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裁判長が控訴を勧めることについて
先日、歌舞伎町マージャン店経営者らを殺害したとして、裁判員制度初となる死刑判決が下されました。その席で、裁判長が「重大な判断になったので控訴を勧めたい」と異例の説諭をしてました。 裁判長が、控訴を進めるなんておかしいのでは、控訴をする、しないの判断を決めるのは被告では、とその時思ったのですが、法律に詳しい方、裁判長のこの発言をどう思いますか?裁判長が、このような発言をすることはよくあるのですか?おしえてください。よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
法律には詳しくないですが・・・ 裁判員への配慮と受け止められますが、私もおかしいと思います。 第一審としての裁判所の判断に誤りがあるかも知れないことを自ら認めているような感じがしてしまいますね。 第一審の裁判員たちは、控訴審に判断を丸投げしようとしてる・・・みたいな雰囲気です。 自分達の判断が、“違ってるかも知れませんよ”みたいなことでは、原審の判決の意味がなくなってしまうと思います。
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- Saturn5
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質問の主旨とは離れてしまいますが... 今回の事件の被告とと石巻の2人殺害&1人重傷の事件の被告が 死刑を宣告されようとしています。 罪状だけ見ると死刑になってもおかしくない犯行です。 もっと言うと、これが死刑にならなければ何が死刑になるのかという くらい粗暴で残忍で自己中心的な犯行です。 しかし、私から見て、両事件の犯人は深く反省しているように見えます。 たった数ヶ月でこうも心情が変わるのかというくらいの変化です。 これがどうして事件前に見られなかったのでしょうか? 犯人は人間の心を持っていなかった訳ではなかったと思います。 生まれた環境や教育が劣悪だったことによってあのような事件を 引き起こしてしまったのです。 劣悪な価値環境の理由はほとんどが定収入です。 小泉政権以後、収入格差が大きくなって、劣悪な環境の家庭が増えている ように感じます。 また、小・中では少なくとも教育は平等なはずです。 しかし、あのような自己中心的な人間を育てるのはどうしてでしょうか? 粗暴な生徒は教育が無視する風潮が強いように感じます。 劣悪な環境で育った生徒は口で言うことを聞きません。 そのような生徒は無視した方が無用の暴力事件を避けられるのです。 しかし、このような消極的な教育があのような人間を生んだのです。 決して心を開かない生徒だった訳ではなかったはずです。 それを無策にもあのような凶暴な人間に育ててしまったのです。 大阪の門真・寝屋川地域はかつてから松下(現・パナソニック)の下請け により発展した町です。それが産業の空洞化により、仕事が無くなり、 世帯収入が急減し、生活保護率も増えています。 子供に対する虐待事件が如何に多いことでしょうか? この理由は家庭環境の悪化と教育の無策なのです。 このような環境で育った若者が増えて、10代で子供を産み、 すぐに離婚して、新しいパートナーと同棲して子供を虐待する。 お決まりのパターンですが、そうわかっていても行政はどうして何も しないのでしょうか? 虐待させるだけに生まれたきた命があることに怒りではなく悲しさを 覚えます。
お礼
回答ありがとうございます。企業優先の小泉政権の失策により、労働者が搾取されていますよね。中国の台頭などもあって、日本企業は厳しい状況にあるし、それによって雇用・賃金も減る。雇用・賃金が減ると、家庭環境が悪化し、犯罪も増えると言うことでしょうか。
- neKo_deux
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質問文にある裁判の内容はよく読んでいませんが…。 > 裁判長が、控訴を進めるなんておかしいのでは、 例えばですが、 「殺人事件を起こした被告で、全面無罪を主張している。やってないんだから、当然ながら反省もしないし、遺族への謝罪なんかも一切無い。」 とかって状況で、やむを得ず死刑の判断をせざるを得なくなった。 反省、謝罪して罪を贖いたい旨の発言してくれれば、減刑などする余地は十分にあるのに。 とかって状況を想像してみるとか。 -- 実際に殺人したのか/していないのか?真実は分からないかも知れないし。 上記のような謝罪の言葉があったとしても、本当に反省しているのか?は分からないし。 難しいです。
お礼
回答ありがとうございました。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ANo.7: 確かに、法曹(ほっそう)には多少特徴的なご性格の方が少なくはないのですが、研究法曹ではない場合、つまり実務の公務員法曹の場合は組織と原理での言動が要求されますからね。 こういう場合に確信犯ということばを使うことが適切かどうかでいえが、私には違和感があります。 ただ、いろんなことを考え合わせての、敢えての発言であったことは否めない(いなめない)と存じます。
お礼
回答ありがとうございます。勉強になります。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
私も報道で知ったとき、多分議論する人もいるだろうと思いました。 同じ文言(もんごん)ではないでしょうが、皆無ではないはずです。非常に珍しいことですが。 責任をもって、一定の観点を選択しての判断と判決ではある。 しかし他の観点が全く成立しないということではない。 そういうことであるから、一等を減じることになるかどうかは別にして、上級審の審判の機会を使う事は大切であろう、という意味でしょう。 裁判官なら当然、こういう発言が議論の対象になることを理解したうえで、敢えて発言しているのでしょう。誠実だと存じます。 人生、その運命。それをその難しさ。生きてきたことの経過を受け取り、評価し、判断するべきか。 1+1のような回答は絶対に出ない。選択しかない。議論と思考しかない。そういう事件でしたね。
お礼
回答ありがとうございます。裁判長は、確信犯だということですね。
同様の質問がありましたので、私のところだけ書き写します。 ------------------------------------------------- どのような理由にしろ、絶対に言ってはいけないことだと思います。 法律には詳しくはありませんが、裁判はあくまで被告人が主人公です。 ですから、たとえばその理由が「裁判員の精神的負担」を考えたものであるならば、それはあくまで裁判員制度の問題であり、それを模擬裁判でもない実際の被告がいるところで持ち出すのは、被告をモルモットのように扱っていることになります。 被告がもし言われなかったとしても控訴するか/しないか、どちらにしろ、裁判長からそのような異例の控訴奨励があったことは、もしかしたら死刑にならないのではとの期待を抱きます。 「ダメ元」と言えば、それまでですが、もし本来控訴するつもりがなかったのに、控訴して結局死刑となった場合には、2度も死刑判決を宣告されなければいけないことになり、被告をいたずらにもてあそんだことになります。 そして、もし裁判員が精神的に和らぐためには判決が結局「死刑」であることが必要でしょう。 もし、控訴して死刑を免れたなら、裁判員は「自分たちがいたために誤った宣告をしてしまった」と、さらに心が痛むことになるからです。 結局、もし裁判員心の傷を癒すためなら、死刑宣告が前提としてあり裁判員のために被告が犠牲にならなければいけないのです。 こんなことが許されていいはずがありません。 (「どうせ死ぬんだから、少しは善良なる市民の役に立て」と言うのならば別ですが) ------------------------------------------ もし、被告人のために控訴を勧めたのならば、その被告を良く知る被告の弁護人を通してやるなど、方法はあったはずです。 つまり、わざわざ公の前で宣言しなくとも、(裁判長がではなく)被告の弁護人を通して、その被告の心情を考えてタイミング良く言えるチャンスはいくらでもあったはずです。 殺人事件として難しい判断ではあったのかも知れませんが、それほど特異な事件ではなかったはずです。 では、なぜ異例の「控訴を勧めたか」と考えれば、今までの死刑裁判と比べて異例だったのは、裁判員がいたことぐらいしか考えられません。 地方などは特に顕著ですが「善意の塊」のような人が、「わかってやること」に対してはとても寛容です。 「わかってやっているのだから、バカなはずがない」との論理で、たとえ同じことをやっても「確信犯」の場合は許されてしまうのです。 同じことをやっても「私は何も悪いことはやっていない」と自己弁護すれば非難され、「悪いことはわかっているが、あえてやった」と言えば、非難されずに済む。 くしくも、先の「海上保安官のビデオ流出事件」も同様でした。 「悪いことをわかってやれば、悪いことはやってもいい」 今回の裁判長が自ら証明してくれたような気がします。 こんなんで、いいのでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。今回の裁判長の発言は、確かに、異例です。
- allwinner
- ベストアンサー率25% (159/624)
>では、今回の事件は審議不足、と裁判長は判断したのですね。 審理が不足しているけど判決を出しちゃおうなんてことはありませんよ。 裁判長は審理の最後に「結審」を宣言しますから、仮に裁判長の心の中で審理不足を感じていたとしても、結審を宣言した以上、それは表向き判決を出すのに十分な審理を尽くしたという意味です。 ですから、審理が不十分だから控訴を勧めると言うことはありえないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。この問題に関しては、様々な意見がありますね。とても勉強になります。
- kumap2010
- ベストアンサー率27% (897/3218)
>控訴をする、しないの判断を決めるのは被告では、とその時思ったのですが、 控訴を勧めても実際にするしないの判断を決めるのは被告ですよ? それに近いもので和解勧告がありますよね。 和解するかどうかは当事者が決めることですが、 裁判長が「和解を勧める」ということはよくあります。 そもそも控訴は誰もが持ってる権利なんですから、 「控訴するな」なら大問題ですが、「控訴を勧める」のは問題無いかと。 「1回じゃ審理不足だ」って言うことは三審制の原則からも外れてないですし。
お礼
回答ありがとうございます。では、今回の事件は審議不足、と裁判長は判断したのですね。
- allwinner
- ベストアンサー率25% (159/624)
もし裁判員の出した判決で死刑が確定してしまうと、裁判員の人たちは一生重荷を背負って生きていかなければなりません。 被告人が控訴すれば、高裁で再度審理されるので、例え高裁で死刑の判決が出ても、それは高裁の判決であり、裁判員の心理的な負担は軽くなります。 これは私の想像ですが、裁判の審理の時に、裁判員が重荷に耐えられずに泣き出したり、その苦しい胸の内を裁判長に話したりしたのではないでしょうか? 裁判長はそのような事情を考慮し、被告人に控訴を勧めることで、少しでも裁判員の負担を減らそうと考えたのかもしれません。 つまり、被告人のために控訴を勧めたのではなく、裁判員のために勧めたと想像するのですが。
お礼
回答ありがとうございます。私もそのように思いますが、しかし、このような重大な事件を、これからも裁判員制度で扱うようなので、死刑の判断をする裁判員が増えそうです。
- Saturn5
- ベストアンサー率45% (2270/4952)
今までに聞いたことが無いコメントです。 直後の新聞では、法律家の方が「裁判長がこういうのはおかしい」と 言う意見を言っておられました。 確かに、判決を下す人間がその判決に反することを勧めるのは おかしなことではあります。 しかし、私はここに裁判長の人情を感じるのです。 今回の判決は裁判員制度が始まってからはじめての死刑判決です。 いわば、一般人がはじめて刑法という正義のもとに人の命を 消滅させることになります。 裁判員になった方には「重苦しくて夜も寝られない」 「死刑という判決を受けた被告に涙が出る」などのコメントをして おられます。 一般人にそのような重責を負わせるいびつな制度に対し、刑の確定を 上級審に委ねて、裁判員の心の負担を少しでも軽くしようとする 思いやりではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。今回の裁判長の発言で、裁判委員制度の問題点が浮き彫りになったがします。
お礼
回答ありがとうございます。私もそう思います。