• ベストアンサー

★子供に【命の大切さ】と【物の価値】の教えた方は?

【質問】 (1)子供に命の重さ、命の大切さを、どのように教えますか? (2)子供に物の価値を、どのように教えますか? 【質問の理由】 (1)僕は小さな命を何百を奪った末に命という物を体感しました(今も具体的には表現できません)。必要以上の殺生はしたくないと思うようになりました。 (2)僕が生まれた昭和40年代は物は充分に有りましたが、今のように溢れるほどでは無いし、廃棄量も少なかった思います。今の子供は簡単に欲しいものが手に入る環境が多いようで、【もったいない】という感覚が希薄だと感じます。10円玉には目もくれませんしね。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

経験談です。 (1) 育てる経験をつませることではないでしょうか。 実際に命に触れなければ、命について印象を持つことはできません。 そして実際に命に触れるとは、生き物と接したり、世話をすることだとおもうのです。 その過程での感動や喪失の経験が、命の重みの感触を子供の心に残してくれるのではないでしょうか。 図や言葉で説明するたぐいの事柄ではないように思います。 私は、小学校2年生の夏休みの宿題の事を思い出しました。 その年、私はアゲハ蝶の観察をしました。 毎日、絵を描いて、なにか観察日記をつけたのです。 庭の山椒の葉にアゲハが卵を産みます。 オレンジ色の卵です。 卵から孵ると最初は茶色い虫で、大きくなるともこもこした緑色の芋虫になります。 手でつつくと怒って、オレンジ色の角と変な臭いを出します。 その反応が面白くて、ずいぶんからかいました。 やがて蛹になり、最後に綺麗な蝶になって飛び立っていきます。 でも彼らの一生は順風満帆ではありません。 夕立など強い雨が降ると葉っぱから落っこちて、 近く溝に流されて死んじゃうやつがいっぱいいました。そのときの無力感! 鳥にも狙われていました。 寄生虫もいました。蜂がアゲハの幼虫の体内に卵を産みつけるのです。 幼虫はそのままサナギになりますが、その間に体内を食い尽くされて、、 サナギから蝶の代わりにうじゃうじゃ蜂が出てきます。そのときの悔しさ! 逆に蝶が本当に蛹から抜け出していくときのほっとするような嬉しさ、ゆっくりとした時間、飛び立つまでのじっとしてるときの姿は神秘的でした。 そのときの息を呑むような光景は今でも鮮明に焼きついています。 他にも、とびたった蝶を母親が捕まえてれようとしてしくじって、 網の柄でたたき殺してしまっときの、なんともいえない悲しさ、 とかとか、 さまざまなドラマがありました。 3歳の時に自分の手で植えた枇杷の木は、小学校3年生くらいのころから実をつけ始めました。 私にとって、それは自分の手で植えた自分の木で、自分の分身でした。 家族で実を食べるときは誇らしい気持ちでした。 小学校5年生で引っ越したとき、次の住人の方か誰だかわかりませんが、切り倒されてしまいました。 たまに昔の家のそばを通るとき、なんにもなくなってしまったその場所をわざわざ見にいって、寂しさを感じたりしました。 金魚すくいの金魚や釣ってきた魚を飼ったり、 花に水をやったり、そのなかでもいろいろありました。 命はかけがえないものでありながら、死と隣り合わせ、一瞬で奪われてしまうこともままある、そんな感じのことが印象として、心に重ねられていったのかなと思います。 (2) 物の価値は難しいですね。 何故なら、ものを価値付け、意味を与えるのは当の本人だからです。 思い出に残る大切な贈り物は、今の子でも大事にしているのではないでしょうか。 人の想いとうい付加価値が加わって、その人にとっての価値の総額が上がっているからですよね。 廃棄量が多いのは社会の構造的な問題ですね。 買い換えるよりも直したほうが高くついて手間もかかる、という時代です。 私はメーカーに勤めていますが、10年も昔の製品などは多くの場合部品の在庫がなくなっています。 修理に必要な部品がないため、修理できない。 新しいほうが性能もいいので、どうしても定期的な買い替えをお勧めするのが自然の流れになっています。 直さないで捨ててしまうわけです。 そうしたなかで「もったいない」という感覚を大切にするというのは、物の原料である資源をちゃんとリサイクルさせて、無駄遣いしない、という方向性しかないのかなと思います。 そうすると、大事なのは日常生活での親の姿かなー。 家庭で分別をちゃんとやって、その意味を常々言って聞かせるとか。 私が子供のときは、たとえばご飯でも、 「お米には八十八の手がかかっているのだから、粗末にしたらあかん」 と言われて、ごはん一粒でも残すと怒られました。 だから、居酒屋のマスターとかに、「若いのに、きれいに食べるね」喜ばれたりします。それは躾の力だと思うのです。 おんなじようなノリで、家庭の躾の中で、 ちゃんと「もったいない=資源は再利用する」とういことを 子供の心にしみ込ませていくことが大事なのかなと思いました。

fallen_angel
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 (1)の体験は僕に近いと思います。ただ、僕は単に殺し続けてしまったからなぁ、、 (2)確かに直すより買った方が安い、リサイクルより新品が安いなど、、社会構造にも問題がありますね。 「もったいない」っていう気持ちを教える機会も減っているし大人自身が忘れかけているのかもしれません。

その他の回答 (1)

noname#31063
noname#31063
回答No.1

子供嫌いだった人が、自分の子供を持つと人が変わったように子供大好きになることがよくありますよ。 私もそうなんです。子供がウザくて避けて生きてきてたのに、今では子供って可愛くて面白くてしょうがない。子供を見ると揉んでしまいたくなる衝動を抑えるのに必死の状態です。命大切!揉ましてくれる子供命(笑)…あっ、ホッペとか手とかだけでいいんですよ(←危ない大人?) 命は育まれなければ消滅します。自分が他の命に与えられるものが多くなるなら成長してゆくし、それが自分の喜びとなり、大切も育むのですよね。育んだ経験があると、その命を亡くした時は比例して感情が揺れるのと思います。 (1)『命が大切なのは、育てたり、一緒に楽しんだ経験は他の命の為だけでなく、自分も(何かの)大切になれ、一緒に成長していく楽しみを知れるからだよ』と教えようと思います。自分が好きになる原因にもなるからとも思います。 私は電気・水道・ガスも紙もお風呂もないネパールの山小屋で2週間暮らしたことがありますが、飲料水も洗濯の水も川まで小さな女の子が何往復もして毎朝汲みに行ってくれていたことを知り非常に感謝しています。そんな経験があると価値観は変わりますよ!夜は真っ暗ですが、真っ暗闇の中で見えるのは自分の魂そのものだけ。暗闇も魂を見つめたり揺さぶるには必要かもですね。 (2)『物や情報のないところであなたは何が出来る?それが人間の価値を試すのに一番いいが、そこに行けば「~のせいで」とか「~が無かったから」という不満を思わなくていいし、それはつまり、どんな願いも叶えられる天国に行くことと同じにもなるんだよ(ガンダーラのパクリです)』と哲学を子供にもそう教えたいと思っています。 何でも『論より証拠、実際の行動』があってで真理が分かるはず。

fallen_angel
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 貴方の過去の貴重な体験が今の貴方をそしてお子さんを成長させているように感じます。