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科学の体系における医学の位置づけとは?
科学の体系において、医学と他の分野や領域との関係性や整合性は、妥当なものでしょうか?
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- 島崎 信也(@zakky74)
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ANo.1で回答させて頂いたzakky74です。 > 科学において問題があるならば、代案の模索は、科学の中でなされることだと考えております。 残念ながら、その考え方には過ちがございます。 理由は、それを可能とする際には科学が閉じられている事が前提でなければなりません。科学の中だけで全てが説明でき、全ての現象を理解出来る状態が前提だからこそ、その科学において問題がある時には科学の中で代案を出せると言えるのではないでしょうか? つまり、前提が過ちである事を指摘しておきたいです。 実は、ホーキングは科学のアプローチは、始めから過ちであった事を認めています。大事な事は、始めから見直そうと彼が言っているという点です。 エドワードウィッテンは方程式レベルでM理論を完成させたものの、結論が分からない事が分かったという領域にまで到達してしまいました。 ゲーデルの不完全性定理の事もございます。 科学の問題を科学の中だけで解決する事が無理だったからこそ、未だに科学は最終理論に到達出来ておりませんし、医学や生物学との調和が取れておりません。科学からの代案は土台からして無理な話でございますれば、どうかお認め頂きますよう・・・。 科学を含めた学術全般の問題について取り組まれる事が質問者さまのご質問内容に最も直結している回答である事をお伝えしておきたいです。 因みに、物理学に言う万物の理論や最終理論は既に解決されている事をご存知でしたでしょうか?それは科学の欠陥を補って説明されている体系で、なおかつ学術全般における全ての欠陥が補完されております。 その観点からの回答である事を最後に付け加えさせて下さい。 故に、そのアプローチは過ちである事を断言いたします。
- 島崎 信也(@zakky74)
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関係性や整合性を図りたいと思いつつも、実現しようの無い現在地がございます。西洋出発の学術は、数学・物理学を筆頭にして学術内での統合に惨敗しているところまで突き詰めてしまいました(その事を隠している様ですが)。 科学に限らず、西洋のルネッサンスを出発として開花した学術の体系は大まかに見まして大きな共通パターンがございます。その共通パターンとは、意識現象の一部分だけに焦点を合わせているという点です。 例えば、バランスが取れている状態をイメージしてみます。 目を開けている状態と目を閉じている状態が一対でございます。 同じ様にして、起きている状態と寝ている状態が一対でございます。 生きている状態と死んでいる状態が一対でございます。 そうした1:1の対応がしっかり取れている時にバランスが取れているという事は比較的簡単にイメージできます。その1:1の対応が取れている時にバランスが取れているのですが、西洋の学術は、このうち片方しか取りません。 目を開けている時だけしか取りません。 起きている時だけしか取りません。 生きている時だけしか取りません。 本当は、両方を行ったり来たりしながらバランスを取っているのが宇宙自然が教えてくれている事なのですが、このうち西洋の学術は片方だけを常に取る様にして体系立てております。 全体から観ました時には、そうしたバランスの悪さがございます。 それが学術全体に言える事でございまして、この学術の上にいる限りは科学・医学を含めました多くの学問は、関係性や整合性が取れよう筈がございません。 残念ながら、宇宙自然に起きている現象は学術からでは掬い取れませんし、人間の文化文明歴史現象に起きましても学術からでは掬い取れません。そういう意味で必ず学術には、その学術内での関係性や整合性に部分的なアンバランスが生まれてしまいます。 そうした部分的なアンバランスは、実は全体的なアンバランスによって生じるものでございます。意識現象の一部分のみに着目した学術が全体から観た時には既にアンバランスでございますので。無意識現象については触れようとしないのが学術でございますので。 そのアンバランスを解消解決しない限りは、科学・医学のみならず、学術を土台とした他の全ての関係性と整合性は取れる道理がございません。 ですから、部分的にどこがどう関係していて、どこがどう整合性が取れていて、逆に関係の無いところや整合が取れていないところについて模索する事はあまり意味がございません。 大切な事は、学術からでは全ての関係性を計る事も整合性を取る事も出来ないという事の理解を深め、代案を模索する事だろうと思っております。 もしかしたら求められている応えにはなっていないかもしれませんが、学術に対する代案を見出している僕からではこの様に回答する他ございません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 科学において問題があるならば、代案の模索は、科学の中でなされることだと考えております。
お礼
私は、物理主義者です。つまり、個別諸科学は基礎科学である物理学によって説明されるのであり、階層的ではあるが、最終的には、科学=物理学として収束する、と考えています。ですから、物理学に言う万物の理論や最終理論が、科学や学術全般よりも上位にあり、欠陥を補完するものであるとは思いません。 万物の理論や最終理論が証明されたということは、不勉強でもあり、寡聞にして知りませんし、理解不能です。そのようなものがあるならば、問題は既に解決しているはずでしょう。論争は不要・不毛なので、再コメントはご遠慮ください。
補足
科学という営為が閉じられているとは思っておりません。いつも開かれております。だから、科学の中でなされるはずということです。