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なぜ車を持ちたがらないのか(若い子)
都会なら、まだ説明(というか言い訳)ができますが、実は地方でも結構そういう話を聞きます。 やはりお金に窮しているからでしょうか? 適正な時期にマイカーを所有していないと、社会人としてのアイデンティテイ形成にも悪影響が出る気がするんですが・・・。
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No13で回答した者です。No13ではクルマ離れに関して書きましたが、今までの全てのお礼欄を読ませて頂き、アイデンティティの部分に関して書きます。 質問者様は「社会人としてのアイデンティテイ」と書かれていますが、今までのお礼欄を読ませて頂いている限りは、アイデンティティ(=自己確信)というような意味よりかは、ステイタス(=社会的地位)という意味合いを仰りたいのかな、と思いました。自分の中だけで完結する哲学的な意味合いよりも、常に社会に関わり生活していく上での「社会的地位」に関して『形成にも悪影響が出る気がするんですが・・・』と仰りたいのかな、という意味です。 アイデンティティに関しては本当に自己完結の話なので、それこそ各人の価値観により様々なので、第三者が論じるのは不可能に近いのでは無いか?と言うのが率直な感想です。しかしステイタスの場合は、社会の中での地位(金持ちとか貧乏とかそういう意味ではなく、周囲の人と円滑に関わりあえる環境を自ら整えているか、というような意味)に関しては、第三者でもそれなりに論じれると思いますので、それに関して書きます。 近未来(=今の20歳前後の若者が将来結婚して家族を持つ時代)がどうかは分かりませんが、最低でも現代では、結婚して子供を持った途端に、クルマの存在は必須に近い感じがしています。現に私の妻の結婚以来ペーパードライバーだったものが、結婚して四年目に子供が生まれて、少し大きくなり幼稚園等に通い出すような年齢になった途端に、クルマが必須となり「訓練」の状態(=私が横で一々指導している状態)から始め、それを乗り越え、今では普通に乗れるようになりました。それほど「クルマが必須」という状態に感じたのだと思います。 私は駅(主要路線)まで徒歩15分程度のマンションに住んでいますので、自分が駅に行くだけならクルマは無くても何とかなりますが、何故必須かと言えば、行き先に公共交通機関が無いケースが多いからです。幼稚園という公共的な施設でさえ、バスが無いか、あっても本数が少なく実質的に機能していない箇所など山ほどあります(大阪市内近郊の話です)。日常的な通学は幼稚園バスに乗ったとしても、ちょっとでもイレギュラーな状況になった途端にクルマが必須となります。更に子供の成長に合わせて「豊かさ」を享受する為の施設なり自然なりを訪れようとすれば、本当に「必須」というレベルです。なのでマンション自体も、徒歩圏に主要路線の駅があるにも関わらず、駐車枠は住居数100%となっています。そしてほぼ100%が常時埋まっています。 そして、子供が三歳にもなれば地域にママ友さん達のコミュニティが出来て、それらの会合で子供を連れて誰かのクルマに乗り合って出かける機会も頻繁に出て来ます。クルマを持っていない方(もしくは運転できない方)は常に「誰かに乗せて貰っている」という状態になりますが、周囲の誰かがクルマを出して、運転して、出掛けている以上、普通の感覚なら劣等感のようなものを感じると思います。それでも子供のことを考えると、出掛けないという選択はし辛いのが現状のように思います(繰り返しますが近未来は分かりません)。 なので現在の我が家では、自分のMT車の他に、妻がママ友さん&子供達を乗せて走るように、セカンドカーとしてミニバンも所持しています。 既出の回答に若者の意見として「親のクルマを借りる」とありましたが、自分が歳を取り親も定年退職してからも親のクルマを借りる訳にはいかないと率直に思います。逆に、自分がセカンドカーを所持して、親に「必要な時は使って」というのが私の考える「いい大人」です。母親が大病を患い専門的な病院(クルマで片道二時間)に定期的に通いますが、70歳近いお年寄りに「電車とバスを乗り継いで」などとは間違っても言えません。 そして単価の安い自営業ながら、セカンドカーの維持費を捻出する為に、寝食を忘れて働くのは、世帯主である自分の「義務」とさえ思います。 以上が私自身が考えるクルマに関する「ステイタス」ですが、たまたま私は裕福で無い家庭に生まれたのでクルマに限らず例えば住居に関しても同様にしていますし、若い時分からそういう将来を思い描きながら仕事のスキルを積んで来ましたが、現代では「親が一定以上に裕福」という方が大多数な訳ですから、そういう考え方の若者が非常に少ないのは、ある意味当然とも思うし、それが時代の流れ(=国が豊かになった)なのだと思いますし、そういう考えや苦労を今の若い人に押し付けようとも思いません。しかし私にとっては以上はステイタス以外の何物でも無いと思います。 以上のような側面も、現代人がクルマ(=もの凄く維持費が高い実用品)に関して距離を置いている遠因かなと思っています。
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No13、No22で回答した者です。No22のお礼欄を読んで回答致します。お礼欄でまとめられていた1~4に沿って記します。 1.車内以上のコミュニティ空間・手段が確立された(携帯・ネット) やはり、これが一番大きいでしょう(特に携帯)。これの発展にプラスして、人々の意識の変化も大きいと思います。 私たちが若者の時代はクルマ=プライベートな空間という側面も強かったと思います。しかし現代の人は、多くの人が、電車だけでなく、歩行中でも、喫茶店でも、イヤホンで耳を塞ぎながら携帯をいじくり、完全な自分の世界に入り込んでいるような人をよく見かけます。「公共の場でここまで没頭出来るか」と、ある意味感心するほどです。そして、当初はそういう感じの人は若い人に多かったですが、近年では私たち30代の方でも増えてきた気がします。こうなってくると、別に高い金を出してプライベートな空間など要らないだろうな、と率直に思います。 ニートまではいかなくても、親元で暮らし最小限の稼ぎでオフを過ごすのは自室がメインというような方も、「親が用意した部屋」に成人しても依存している、ということに対して違和感などを感じないのだろうと想像します。まあ、それは意識の変化というよりも、世の中が豊かになり「部屋が快適になった」ということかも知れません。狭い四畳半に大きなタンスと共に詰め込まれ、エアコンも無いし、快適とは無縁と言う部屋がスタンダードなのであれば、ニートという行為が社会問題になる訳が無いだろうと率直に思います。 また、金銭面の問題もあるでしょうが、昔であっても一人暮らしをしている人は、クルマを持っていない人も多かったと思います。 2.車自体の魅力が無くなった(余剰・熟成) 3.金が無い(清貧=消費(出費)に対する盲目的な否定→レンタル・所有権の意義が希薄・デジタル?) 上記2に関しては「クルマ好きが減った」という遠因と思いますが、イコール車を所持しない、という訳では無いと思います。3と絡めて、「魅力的なクルマは少ないし、あっても高価で買えない」という状況であっても、とりあえず10万円でエアコンだけは効く軽自動車の中古を買えば、「プライベートな空間」は確保出来ますので・・・。(学生時代の私です)。 クルマなんて10万円のオンボロ軽自動車でも、本質的な楽しさ(機械を操作する楽しさ)は十分に味わえます。これは、現在既に本質的な楽しさを知っている方なら、ほとんどの方がご存知と思うし、現に私たちが若者の時分は、ファーストカーは10万円は極端でも、20~30万円のボロい中古車に乗っている者が多かったと思いますが、そういうクルマでワインディングをガンガン走ったものです。しかし、そういうクルマほど低い速度域で限界挙動が現れるので実は安全・・・、なんて理屈は現代は通用しないと我ながら思います。 やはり現代は「豊かな時代」であるし、また免許取得前からゲームやマンガなどの影響で変に前知識があるだろうから、ファーストカーが「10万円の軽自動車」は有り得ないのかな?と率直に思います。そんなもの維持するぐらいなら、持たないほうがマシだと思う人が多いと思います。 4.行動が合理的であるかどうかが重要(対価に見合わない出費や行動は最初から控える・ドライブ=時間の浪費) 確かにドライブ(特に目的地が無いドライブ)なんて、クルマが好きで運転(=機械の操作)が好きで無ければ、「無駄」以外の何ものでもありません。しかし、現代では中学生の女の子でも動かそうと思えば動かせるオートマ(=イージードライブ)ばっかりなのだから、「機械の操作は上手く出来るようになれば楽しいゾ」なんて言葉は全く説得力が無いのだろうと私でも思います。 昔はお金があっても技術が無ければ、クルマなんて有効には使いこなせませんでしたが、今はオートマに始まり、オートライト、オートワイパーと操作はどんどん機械任せになり、地図が見れなくてもカーナビが案内してくれるし、車庫入れは画面で案内してくれます。こういう装備が最も安価な部類のクルマでさえ装着されている時代なので、クルマの運転が上手かろうと尊敬も感心もされません。 老若を問わず、こういう時代においてもなお、クルマに対して実用品以上の付加価値を感じ続けるのは、かなり無理があると思います。 そして私のようにMT車で、オートの類は一切装着せず、今までカーナビさえ装着したことがなく、全て自力で行うのはほんの20年前は「当たり前だった」のですが、今では「変わり者」なのだろうと我ながら思います。 この一言で終わらせてしまうと思考の停止に繋がってしまうようにも感じますが、上記1~4は全て『時代が変わった為』という言葉に尽きると思います。
お礼
誠にありがとうございます。 そういえばジベタリアンなんて文化もありましたね。ファミレスやマックで長時間居座ったり勉強を始めたり。電車で化粧なんてのもありました。 ようするに彼らは自分がプライベート空間だと思い込めば、どこでもプライベート空間足りうるという逆転の発想を生み出した世代と言えます。おそらくケータイは、そこにヒットしてブレイクしたのでしょう。 考えてみれば我々の世代は車に憧れを感じていましたよね。子どもの頃はRCカーブームでしたし、チョロQなんても流行りました。F1やスーパーカーブームもありました。よろしくメカドックの影響も大きかった。なんといっても子ども時代に車に感じたものが大きかった。退屈な自宅から連れ出してくれる重要なアイテムだったのですから。 今の若い子達は、子どもの頃に車をどう感じていたのでしょうか?それが大人になって影響してきていると思いますが・・・・。 クルマの運転技術ねー。子供ながらに見ていた父親の華麗なシフトチェンジ・ドライビングは、ある意味でプロフェッショナルな輝きを放っていた気がします。オートマ。あれが決定的にいけなかった! 時代が変わった。劇的に変わったんですよね。景気が良かったらどうだったでしょうか?思いは尽きませんが、今回の問いは回答も多くいただきましたし、だいたい解を見いだせた気がします。
- mikko39
- ベストアンサー率28% (73/254)
必要性が低い、もしくは限られた用途のなかでは優先順位が低いのだと思います。 都会でも田舎でもない中都市に住んでいますが、私は車の免許すらありませんし、彼は免許はあっても車はありません。通勤で使わないし使うときはレンタカーで十分だからです。 彼は年収400万なので、買えないわけではありませんが、新車を買うとローンで月5~8万、駐車場で月1~2万、その他経費で、年間100万はかかります。買っても月に数回しか使いそうもないものに勿体ない。 レンタカーなら一日借りても一万かそこらです。免許のない私がタクシーで通勤したとしても月五万で、車を買うよりは安い。 子供ができれば必要かもしれないけれど、二人の時には要らないと考えて買っていません。 私は、社会人としてのアイデンティティに車が影響するとは思えません。先進国ではカーシェアが浸透してきていますし、必ずしも自分の持ち物にしなくても良いものだと思います。 車はあくまで移動手段であり、社会人として正しいのは、必要かどうか、自分の収入との折り合いをつけられるかどうか、と考えることではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。まず、車がないとモテないと思っている質問者の密かな思い込みが根底から崩れ落ちたことをお知らせします。ジェネレーションギャップだと笑ってください。 冗談はともかく、大変感心できるご意見です。というのも、たいてい無駄に車を持ってしまうケースが多いからです。世間体もあるでしょうし、なかなかそれを貫くというのはむしろ難しいと思うです。 合理的であり、さらに将来的なファイナンシャルプランニングがあればこそと思います。 社会人として正しいのは、見栄を張る事では無いという事ですね。うーーん。すばらしい。
- youko12002
- ベストアンサー率42% (363/858)
その地方の若い人です。昔ならコンビニ等ありませんでしたから、買い物、デートなどに必要だったかもしれませんが、今は、徒歩圏内に、買い物ができる場所があり必要でも有りません。その気になれば、地方でも離島でも通販で、欲しいものは都会並の価格でいくらでも買えます。また、ドライブに付加価値を見出す、人が減ったのも理由でしょう。 また、車好きはオタクか、ヤンキーといった価値観がはびこっているのも原因と思います。 メーカーも、若い独身者に売る努力をせずに、より単価の高い、ミニバン、団塊向けのミドルセダン以上、または、喜んでオプションを付けてくれる主婦の買い物カーばかり、発売しています。 いくら手頃なMT、FRで遊んでみたいと思う者がいても、対象がなければ、興味は、違う方向に向いてしまいます。 いくら、ハイブリッドカーを宣伝しても、運転自体を楽しみたいという者にとっては、好んで乗ろうという気にはなれません。 乗り物自体で言えば、競技用自転車は、以前より流行っているような気がしますし、エンジンをいじるなどコアな改造を楽しむ層は減っていないと思います。 取り留めのない文ですが、私の思っている理由です。アイデンティティと自動車の所持は、責任を持って何かを管理、維持するという点では、関係あるかもしれないとは思います。
お礼
車好き=ヲタク・ヤンキー! なるほどバブル期のオヤジ達の散財を冷めた目で見ていた自分達のように! バイク離れにも通じます! もしかして今の若者は、団塊ジュニアの時代の「熱血やら根性やら友情、勧善懲悪」といった既成の価値観に対して、そのしわ寄せを受けている身として精一杯アンチの姿勢を取ろうと努力しているのではないでしょうか? 頑張っても報われない世代を生きてきてます。ニートなんて、ある意味で悟ってますよね。ニート。・・・なんかニートの言い分と車買わない人の言い分、似て無くもない気がしてきましたよ?
- utyuutarou
- ベストアンサー率32% (153/468)
若い人に聞くと 1.購入費、維持費がかかる、必要なときは親の車やレンターカーを借りる 2.運転中の事故により、社会的信用を失うことへの不安 3.公共交通機関による会社支給の定期券で、自己負担がなく、不便さを感じない 4.飲酒運転、交通違反の反則金などの心配せず、活動できる 5.国民皆免許時代で車は社会的ステータスから、単なる、移動手段の一つとなった 車がなくても、何も支障はありません、郡部では一家に2台以上車があるので、家族で必要なときに乗るからです、車のメカに詳しくなくても運転が、初心者から高齢者まで運転できる時代です、オートマチック車、オートチョーク、パワーステアリング、オートエアコン、カーナビ、ABS装置、ドライブレコーダーなど付属しています、うちの子も26歳で免許を取りました、理由は任意保険料が安くなるからです、それでも年間10万円です、車は上記のフル装備です、生活には変化はありません、サンデードライバーです、帰宅が遅いので疲れた体でマイカー通勤はしたくないといいます、会社の送迎バスがあるから不要です、車に掛けるお金で自分に投資したいということです
お礼
26歳でですか?うーーん。びっくりです。車の所有ではなく、免許の話というのがさらに驚きですし。 確かに車はラクチンになりました。私が最初に乗った車はパワステありませんでした。パワステなんて使うのはヤボだとすら思ってました。でも将来はオートドライブになるんでしょうね。免許も要らないなんてね。 親の車を借りる、レンタカーと車に対する所有権の意義がそこには無いようですね。レンタルやカジュアルコピー、そしてオークションや出品のように、物(特に新品)に対する執着が無いような気がします。 むぅ。新しいキーワードを見いだせました。
金がかかるだけだからです。 いまの若者は「動かない」ものが好き。 ゲームとかネットとか携帯電話とか。
お礼
確かに動かないですね・・・。びっくりするほど動きません。 ヘタに汗水流そうものなら「何がんばっちゃってるの?」って言われかねません。 今の子って、何かにつけて等価交換しようと考えるようです。学校でも、授業に出る代わりに先生は何をくれるの?みたいな。必要ないからそれは学ばないとか。労働でもしかりですね。 ドライな思考ですが、だからといって状況を自力で喝破しようとするのでもなく。 一億総中流ならぬ一億総ニートになりそうな気もしますし(言い過ぎか)
- maccha_neko
- ベストアンサー率33% (465/1379)
若者だけではなく、オジサン達にしても既に「いつかはクラウン」ではないでしょう?昔はそれこそカローラからはじまって、係長、課長、部長・・と昇進するにつれて車もグレードアップという感じでしたけど、今は用途に応じて買っているという方が大半では? お隣の国あたりを見ていると分かりやすいと思いますが、日々の暮らしにも困るような状態から、余裕が出来てくると車が売れ出すのですね。まぁ、個人で購入するにはお値段もお手ごろ(ちょっと無理すればなんとか手が届く)というところで、個人の資産やステータスを他人に見せるものとしての意味合いもあるでしょう。 ただ、それも一巡してしまうと、車ももはや単なる道具になってしまうんですよね。子供らにしても生まれたときから車が家にあってあちこち出かけているために、車は別にステータスでもなんでもなく、単なる道具としてしか見えないのでしょうね。 車で出かけると現地でワインも地酒も飲めませんしねぇ。 どこにでもいけるといっても遠出なら「新幹線」だったりそれこそ、「格安航空で海外旅行」という方が魅力的だったりするでしょう。 あと、昔ならそれこそ「キンコン」言わせながら走るのもそれなりに爽快だったかもしれませんが、いまどきの軽でも100km/hくらいは平気で出ますしね。じゃあ130km/hだ、150km/hだだだだだ・・といえば、無人の記念撮影してくれちゃったり、白黒の変な改造バイクにまたがった青いオッサンが追いかけてきたり(笑) あんまり面白くないですよね。
お礼
車自体に興味がない。それはゲームセンターに行っても実感しますね。僕なんかそれこそカーゲームしかやった記憶無いというのに・・・。 ただ毎度お礼で申し上げているのですが、車の有用性自体は決して損なわれている訳ではありません。むしろ多くの子は、本心では欲しいと思ってるに違いないのにとすら思うのです。というのも、若い子の言い分がどことなく自分に対する言い訳に聞こえなくもないからです。 車を買えば、それを使う為に出かけないといけません。また支払いもあるでしょう。それに維持費も負担しないといけません。つまり受動的な姿勢では乗りこなせられないのです。 必要がなければやらないという生き方。一見合理的ですが、どこか消極的。そんな気概の無さが背景にあるような気もするのです。
- RTO
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じゃあ こう言い換えてしまいましょう。あなたが年長者からこう言われたらムカつくでしょう。 日本人たるもの、馬に一匹も持たず兜ヨロイも所有しないとは何事か、 貴様それでも日本人男子か、そこになおれ。 時代が違います。 もはや車を見栄や世間体で所有する時代ではありません
お礼
見栄や世間体が無ければ、所有しないでもいいですか。確かに一理ありますねー。決して安い買い物ではありませんし・・・。 うーん。時代がここまで変わるとは。ジェネレーションギャップも甚だしいですかねぇ。
今の時代は、経済成長が危ぶまれているので、消費に向かわないんですよ。 将来の保障が無い仕事をさせていることに問題があるのでしょう。 自動車はレンタカーで、普段はバイクでも問題はないですよ。 自動車の価格も下げて製造できないことには売れないでしょうね。 一番安い軽自動車がSUZUKアルト50万程度が80万円にUPしています。 大企業が賃金DOWNしないのに、消費者が賃金DOWN状態ですね。 そこんところに原因があるのでは?
お礼
実にシンプルなお答えをありがとうございます。ようするにコレなんですよね。もっとも合理的な説明は。 おそらく車がケータイのように、1円とかで売られる状況になれば、また国が最初の購入費用を負担しますなんて言えば、多分言い訳せずに買うと思いますしね。 なんか今までの解釈の試みの全てを否定して、いきなり正解を教えられた気がします。別の解釈を試みます。 車は、ネットやケータイが不便だった時代まで、もっともプライベートであり、コミュニティ空間としての役割も持っていたんだと思います。古い歌詞には、車内でのやりとりを扇情的に語ったものもありました。みんなでドライブしていて、楽しいのはやはりコミュニティの時間でした。ドライブ自体がしたかった訳じゃない。 今はケータイ・ネットが広く浸透し、かつてはテレパシーと言われた能力がほんの小さな、それも初期費用もすくないデバイスによって実現されています。シンプルな掲示板から、オンラインゲームまで、人と人とが繋がる空間が出来た訳です。 しかも小学生の時からそれを使っている。車が道具に成り下がるハズですよね。いや今初めて理解しました。車は本当に道具でしかない。 ヘタすると車内でもオンラインゲームやって会話してなさそうな気がします。会話よりメールや掲示板の方が気楽だなんて意見もあるくらいですし・・・。 1円になっても車を買わない。あり得ないとも言えないですね・・・。
- hanabutako
- ベストアンサー率54% (492/895)
所有する必要がないからでしょう。車は道具です。必要なら所有すればいいし、不要なら所有しなければいいのです。今は流通が発達して車が無くても買い物が出来るようになりました。また、カーシェアリングの考え方が浸透して所有しなくても車が使えるようになりました。価値観も多様化し、見栄を張るために車を持つ必要もなくなりました。少子化で子供もいないので公共の交通機関を使うのも苦にはなりません。それに、なんといっても公共の交通機関を使うのは経済的で、環境にもやさしく、もう10年以上も前から推奨されています。 個人的には単なる道具を保持しているか否かでidentity形成がされているか否かを持ち出してくるのはそれこそidentityが形成されていないのではないかと感じてしまいます。道具を持っているかどうかで判断されるidentityというのは、その道具がなくなった時点で維持できなくなる点で薄っぺらいと思います。それに、「適切な時期に○○してないと、社会人としてのidentity形成にも悪影響が出る気がするんですが」という表現を使えばどんな人でも社会人として今ひとつな人に仕立てあげられるのもいやらしいですね。○○にたとえば「英語を習得」や「大学院を修了」を入れても同じくらい違和感があります。言語も学位も道具であってそれを習得することを最終目的にするのは目的と手段を取り違えていると思います。 道具の保持をidentityというなら、たとえばこんな反論も出来ますよ。;P マイカーは公共交通機関が行かないような場所に住んでいるなら必要ですが、必然性が無いのにマイカーを保持するという利己的な振る舞いは社会人としての良識が問われます。まず、マイカーは温室効果ガスを増やし、環境に悪影響を与えます。京都議定書をはじめ、CO2削減は世界の趨勢ですし、温室効果ガスの削減は企業が社会的な責任を果たしているか判断する根拠の一つになっています。また、個々人がマイカーで都市に乗り入れることで渋滞が引き起こされ、都市の交通網を混乱させています。交通網が混乱している性で多くの人が予定通り目的地につくことの邪魔をしています。そして、渋滞のときに車両が出す排ガスは都市における大気汚染の要因の一つとして知られており、この原因となるマイカーによる都市への乗り入れは先進国では税を課すなどの方法で制限されてきています。こう考えると公共心を持った良識ある社会人は特別な事情が無い限りマイカーを持たないのが普通なのではないでしょうか。 道具はあくまでも道具です。それに自分の価値を決めてもらう必要なんて無いと思いますよ。先代が何かの価値観に従属しているのを反面教師として学習し、今の若い人はそれから自由になったというだけだと思います。
お礼
大変参考になりました。 ところで車は道具と言い切っておっしゃりますが、私は車は体の一部と考えます。実際に運転している時、車と体は、脳から見れば一体化しているわけです。言い換えればサイボーグな訳です。そんなマンガもありましたが・・・。 まぁこれは本題とかなりズレてますし、ご支持もなかなかいただけないとは思いますが・・・。 車をケータイに置き換えられてはどうでしょうか?ネットに置き換えては?そうなると事情が異なってくると思います。おそらく彼らは、それが無くなるとなるとアイデンティティのかなりの部分を失うと思います。 ケータイが無ければ、じぶんなど何者でもない。となるのでないでしょうか・・・。 ご回答いただいた内容はとても合理的な解説であると思います。持論とご回答とケータイ・ネットについての考察を組み合わせると、解が見いだせそうです。
- cliomaxi
- ベストアンサー率33% (2921/8736)
再度でしかも横やりですが。 >・・・そのストレスから、オタク的に別の事に浪費しているように思えるのです。もちろん、本人はその事に気付いていないフリを貫きます。 気付いてないだけだろうけど車好きもモーターサイクル好きもオタクなのよ。 わざわざ形式番号で呼んだり車高調入れたりインチアップだツライチだ、ホイールはどこだボアアップだ、やっぱキャブだとか植物性オイルの焼ける匂い最高とかね。 車やモーターサイクル好きがアウトドア派と思うのは大きな勘違い。 本当に車が無ければ普段の生活に支障を来すような地域の人にとっては車は単なる足なのだからそこにステイタスやアイデンティティを求めるのは国会議員の発言並にズレまくってる。 私たちの頃は高校時代にバイトして免許取ってモーターサイクル買うのはある意味生き甲斐だったけど現代の若者にはその価値は無に等しいって事。
お礼
現代の子は、携帯電話については、当時の我々が車を求めたのと同じ位熱心になりますよ。それこそ携帯の為なら、苦しいバイトでもやるんじゃないですか? あと若い頃に持つマイカーというのは、まさに自分の行動半径の大幅な拡充を意味します。そこは大人になる上で、とても大きな経験だと思うんです。 ただもしかしたら携帯電話やオンラインゲームというものが、車による実際の行動範囲の広がり以上の大きな意識の拡充をもたらしているのであれば・・・という考えが浮かんできています。その辺に答えがある気がするのです。
お礼
毎度ありがとうございます。こんなに回答が来ると思っておりませんでしたが、おかげでかなり自分の中で発展がありました。 アイデンティティについて補足ですが、人間は他社との関係性において自我を形成しうるので、ステイタスもアイデンティティの一部に強く寄与します。社会人が会社での肩書きを持って自分を評価されうるように。 あるマンガの「会社の看板が無ければ、キサマなど何者でも無い」というセリフが私には色濃く残っています。今ならその意味をよく理解できます。 車はむしろますます必須です。私は客商売を営んでいますが、駐車場を新設しました。無ければ商売になりません。もちろん運転してくるのは、近所のママさんたちです。治安が悪化したせいで、ママカーがますます求められるようにもなりましたし。もちろんおっしゃるステータスは厳然と存在します。特に格差が顕著に出ていると思えます。 親が裕福!子は就職難!なるほど、これで親が貧乏な上に学費の負担も強いていては、マイカーなんて言える訳ありませんよね。 あ、もしかして若者なりに行き着いた悟りが「清貧」なんでしょうか?マイカーを欲しがらないというスタンスが、どこかストイックでカッコイイと。 ただニートよろしく「清貧」って免罪符にもなるんですよね。自分の能力に由来する認めたくない事実(つまり自身は有能なのに景気の影響で収入は少ない)を、消化する為に。自分に対して言い訳めいて聞こえるのは、それが理由ですね! ただそういった清貧が正当化されるもんだから、余計に消費が落ち込む訳なんですが、それを彼らに言い攻め寄るのはさすがに酷な話です。 まとめると以下の順で作用しているのではないでしょうか? 1.車内以上のコミュニティ空間・手段が確立された(携帯・ネット) 2.車自体の魅力が無くなった(余剰・熟成) 3.金が無い(清貧=消費(出費)に対する盲目的な否定→レンタル・所有権の意義が希薄・デジタル?) 4.行動が合理的であるかどうかが重要(対価に見合わない出費や行動は最初から控える・ドライブ=時間の浪費) ケータイ・ネットが車に取って代わったなんて、あまりにも大胆な仮説だとは承知していますが・・・。う~~ん。
補足
多数の回答誠にありがとうございました。改めて皆様にお礼申し上げます。