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なぜ車を持ちたがらないのか(若い子)

都会なら、まだ説明(というか言い訳)ができますが、実は地方でも結構そういう話を聞きます。 やはりお金に窮しているからでしょうか? 適正な時期にマイカーを所有していないと、社会人としてのアイデンティテイ形成にも悪影響が出る気がするんですが・・・。

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noname#189285
noname#189285
回答No.22

No13で回答した者です。No13ではクルマ離れに関して書きましたが、今までの全てのお礼欄を読ませて頂き、アイデンティティの部分に関して書きます。 質問者様は「社会人としてのアイデンティテイ」と書かれていますが、今までのお礼欄を読ませて頂いている限りは、アイデンティティ(=自己確信)というような意味よりかは、ステイタス(=社会的地位)という意味合いを仰りたいのかな、と思いました。自分の中だけで完結する哲学的な意味合いよりも、常に社会に関わり生活していく上での「社会的地位」に関して『形成にも悪影響が出る気がするんですが・・・』と仰りたいのかな、という意味です。 アイデンティティに関しては本当に自己完結の話なので、それこそ各人の価値観により様々なので、第三者が論じるのは不可能に近いのでは無いか?と言うのが率直な感想です。しかしステイタスの場合は、社会の中での地位(金持ちとか貧乏とかそういう意味ではなく、周囲の人と円滑に関わりあえる環境を自ら整えているか、というような意味)に関しては、第三者でもそれなりに論じれると思いますので、それに関して書きます。 近未来(=今の20歳前後の若者が将来結婚して家族を持つ時代)がどうかは分かりませんが、最低でも現代では、結婚して子供を持った途端に、クルマの存在は必須に近い感じがしています。現に私の妻の結婚以来ペーパードライバーだったものが、結婚して四年目に子供が生まれて、少し大きくなり幼稚園等に通い出すような年齢になった途端に、クルマが必須となり「訓練」の状態(=私が横で一々指導している状態)から始め、それを乗り越え、今では普通に乗れるようになりました。それほど「クルマが必須」という状態に感じたのだと思います。 私は駅(主要路線)まで徒歩15分程度のマンションに住んでいますので、自分が駅に行くだけならクルマは無くても何とかなりますが、何故必須かと言えば、行き先に公共交通機関が無いケースが多いからです。幼稚園という公共的な施設でさえ、バスが無いか、あっても本数が少なく実質的に機能していない箇所など山ほどあります(大阪市内近郊の話です)。日常的な通学は幼稚園バスに乗ったとしても、ちょっとでもイレギュラーな状況になった途端にクルマが必須となります。更に子供の成長に合わせて「豊かさ」を享受する為の施設なり自然なりを訪れようとすれば、本当に「必須」というレベルです。なのでマンション自体も、徒歩圏に主要路線の駅があるにも関わらず、駐車枠は住居数100%となっています。そしてほぼ100%が常時埋まっています。 そして、子供が三歳にもなれば地域にママ友さん達のコミュニティが出来て、それらの会合で子供を連れて誰かのクルマに乗り合って出かける機会も頻繁に出て来ます。クルマを持っていない方(もしくは運転できない方)は常に「誰かに乗せて貰っている」という状態になりますが、周囲の誰かがクルマを出して、運転して、出掛けている以上、普通の感覚なら劣等感のようなものを感じると思います。それでも子供のことを考えると、出掛けないという選択はし辛いのが現状のように思います(繰り返しますが近未来は分かりません)。 なので現在の我が家では、自分のMT車の他に、妻がママ友さん&子供達を乗せて走るように、セカンドカーとしてミニバンも所持しています。 既出の回答に若者の意見として「親のクルマを借りる」とありましたが、自分が歳を取り親も定年退職してからも親のクルマを借りる訳にはいかないと率直に思います。逆に、自分がセカンドカーを所持して、親に「必要な時は使って」というのが私の考える「いい大人」です。母親が大病を患い専門的な病院(クルマで片道二時間)に定期的に通いますが、70歳近いお年寄りに「電車とバスを乗り継いで」などとは間違っても言えません。 そして単価の安い自営業ながら、セカンドカーの維持費を捻出する為に、寝食を忘れて働くのは、世帯主である自分の「義務」とさえ思います。 以上が私自身が考えるクルマに関する「ステイタス」ですが、たまたま私は裕福で無い家庭に生まれたのでクルマに限らず例えば住居に関しても同様にしていますし、若い時分からそういう将来を思い描きながら仕事のスキルを積んで来ましたが、現代では「親が一定以上に裕福」という方が大多数な訳ですから、そういう考え方の若者が非常に少ないのは、ある意味当然とも思うし、それが時代の流れ(=国が豊かになった)なのだと思いますし、そういう考えや苦労を今の若い人に押し付けようとも思いません。しかし私にとっては以上はステイタス以外の何物でも無いと思います。 以上のような側面も、現代人がクルマ(=もの凄く維持費が高い実用品)に関して距離を置いている遠因かなと思っています。

noname#123349
質問者

お礼

毎度ありがとうございます。こんなに回答が来ると思っておりませんでしたが、おかげでかなり自分の中で発展がありました。 アイデンティティについて補足ですが、人間は他社との関係性において自我を形成しうるので、ステイタスもアイデンティティの一部に強く寄与します。社会人が会社での肩書きを持って自分を評価されうるように。 あるマンガの「会社の看板が無ければ、キサマなど何者でも無い」というセリフが私には色濃く残っています。今ならその意味をよく理解できます。 車はむしろますます必須です。私は客商売を営んでいますが、駐車場を新設しました。無ければ商売になりません。もちろん運転してくるのは、近所のママさんたちです。治安が悪化したせいで、ママカーがますます求められるようにもなりましたし。もちろんおっしゃるステータスは厳然と存在します。特に格差が顕著に出ていると思えます。 親が裕福!子は就職難!なるほど、これで親が貧乏な上に学費の負担も強いていては、マイカーなんて言える訳ありませんよね。 あ、もしかして若者なりに行き着いた悟りが「清貧」なんでしょうか?マイカーを欲しがらないというスタンスが、どこかストイックでカッコイイと。 ただニートよろしく「清貧」って免罪符にもなるんですよね。自分の能力に由来する認めたくない事実(つまり自身は有能なのに景気の影響で収入は少ない)を、消化する為に。自分に対して言い訳めいて聞こえるのは、それが理由ですね! ただそういった清貧が正当化されるもんだから、余計に消費が落ち込む訳なんですが、それを彼らに言い攻め寄るのはさすがに酷な話です。 まとめると以下の順で作用しているのではないでしょうか? 1.車内以上のコミュニティ空間・手段が確立された(携帯・ネット) 2.車自体の魅力が無くなった(余剰・熟成) 3.金が無い(清貧=消費(出費)に対する盲目的な否定→レンタル・所有権の意義が希薄・デジタル?) 4.行動が合理的であるかどうかが重要(対価に見合わない出費や行動は最初から控える・ドライブ=時間の浪費) ケータイ・ネットが車に取って代わったなんて、あまりにも大胆な仮説だとは承知していますが・・・。う~~ん。

noname#123349
質問者

補足

多数の回答誠にありがとうございました。改めて皆様にお礼申し上げます。

その他の回答 (23)

noname#189285
noname#189285
回答No.13

私は「若者のクルマ離れ」という点に関しては懐疑的に思っています。若者だけでなく、「現代人のクルマ離れ」が正しいと思います。 私は現在39歳ですが(クルマ好きです)、周囲にクルマを熱く語れる人はほとんど居ません。私は小さい子供が居ながらステーションワゴンのMT車に乗っていますが、周囲は大半がオートマのミニバンに乗っています。用事で子供を迎えに行った際に、よその子を迎えに来ている「よそのクルマ」は大半がミニバンです。 そして私は子供の手が離れたら趣味車に乗りたいな、なんて考えますが、周囲の方々はクルマを手放すか(無くても何とか生活出来る地域である為)、全く無い生活には耐えられない方々は維持費だけの観点からコンパクトカーや軽自動車に移行するのだと思います。 なんで現代の人がクルマから離れつつあるかと言えば、既出の回答にもあるように趣味の多様化など(と言うより社会の豊かさが上がり、また成熟したこと)により相対的にクルマの「値打ち」が下がったことが一番の理由だと思います。それが引き金となって、クルマ自身も「実用品」であることに重きを置き「趣味」としての側面を極力廃していった訳なので、人々がクルマから離れないほうがおかしいと思えるレベルと思います。 少し前なら「中が広いクルマ」、そして「多人数乗れるクルマ」、最近では「燃費の良いクルマ」などの一辺倒です。趣味性の高いクルマは「珍しい存在」というレベルに感じます。時代のニーズで実用品としての機能に重きを置いているクルマの存在は否定しませんが、それ一辺倒では、代替品(公共交通機関など)の発達と共に廃れるのは目に見えている話です。 しかし最低でも日本のメーカーは、日本国内においては、ここ20年程度はそういう商売に徹してきたと思うので、現在において大半の人がクルマから離れていくのは当然と思います。私たちの世代は若者の時分に、まだまだスポーツクーペ(レビンやシビックなど)やスポーティな軽自動車(アルトワークスなど)に普通に乗っていた世代ですが、青春時代にそういうクルマで過ごした私たち世代ですら、現在では減税や燃費でしかクルマを選ばないような人が大半なのだから(=必要なので仕方なく買っていると言うのに限りなく近いレベル)、そういうクルマをリアルに知らない若い世代が必要も無いのに高い維持費を払ってまで高いクルマを所持する訳が無いと思います。 なので、逆にクルマ好きの人は、最近では本当に輸入車にいく人が多いと感じています。周囲でも(例えば同じマンション内でも)、大半はミニバン、コンパクトカー、軽自動車、ハイブリッド車そして古い古いクルマたちですが、それと違ったジャンルのクルマに乗っている方々は、半分以上が輸入車という感じです。決してお金持ちの地域ではありませんが、VW全般、BMWの3シリーズやプジョー206か307、ルノールーテシアなど、それほど高価では無いけどスタイリッシュでカッコ良く、そして四人は乗れるというクルマに乗っている方々は本当に多いです。それに類する国産車がほとんど無い訳ですし、稀にあっても「ミニバンばかりを作っている会社のクルマだろう」という事実が有る訳ですから、クルマ好きの方々が輸入車に行く心情は察するに余りあります。しかし残念ながら、安価になったとは言え、若者にとってはまだまだ高価であると思います。 と言う訳で長くなりましたが、当然の理由をもって現代人はクルマから心が離れていっており、更には国産車で安価なクルマと言えば面白みの無いクルマばかり、かつ若者になればなるほどクルマに対する「必要性」が低いわけなので、若者がすすんでクルマを買う訳がない。これに尽きると思います。

noname#123349
質問者

お礼

車の価値ですね。確かに若者の多用な消費において、車に力点を置く割合は相対的に減っていると。 MT時代が楽しかった、すくなくとも機械を操作する実感はあったのは確かですね。「簡単=飽きやすい」なのかもしれません。 とても参考になりました。自分なりに結論がまとまってきた気がします。

noname#147110
noname#147110
回答No.12

車を持つ理由のほとんどが 必要だからでしょう 必要以外の理由で車を持つのは一部のお金持ちの超高級車種くらい 必要な人は10万円の車でも買って乗るし 必要無いならまず買わない 超田舎を知らない人には分からないかな 未だにADSLさえも開通して無い所が有る事は

noname#123349
質問者

お礼

中古車はいっぱいありますもんね。買おうと思えば、買えない事は無い・・・。 となると、ますます買わない心理が知りたいです。 アレ?重複投稿されました?

  • take0_0
  • ベストアンサー率46% (370/804)
回答No.11

30代前半ですが、「アイデンテティ形成」の下りが同意できません。 バブル期に青春を過ごした人の発想だなという印象を受けます。 上司と話していて、「バブルだなぁ・・・」と思うことがよくあるもので。 質問者さんはバイクに特別な価値を感じておられるようですね。 私も、一時期はバイクに乗ってました。学生時代はVTでクローズドコース、社会人になってからはリッターSSでサーキットばかり走ってたので、若干ずれてるかもしれませんが。 一応ナンバーは取ってましたが、ツーリングなどには興味が無く。 今は乗る暇も無いし、結婚してから環境が変わってそういう心境でも無いし、手放してしまいました。 でも、別にこだわりは感じませんね。CBR954RRを新車で購入する際、車体色に興味を示さない(在庫処分の不人気色を買った)ので不審がられたくらいです。 また乗りたくなったら買うでしょう。その程度の感覚です。 私にとって、車もバイクも道具なので、それ自体にはあまり価値を感じていません。 道具としての用さえ足りれば良いのです。自分が乗っているときには車体色なんて何の関係もありませんから。 車遍歴も、ステップワゴンからカローラに乗り換えましたが、前者はCBRを積むための選択だし、後者は結婚時に妻が乗っていた車で、そちらの方が新しかったというだけです。 運転自体は好きなので、車で走りたいなと思ったらスポーツカーを買うかもしれません。 でも、インプレッサSTi(結構好き)を買ったとしても、ボディーカラーのWRブルーと黒、白は私の中で同等の価値しか持ちません。 というような価値観の違いはあるんじゃないですかね。 同僚を見ていると、世間の平均年収より上で、生活に余裕がある独身者でも興味が無ければ車は所有しません。 インプレッサとかレガシーくらいなら、貯金通帳を調べて精査して・・・なんて事をしなくても即金で買える余裕はあるので、別にコンプレックスも感じません。 「要らないものは持たない」というだけで、そこに何の含みも無いんですよね。 カマロに乗っていても、乗る暇無くてもったいないから売り払うかって程度のもんです。 一言で言えば、「価値観の多様化」でしょうね。 「こうあるべき」という主張は上の世代ほど強いと思います。 良くも悪くも、「他人は他人、自分は自分」という感じです。

noname#123349
質問者

お礼

バイクに関する思い入れが良く分かりました。私も車種にこだわってましたが、どちらかというと重要なのは走る事でした。 マイカーに関しても、持ってる事が重要であって、それに乗りたいからという人の方が今も昔も少ないと思います。 今回の問いに関わらず、確かに私は因習主義的、つまり若い人に対して「こうあるべき~」と押しつけがましい偏った考えを持っているタイプの人間ではあります。尊敬する祖父がそうでしたように・・・。

noname#147110
noname#147110
回答No.10

車を持つ理由のほとんどが 必要だからでしょう 必要以外の理由で車を持つのは一部のお金持ちの超高級車種くらい 必要な人は10万円の車でも買って乗るし 必要無いならまず買わない 超田舎を知らない人には分からないかな 未だにADSLさえも開通して無い所が有る事は

noname#123349
質問者

お礼

不要なら買わないですか・・・。 とりあえず持ってないとという感覚には至らないんですね。 これも長らく続く不景気のせいですかねぇ。 超田舎・・・。といかなくても、公共交通機関だって数km 離れてたら無いも同じですよね。

  • runnext
  • ベストアンサー率38% (866/2245)
回答No.9

私の意見としてはやはり「女」これに尽きるでしょう 私の若かりし頃は(20年以上前)は女性の免許保有率がまだ低くドライブなどは男性に連れて行ってもらう物でした だから車を持っていれば女性とお近づきになる可能性が大きかったのです ですが現在では女性の免許保有率も高くなりマイカーで一人でドライブなんて当たり前になりました 自分の車がなくても家の車を借りて乗り回しているようです もてようとするアイテムとして車は格下になりましたね いまもてるのはカッコいい車よりファッションセンスや最新音楽情報や会話のセンスが重要視されているようです あとITを利用した情報収集力とメールのセンスと返信の早さ! お金で何とかなる車やブランド品は逆効果らしいですね 車にお金をかけている若い子は走りよりもAV主体の手のかけ方が多いようです これも最新音楽のチェックでしょうかね 携帯やゲームなどは持ち運びに便利で場所さえわきまえればいつでもどこでも出来ます 一方車は使用している時間は少なく高いお金を出して買っても使う時間がかなり短いですね 維持費も相当です それに伴ってかスキーやボードの人口も比例するように減っているそうです 以前ボードをやめた子の理由を聞いて笑っちゃいました いくら最新のボードファッションをきめても翌年には流行おくれでしかも着る機会が少ないのでお金の無駄だそうです 車の理由に似てるようです まあ言ってしまえば他にも楽しいことがいっぱいあるから分散したと考えるべきでしょうね

noname#123349
質問者

お礼

スキーのお話は実話です。私も、スキー場で笑われた事ありますもん。斜面で座って話込んでるだけだし。何しに来てんだよって逆に思いました。 脱線しました・・・。 まさに「女」ですよね。思えば今の子は車より先に女を知ってるのかもしれません。持てないヤツほど車に乗るという説も持ち上げれば、あぁ車を持ってなかった私は一人暮らしという強みもあったし、モテましたよ(主観)。 お金でなんとかなる・・・を否定。なるほど、いつの世も、お金を持ってない人は、そこに至るんですね。レジスタンスの心理です。 参考になりました。

  • onikou
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回答No.8

お金に困ってる・・・ということもあるんでしょうが。 別に買おうと思えば中古車だってあるわけですから、 所有すること自体は簡単ですよね。 維持費だって、最近の子達の携帯電話代のほうがかかってそうな気がします。 それに、外出して買い物しても配達だってしてくれますし あえて自分の車で持って帰る必要もないです。 逆に自分で大荷物を持って帰って壊したら・・・と思うと 配達してもらったほうが安心です。 引きこもりって言われそうですが、ネットショップも充実していますし。 ちなみに現状、それなりの地方在住ですが車を持っていません。 (原付はありますが) 自分には必要性がないので、持つ意味がないんですよね。 遠くに行くときは原付で、近場なら自転車で十分まかなえています。 というか、自転車でうろうろするのがすきなんですよね。 趣味なり必要性があるならまだしも、 単に所有している方が大量のお金と時間を消費しているのを見ると、 ある意味尊敬はできますが、コンプレックスを抱くことはないですね。

noname#123349
質問者

お礼

たしかにamazon を使えば、日用品ですらホームセンターより安く買えますしね。それは実感してます。 バイクや自転車は私も好きですがね。車があるからこその価値観・社会的信用というのも実際にはあるのですよ。これは持って初めて知ったのですが・・・。 最後の一文はとても納得できました。尊敬も無いものと思っていましたので。

  • baithasar
  • ベストアンサー率35% (212/602)
回答No.7

田舎は車が必須です なければマジで生活できませんので ま ありていに言えば趣味の多様化ってトコでしょうが 今では家の中にいても趣味があるじゃないですか 昔はせいぜいファミコン やはり外への遊びを考えますよね 特に田舎は外でしか遊びがない 友達とどっかいくだけでも「足」が要る そのためのクルマはあって当たり前 PS3にたとえられるコンシューマーゲームも ゲームセンタークラスのゲームが家庭でしかもオンラインで対戦できる 家にいながらチャットがある パソコンもしかり 一日中PCの前に座ってる猛者もめずらしくない昨今 外に出ることを覚える前に 家にこもりっぱなしになるのが普通だと言っても これはめずらしくありません あと携帯電話です これの通信料が なんだ 若い人は数万円かかるんでしょ? 一昔前にはクルマのローン 学生でもローン組んだもんだ 女子大生ホイホイと言われたソアラ オイラの連れでは月5万ローン組んで乗っていましたよ 今 バイトの給料は昔にくらべ種類も少なく 金の見入りも少ないです 公営ギャンブルでもある競馬 パチンコ 今は全く出ません バブルの前ですが オイラ1年ほど全く銀行に行かないで生活できていました 無論仕事してます パチンコです 気づいたら数百万円銀行にありました 給料手付かずで生活できていたんです 行く必要がないんです パチンコ出ますから バイトも振り込みの時代じゃない 現金払いだと登録してないとこは税金来ませんので 所得税以外の 市民税(税金のオーバーチャージですな) これが来ないんです あとから税金取られることもない 良い時代でした バイトの種類 給料もかなりかせげました 普通のサラリーマンよりも月給多かったんじゃないか クルマの駐車禁止 今は異常ですよね いくら道交法だなんだといっても数分で罰金というのもおかしな話です ちょいと留めただけでアウト まったく余裕のない社会になってしまっています いろんな意味で規制もゆるかった(今が異常だと 誰も言わないのもどうかと思う) というわけで ○見入りの良いバイトが 昔に比べまったくない→学生は就職難ですからバイトに精を出してる場合じゃない→携帯電話持ってるだけで数万円が飛ぶ それ以上余裕がない さらに 家に引きこもりがちになり 外で女ナンパするなんて大昔の話 今はエロゲーや同人誌の妄想でコトが足りる 極論かと言われそうですが コミケ アレ何万人いくと思います? オイラの時代はごく一部のヲタクしかいかなかったイベント 今は 特にヲタクでもない人もいくし ヲタク自体が増えまくってる昨今 わざわざ 苦労して金使って心痛めて嫌な思いするよりも ラクがしたいのが本音でしょう その代替処置でゲーム アニメ ヲタが増えた

noname#123349
質問者

お礼

なるほど。幼少の時から、すでに外出しないで育っているという訳ですね。 お金も、幼少の時から、やはり少ない。大学生になってもバイトで稼げるのは数万円。それも学費やら負担せざるえない状況で、とても車など買えはしない。 最後のヲタクが増えた理屈。よく分かります。現実逃避としての側面もありますからね。 ローンで車を買ってヒーヒー働く姿が、カッコワルイと思われてるんでしょうかねぇ。

回答No.6

nantendoさんに同意です。

noname#123349
質問者

お礼

なかなか的を射てますよね~

回答No.5

昔は身近にエンターテイメントが少なく、誰かと何かを楽しみたい、となったら車で出掛けることが「手っ取り早かった」と思います。 しかし現在は交通手段の発達、インターネットの発達、ゲームなどインドアコンテンツの充実、その他エンターテイメントが身近に溢れているため、「車の必要性」が単純に失われてきているのだと思います。 金銭面での不都合も確かに要因の一つだと考えられますが、よくよく彼らの生活を見ると、車ではない別な事柄に大金を使っていたり、時に借金を背負っているようです。 ですので、嗜好の多様化が一番の要因だと私は思います。 また、生活上車が必要な地域にお住まいであれば、「適正な時期にマイカーを所有」する必要性もありますが、そのことと「アイデンティティ形成」は全くの別問題だと私は思います。 そもそも車のある生活がアイデンティティを形成するのではなく、現代の環境から形成されたアイデンティティに基づく価値観により、車の利用(車のある生活)を選択する事象が表れているのでしょう。

noname#123349
質問者

お礼

う~~ん。大変参考になる回答、ありがとうございます。 確かに彼らは、お金を別のことに使っています。ただ・・・私もそうだったのですが、それは車を買う負担があまりにも大きい為に、どこかで理由を付けて諦めているのではないかと思うのです。そのストレスから、オタク的に別の事に浪費しているように思えるのです。もちろん、本人はその事に気付いていないフリを貫きます。 興味ないからとか、経済的でないからとか。反動形成と思えるフシもあるのです。 アイデンティティの形成にマイカーが必要と感じたのは、私自身がその事をコンプレックスに感じていたからに他なりません。ただそれは、当時の状況がそうさせていたに過ぎなかったという事なんですね。 若い子の方がよほどしっかりしているのかもしれません。厳しい就職戦線を目の前にしていますからね・・・。

回答No.4

こんばんは 10代の目線から回答させていただきます。 まず、車好きの人には申し訳ないですが、車は渋滞の原因だし、ガソリンをバイクなどと比べて多く食う、税金や維持費が高い。 これが私が車の免許は取得しても車を買いたくない理由です。 私は中型自動二輪に乗っていますが、朝の通勤ラッシュの中バイクであればはやく目的地にいけると思います。 ガソリンも車に比べて約半分で済むので。 っとこんな感じです。 回答になってないような気がしますが、これを回答とさせていただきます。

noname#123349
質問者

お礼

バイク好きの私には、あなたの理屈がとてもよく分かります。私も学生時代、都会での一人暮らしの為、車ではなくバイクを所有していましたから。 当時もバイクを持ってない子にうらやましがられましたよ。無いと移動範囲が全然違いますからね。 ただマイカーを持ちたがらない子の多くは、バイクすら所有していません。それこそ今時の子はバイクに全く興味ないそうで・・・。 あなたはむしろバイク所有している事実が自身のアイデンティティに少なからず寄与しているのではないですか?(バイクは特にそうだと思う)

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