案外に昔から交流はあって、江戸時代に帝政ロシアがシベリアにやってきてから、千島列島伝いに間接的に交流がありました。
時々太平洋や日本海で嵐に遭って流された日本人がしばしば千島列島やシベリア本土に漂流して保護されることがありました。で、この人たちを講師になんと1705年にピョートル大帝の命によってサンクトペルスブルクに日本語学校が作られていました。ゆくゆくは国交を結ぼうと考えていました。
この日露交流の歴史で有名なのが大黒屋光太夫と高田屋嘉兵衛です。
で、ロシアは何度も「漂流民の引渡し」などを名目に日本に来ては外交を持つことを求めました。
このときのロシア帝国の態度はまさしく文明国に対する対応に他なりません。礼儀に乗っ取り、幕府が長崎へ行けといえば長崎に、幕府がこれが日本の礼儀だと土下座(といっても正式には土下座じゃなくて正座して畳に頭を下げるもの)を強要すればそれにも付き合いました。
日本人はこーゆーのには強気に出る民族なので、のらりくらりと言を左右にして外交関係を持つことを拒否しました。
これがアメリカ(ペリー)ともなると、いきなり江戸(東京)湾にズカズカと土足で入り、「戦争するか、交渉のテーブルにつくか、どっちなんだコノヤロー」と迫ったんですからもうロシアのほうがはるかに紳士的。
ペリーは礼砲を江戸湾でぶっ放し、もし幕府が礼砲の国際儀礼だと知らずに実弾を撃ってきたら「コノヤロー、こっちが礼儀に基づいて空砲を撃ったら実弾で打ち返してきやがった。反撃だ、戦争だ」とやるつもりだったり、一説によると幕府方との交渉の席で白旗を渡し、「西洋では降伏の印は白旗をあげることになっている。もし戦争になったらそれ(白旗)が必要だろうから渡しておくわ」と言い放ったとか。
ロシア人(厳密にはウクライナ人)の妻を持つ日本人男性によると、「結構な親日国」なんだそうですよ。
ちなみに外国にあちこち行く別の友人の言葉によると、「日本人が嫌いっていうのは、韓国人と中国人の一部くらいで、あとはどこの国でもほとんど親日的だよ」とのことです。
お礼
回答ありがとうございました。大変詳しく勉強になりました。 ロシアは日本を文明国として認識し、丁寧に対応をしていたのですね。アメリカとの例を比較しまして、いかに紳士的にロシアが外交を求めてきていたのかが分かりました。 ピョートル大帝という古い時代からの関係と知り驚きました。 私自身、中国、韓国の知り合いと話して日本人が思っている以上に文化的に親日なことを知りました。ロシアの場合もそうなのですね。 メディアで誇張されている政治的対立以外にも国際関係をはかる尺はあるのではないかと、今回頂いた回答より考えさせられました。 ありがとうございました。