても大切な指標であろうかと思います。人間は、道具を開発し、道具と共に進化発展してきたからです。 ところが、残念ながら今の人間を取り巻く環境は、問題を生み出す情報・知識・技術・産業ばかりでございまして、問題を解消する情報・知識・技術・産業が皆無と言っても良いでしょう。 その理由が学術にあると述べましたし、代表的なのが科学技術でございます。 学術・科学技術の致命的な問題点は、観点が固定されているという点でございます。ですから、判断基準の問題性1~5の問題と直面する際に、モノを変化・運動・移動する学術・科学技術では解消・解決に至りません。 一昔前でしたら、人間の欲求段階がまだまだ下位欲求である生理欲求・安定欲求・所属欲求・認定欲求を満たす時期でございましたからそれでよかったのでしょうが、今の時代、今の日本にとっては既に下位欲求には関心が無く、上位欲求である自己実現欲求・自己完成欲求・自己超越欲望へと移り変わっております。 観点を固定し、モノを変化・運動・移動させる学術・科学技術では、当然、自己を実現・完成・超越へと持っていく商品を生産できません。故に、観点固定から来る全ての問題を解消する事はおろか、別の問題を産み増やす始末でございます。 商品が不健康ですと、お金が不健康になり、市場が不健康になり、経済が不健康になり、社会が不健康になります。お金が悪いのでもなく、市場が悪いのでもありません。マズイのは、観点固定を解消する真の商品が存在していない事です。 観点を自由自在に動かす事の出来る技術が人間もお金も健康にします。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
マズイのは、観点固定を解消する真の商品が存在していない事です。>> 季節柄気温、降雪量も地域によってまったく違う、よって他の地方の状況判断はその他の地の状況判断とは相容れない。個人の周囲の環境状況イコール日本全体の状況ではない。犬の散歩にしても芝の整備されている地と氷雪に閉ざされた地ではまったく話しが違う、また野球とスケート、同じ場でプレー観戦としても混乱するだけとも思えますが、この日本の状況下において北のものは南で渋滞する南のものは北で渋滞する双方まったく相容れない異質の状況を露呈しているとも言えますが、一部の利権と成り易く人々の公共性将来設計の障害となり得る金権腐敗現行貨幣制度その廃止、念頭に入れるべきではないでしょうか? 中央資本に地方を救う能力は無く、現状を知りその対策が出来るのはその地方地方の能力である。金権腐敗の出る幕はあるのでしょうか?
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
zakky74でございます。 > 多様化の観点もあり、技術的分類的に独立した個々の観点もある。政治、政府はそれらをすべて看板表札としてならべる、そうすればみんなが分かりやすくなるとは言えないでしょうか? 僕は、観術はこれからの日本・世界にとって必要不可欠な基本的技術である事を確信しております。そう遠くない未来、観術がベースの産業へと転換していく事でございましょう。 観術のファンである僕にとっては、hateha2_gooさんが仰る様に政治・政府が看板表札として並べるというのは嬉しい事ではございます。 ですが、それは十分条件でございまして、必要条件ではございません。 観術は、政治・政府が並べてくれなくても、配給してくれなくても全然構わないものです。そんな事をしなくても、個人から観れば必要なのですから、必要なものは個人一人ひとりが自ら動きます。 政治・政府から動いてヒットする様な技術では、とても心もとなくて、時代をリードするとは言えず、真の技術足りえません。 また、前回の投稿にて述べましたが、変化の基本単位は個人でございます。 政府・政治が存在しているという観念論では、少しも変化を案内する事は出来ません。政府・政治から変化させようとするのは夢の中、錯覚の中でキモチいい思いをしている(或いは四苦八苦)だけでございます。 重要な事は、個人一人ひとりの意識に変化が起きる事でございまして、その為に抽象的な政府・政治などは必要ございません。必要条件ではなく、十分条件でよいものです。 必要ではない。 あるなら十分。 観術は、個人一人ひとりが必要性を感じてくれれば充分に嬉しいものでございまして、一人ひとりへと明確に伝わっていく技術でございますれば、何も政治・政府に頼らなくても良いものですね。 本物は、政府・政治に依存する事なしに個人一人ひとりに受け入れられていきます。政府・政治から完璧に独立されている技術です。故に、政府・政治を変化させる事が出来るのでございましょう。 政府・政治によって影響を受ける何かでございましたら、政府・政治を変革させる事は不可能でございます。本当に政府・政治を変化させたい時ほど、変化の主体は政府・政治から完璧に自立・独立されている事です。 如何でございましょうか?
お礼
観術はこれからの日本・世界にとって必要不可欠な基本的技術である事を確信しております。そう遠くない未来、観術がベースの産業へと転換していく事でございましょう。>> 順風漫歩というところでしょうか? 回答ありがとうございました。
補足
政治・政府から動いてヒットする様な技術では、とても心もとなくて、時代をリードするとは言えず、真の技術足りえません。>> 貿易立国日本、その土台を支える造船技術の開発等、前の時代の政府によるリードとは言えないでしょうか。
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
zakky74でございます。 年が明けましたね。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。 >観術、観点も一人ひとり違うもの。個々の観点、それも多くの複数の個々の観点を観術にかける必要があるということでしょうか。 何かこう、部分的に見れば魔術にかけるとか、幻術にかけるとか、変な印象がありそうですが・・・そういうイメージではありませんよね?そう思われてはいないかもしれませんが、念のために確認しておきたいです。そういった類の変な術ではございませんので。 むしろ、学術と比較して観術といった感じでございます。 一人ひとりが、皆、自分の観点に固定されているという事ですね。そして、その観点を分かりやすく表現したいと思い、判断基準の問題性1~5を活用しまして、これを共有したいと思ったんです。 hateha2_gooさんにも判断基準がございます。 同様にして、hateha2_gooさん以外の人は、hateha2_goo以外の判断基準をお持ちです。 世界中には、68億個の判断基準がございますし、歴史上まで取り入れればとても数え切れないくらいの判断基準がございます。また、拡張して観れば、動物の観点、植物の観点、地球の観点、太陽系の観点、銀河系の観点、宇宙の観点、と非常に多くの観点がございます。 観点を固定して、自分の判断基準だけで疎通・交流しようとする状態だから人と人が分かり合えません。それは、判断基準の問題性2(異質性)から言える事ですし、また判断基準の問題性4(不完全性)からどちらが正しいとも言えません。 ですので、この判断基準の問題性についてそのままにしておいたままにどんな施策・政策を取ってもうまく行く筈がございません。でも逆に申せば、判断基準の問題性を解消・解決するならば、あらゆる可能性が急に広がっていきます。 観点が、自分自身に固定されている仕組みが人間には働いていますから、観点固定を動かしたくとも通常では動かせません。観点が固定しているから、水1滴も理解できません。 観点が固定しているメカニズムを理解し、観点固定を解除するという変化を選択できれば、観点が自由自在に移動させる事が出来ますね。脳機能に固定された観点を動かす事が出来る技術が観術です。それで、観点を変化・運動・移動させる認識技術だと言っていた訳でございます。 観術は、かけるという動詞ではありません。 学術をマスターする、学術を実践する・・・の様に、観術をマスターする、観術を実践するなどの様に使います。術・・・というのは、技術である事を示唆している字でございまして、観術は科学技術を補う認識技術でございます。 学術では、答も来ませんし、これからの時代に沿うニーズを満たす商品も創れませんし、生きる意味と価値を喪失する経済・産業・職業が溢れます。だから、市場が暴走し、お金が暴徒化し、個人・家庭・学校・企業・地域・国が不健康でございます。 変化させたいと思うところですが、変化の主体はこのうち個人でございます。 家庭・学校・企業・地域・国はご飯を食べません。 家庭・学校・企業・地域・国は歩きません。 家庭・学校・企業・地域・国は、変化の主体ではありません。 個人はご飯を食べます。 個人は歩きます。 個人は、変化の主体です。 その個人が学術によって、教育を受けているから今のレベルですが、個人が観術を学び観術を実践する様になれば、その人たちが一人ひとり増えていく事で家庭・学校・企業・地域・国は健康になっていきます。 如何でございましょうか?
お礼
回答ありがとうございました。
補足
多様化の観点もあり、技術的分類的に独立した個々の観点もある。 政治、政府はそれらをすべて看板表札としてならべる、そうすればみんなが分かりやすくなるとは言えないでしょうか?
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
zakky74でございます。 hateha2_gooさん。 >人間は間違いが付きものである。人として間違うであろうその過失に対して寛容であろうという意味合いですが、観点ひとつとっても間違いは起こりえるのではないでしょうか。 hateha2_gooさんは、人間が間違いが付きものである理由をご存知なのでしょうか? hateha2_gooさんは、僕が観点とはどういう意味で使っていると思われているのでしょうか? hateha2_gooさんは、観点を変化・運動・移動する・・・とはどういう意味だと思われているのでしょうか? 僕がイメージしている観点を変化・運動・移動する認識技術(観術)というのと、hateha2_gooさんは違って受け取っている印象を受けました。 今後の参考の為に、判断基準の問題性について触れた上で観術についてお伝えしなおしたいと思います。 ◎判断基準の問題性 1.人間は、誰もがみんな、判断基準を持っている。 hateha2_gooさんにも「人間は間違いが付きものである」などと言われたのには、その様に判断される基準がございますよね。僕の話を受け取っているこの瞬間も、hateha2_gooさんの判断基準が働いていますよね。僕にも判断基準がありますよね。 2.人間の判断基準は、一人ひとり違うもの。 hateha2_gooさんも僕も、自分と全く同じ判断基準を持つ人は、地球上のどこにも、歴史上のどこにも、おりませんよね。全く違う判断基準ですから、人と人は分かり合えないですよね。 3.かと言って一つにさせたらもっと問題。 hateha2_gooさんも僕も、自分とは違う判断基準だから他の人と分かり合えないとしましても、一つの判断基準にさせてしまったら、機械だしロボットだしファシズムだし、人間として生きる意味の喪失に繋がるからもっと危険ですよね? 4.人間の判断基準は不完全。 hateha2_gooさんも僕も、人間の判断基準は不完全ですよね?完全な判断基準を持っている人が世界中にも歴史上にもどこにもおりませんでした。ですから、今がこんな状態です。 5.不完全なのに完全だと思っている。 不完全な判断基準なのに、自分の判断は絶対だって思っていますよね。例えば、水はこうだ、とか自分は人間だ、とか。僕は男だ、とかですね。 1~5の判断基準を持っている状態のまま、その判断基準に観点が固定されています。この問題を置いといたままにしては、如何なる事をやろうとしてもうまく行きません。うまく行かない問題性を解消解決していないからです。 判断基準の問題性を無視したまま、世界(国連)が・・・とか政府が・・・などと言っても、何の問題解決にもなりません。結局それも判断基準から出ているものだからです。 そして、今までは判断基準に固定された観点を動かす技術がございませんでした。科学技術は、モノを変化・運動・移動させる技術です。 こうした自分の観点に固定された問題を解消するのが観術です。 観術とは、判断基準の持つ問題性を解消・解決しているものでございます。故に、観点を変化・運動・移動する認識技術と申し上げました。観点が、自分の判断基準に固定している状況では、確かに様々な問題と出会うでございましょうね。 如何でございましょうか?
お礼
回答ありがとうございました。
補足
観術、観点も一人ひとり違うもの。個々の観点、それも多くの複数の個々の観点を観術にかける必要があるということでしょうか。
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
zakky74でございます。 >>モノの観方(観点)を変化 >世界のすべての人々がちょうど必要とするものを、多くもなく少なくもなく生産するという観点。そのため実現しなければならないこと、世界の人々が日々消費するものの数、必要とするサービスの規模を早急に国連の機関等は取りまとめる必要があるのではないでしょうか。 いいえ、その必要は感じません。 観術は、人間一人ひとりには∞の可能性がある事を確信するポジションから生まれた技術でございます。消費者も生産者も、知恵溢れる個人一人ひとりとなり、隣の人を悟らせていくものですから国連の協力があれば嬉しいですが、必要不可欠な条件ではございません。 と、言いますよりも、hateha2_gooさんはモノの観方(観点)を変化・運動・移動する技術(観術)についてのイメージが無い中なので、その様に仰るのかもしれませんが。 必要とするサービスの規模は、国連の機関などが取りまとめる必要を、観術は感じておりません。観術は観点を変化・運動・移動する認識技術でございまして、個人一人ひとりの認識をとても大切にしております。消費も生産も、知恵溢れる運びとなっていく事でしょう。 >>運動・移動する認識技術 >国連の機関等にて取りまとめられた上記の全消費数、サービスの規模、世界の緒生産単位は世界のすべての人々の生命、人権を守るべく行動、生産とする。そして流通・配給に移行する。文面にてこれだけではありますが、世界は早急に実行に移すべきではないでしょうか。 いいえ、観術が広まる為に、世界はその実行をしなくても一向に構いません。 観術は、モノの観方(観点)を変化・運動・移動する認識技術でございます。ですから、世界の全ての人々の生命・人権を守る人間が一人ひとりと自然に増えていきます。世界が・・・ではなく、世界の意識と明確に繋がった個人一人ひとりが行動・生産・流通・配給に関わる事が最も重要でございましょう。 観術をマスターした人間は、健康な商品を創り、健康なお客さんを創り、健康なお金を創り、健康な産業へと発展させていきます。お金が健全であり市場が健全になっていきます。その世界で、お金が循環すればするほど、益々お金は健康になり市場も健康になり、社会全体は健康になっていきます。 世界(国連)はご飯を食べません。 世界(国連)はお風呂に入りません。 世界(国連)は笑ったり悲しんだりしません。 世界(国連)は、あらゆる動作をしません。 ご飯を食べるのは、個人一人ひとりです。 お風呂に入るのは、個人一人ひとりです。 笑ったり悲しんだりするのは、個人一人ひとりです。 あらゆる動作を行うのは、個人です。つまり、変化のキッカケは個人から始まります。個人一人ひとりを明確に変化させていく事こそが、その延長として結果的に世界(国連)を動かす原動力です。 何を言いたいのかと申しますと、あらゆる動作を行うべき個人一人ひとりから始まるのが本物の変革でございますれば、世界(国連)や、政府、市場など、他の何でも良いですが、それらは変化の主体には成り得ません事をお気づき頂きますよう・・・。 如何でございましょうか?
お礼
回答ありがとうございました。
補足
人間は間違いが付きものである。人として間違うであろうその過失に対して寛容であろうという意味合いですが、観点ひとつとっても間違いは起こりえるのではないでしょうか。その対策など?
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
zakky74でございます。 >>モノの観方(観点)を変化・運動・移動する認識技術 >”世界中のあらゆる政府が、・・・(中略)・・・価値がなくなるであろう。” >貨幣の廃止が記されているのですが、いかがでしょうか? すみません。どの様に解釈したらよいのかが分からなかったのでお尋ねしたいのですが、” ”内の文章を引用して貨幣の廃止が記されている事に対して、「モノの観方(観点)を変化・運動・移動する認識技術」はこれをどう観るのでしょうか?・・・という意味だったのでしょうか? hateha2_gooさんの質問の意味をお教え下さいませ。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
モノの観方(観点)を変化>> 世界のすべての人々がちょうど必要とするものを、多くもなく少なくもなく生産するという観点。 そのため実現しなければならないこと、世界の人々が日々消費するものの数、必要とするサービスの規模を早急に国連の機関等は取りまとめる必要があるのではないでしょうか。 運動・移動する認識技術>> 国連の機関等にて取りまとめられた上記の全消費数、サービスの規模、世界の緒生産単位は世界のすべての人々の生命、人権を守るべく行動、生産とする。そして流通・配給に移行する。文面にてこれだけではありますが、世界は早急に実行に移すべきではないでしょうか。
- 山田 太郎(@testman199)
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>仮に、各国の通貨に代わる世界通貨の導入、それも実質貨幣の廃止に近いものがあると考えられますが、 世界通貨ねぇ。。。 ユーロ導入によって、ギリシア経済危機が解決できないって知ってます? 本来ならギリシアの通貨切り下げで解決するんだけど
お礼
通貨を浄財として利用したいならば、個々の個人個人の元(口座としてもよいですが)へ無条件にて補充し続ける政策そしてそれを可能とする生産計画は十分整備される必要があるはずではないでしょうか? 回答ありがとうございました。
補足
通貨を整備したところで、物資が不足したならばインフレで崩壊する。世界一斉に貨幣廃止がよいのでしょうか? そのため実現しなければならないこと、世界の人々が日々消費するものの数、必要とするサービスの規模を早急に国連の機関にて取りまとめる必要があるのではないでしょうか。日本が拠出する国連機関への予算、それらの割り出しに使ってほしいものです。それらを確定することにより、人々がちょうど必要とするものを、多くもなく少なくもなく生産する、世界はそれを目指すべきではないでしょうか。
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
論旨に飛躍や詭弁が有りますし、貨幣を廃止しても、何の解決策にもならないでしょう。 「水道は滞留する故、淘汰されてよい」と言うのが理論の飛躍です。 これは「現状の破壊案」であり、現状の問題点の解決策(進化形)では有りません。 一方の「改良」や「是正」などは、現実の是認の上に成り立ちます。 こちらが現状の進化を目指す姿勢です。 従い「改良」か「淘汰」か?って選択肢は詭弁です。 「進化か、破壊か?」と言う正反対のかなり乱暴な選択肢であるにも関わらず、現状の延長線上の未来図では無い「淘汰(破壊)」を「将来的に高度な社会」と位置付けています。 簡単に言ってしまえば、たとえば「世界的に究極の社会主義革命をすべき」と言ってるのと大差は無く、資本主義国の問題を、社会主義国の問題にすりかえるだけです。 あるいは、貨幣経済を廃止し、現物経済社会を構築しても、例えば江戸時代の米本位制に戻る様なモノで、単に価値観がシフトするだけで、価値そのものが無くなるワケでは有りません。 むしろ米本位制から貨幣経済に進化したんだから、その部分では単純に退化するだけです。 貨幣により発達しただけでなく、現状を維持出来ているワケで・・・「もうご用済み」とはならないです。 逆拝金思想は、拝金思想が存在せねば存在し得ないものであり、対極の関係です。 「将来的に高度な社会」と言う様な、現在の進化形では無いし、「全く別の社会を作る」であり、別の社会には、現在の「紛争、戦乱は無い社会」の延長線上には描けず、新たなリスクが生じる可能性があると言うコトです。 右翼を批判する左翼と同じで、現実を無視した理想論には、一理は有っても、現実の延長線上の具体性は無いです。 そもそも貨幣は、仰る通り「政治の問題」で、ガバナンスのツールでもあります。 貨幣経済によるガバナンス性を思慮すれば、「くすぶり発生する犯罪にしろその殆どは金銭目当てのものと疑いがあります」などは些事で、国家レベルでは、貨幣により国民が統制・統治されている部分があり、その寄与度の方が遥かに大です。 更に言えば、 ・貨幣以外で何で国民を統制・統治するか? ・貨幣を廃止しどの様に富の再配分を行うか? などを考えると、現物配給の究極の社会主義体制や全体主義体制、又は独裁者による恐怖支配などに直結しますよ。 言い換えたら、国家や国家権力の本能は、権力の集中を指向しますが、貨幣には国家の株券の様な機能もあり、貨幣により権力や富の分散が行われたり、権力の対立を回避している部分があるのです。 また現物経済になれば、金融決済が出来ませんので、取引や物流は複雑化します。 恐らく現在の経済学や輸送技術では、抜本的な解決は困難でしょう。 経済圏や生活圏は世界的に小規模化し、これに伴い経済や生産も縮小するし、むしろ物資の流通を更に滞留させたり、滞留ならまだマシで、物資そのものの欠乏や枯渇を招く結果になるでしょう。 これらは逆に、社会主義国が経済の自由化により発展したことで明らかです。
お礼
” 人間が生きていくうえで必要なものがある。衣・食・住がそれである。 社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。 ある一つの発明が興味深いとみなされるやいなや、たとえそれが無益なものであっても、その作品は大量に生産され、一つ持ちたいと望むすべての人びとに配給されることになる。” 日本に数多く存在する 法 上記を目指し総て刷新されるべきではないでしょうか。
補足
上下水道に例えて、危険なもの(鉛管など)、古くなり支障の出るものなどは、サービスにより新品新製品代替品に交換される、交換されたものは今風に資源リサイクルにまわるその程度の表現でしたが、貨幣制度、多くの人員も係わっており、いきなり廃止の例えとしてはそぐわなかったかもしれません。 過去に所得倍増計画なるものもありましたが、国、民間ともに多額の借金を有するに至った今、ぬくぬくとしていられるのは金融システムの人間と役人という公約まるつぶれ状態、金権腐敗社会と言えるのではないでしょうか。小さくても良い、人道的に金権腐敗を肥料とし浄化し成長する何かしの種、思案があるはずではないでしょうか。 仮に、各国の通貨に代わる世界通貨の導入、それも実質貨幣の廃止に近いものがあると考えられますが、ただ全世界その全生命を保証する大きな力、知性の存在は欠かすことはできないとはおもいますが?
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お礼
回答ありがとうございました。一旦締め切りたいとおもいます。
補足
観点、なにか偉いお坊さんの修行みたいで、子供も幼い頃より物欲を離れて暮らせるみたいな印象がありますが?