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「子供は宝」という言葉が嫌いです
その言葉の裏には「老人は廃棄物」とまではいかないまでも 「子供の方が老人より評価価値が高い」という独善的な偏見が潜んでいます。 その子供もやがて年をとり老人になります。 すると宝ではなくなる(減価)するわけです。 誰が言い始めたのか知りませんが非常にデリカシーのない表現だと思います。 皆さんそう思いませんか?
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はじめまして。 >その子供もやがて年をとり老人になります。 すると宝ではなくなる(減価)するわけです。 確かに仰るとおりだと思います。しかし、お年寄りを引き合いにすると言う事はどうしてでしょうか。 単純に『子供は宝』と言うのは親御さんにとってはかけがえのない愛しいものだ・・・。という事ではないでしょうか。 介護生活11年以上経ち現在も施設通いをしている私にはその様にしか取れませんね。 決して、お年寄りを卑下していることではないと思いますが、身体の自由が利かない老人となってしまった方だって嘗ては宝だったわけですよね。 そうした『子供は宝』というものは完全に期間限定付きです。“子は鎹”という言葉もありますが、今では余り聞かないことばですよね。戦後当時のことで現在では死語(?)の様なものです。 現在では我が子を手に掛ける親もいたり、虐待だのと聴くとまたかといったものになってしまっています。こうしたことは善し悪しでもなく、白黒はっきりしたものでもなく、それぞれが感じる儘で宜しいのではないかと思います。
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- dame-kakuseizai
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恣意的な質問ですね 答え 老人も子供も同様に大切ですよ
- toshipee
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自分も子供だったことと、子供はまだ老人ではないことを考えると、あなたもかつて宝であったので同じ瞬間に平等です。逆であれば、年取るまで宝でないので同じ瞬間に平等ではなくなります。 デリカシーがあるかないかどう感じるかは、生育歴で変わるでしょう。人生つまらなく下落したヒトは、デリカシーがないと言い、微笑ましく見ることの出来るヒトは、幸せなんでしょうね。そろそろ自分が妻と出会った頃の自分の歳に息子がなりつつありますが、世代交代と自分が死に向かうことを少し考えつつ、「こいつはどんな出会いをし、どんな仕事を得、どう生きていくんだろう」と、他人の人生にわくわくするのは初めての感覚です。「幸せになったんだろうな」と、ガキの頃はいろいろあったんでそう思えますね。そう感じられないのですか?若い奴らに。ご愁傷様。
- dame-kakuseizai
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子供が嫌いな人は、老人も嫌いでしょう 優越付けさせるのもその為じゃないですか
補足
回答をする前に質問をきちんと読んでください。 「子供が嫌い」ではなく「子供は宝」という言葉について質問しています。
- 誠治(SEIZI・SAGE)(@romanda201)
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そうですかあ?
お礼
そうです。
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お礼
「子供は宝」と言っている人の多くは、 「期間限定」の但し書きをつけてることに気づいていません。 旬を過ぎたら消えてなくってしまう価値ではなく、 古くなってからこそ旨みを増す価値に目を向けてほしいですね。 ご回答、身にしみました。 有り難うございます。