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裁判長が「控訴することをすすめる」とは?
死刑判決をした裁判長が「控訴することをすすめる」と言ったということですが、控訴を勧めるということは上級審で判決が覆されることを望んでいるのでしょうか? 当然裁判員裁判だと思いますが、裁判員の意思も軽んじているように見えるのですが、どうなんでしょうか?
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覆されることを望むというのはあり得ません。 裁判長にとってその人が死刑になろうと無期懲役だろうとどうでもいいことですから。 その裁判に関しては無期懲役妥当だと考えたのかもしれません。 だから慎重な審理を推奨したというだけのことです。 三審制は司法の原則ですから裁判員の意思があっても無くてもそれは一回の審理でしかありません。 よって控訴をすべきではないというような理論は存在しません。
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No.8です。 もし、被告人のために控訴を勧めたのならば、その被告を良く知る被告の弁護人を通してやるなど、方法はあったはずです。 つまり、わざわざ公の前で宣言しなくとも、(裁判長がではなく)被告の弁護人を通して、その被告の心情を考えてタイミング良く言えるチャンスはいくらでもあったはずです。 殺人事件として難しい判断ではあったのかも知れませんが、それほど特異な事件ではなかったはずです。 では、なぜ異例の「控訴を勧めたか」と考えれば、今までの死刑裁判と比べて異例だったのは、裁判員がいたことぐらいしか考えられません。 地方などは特に顕著ですが「善意の塊」のような人が、「わかってやること」に対してはとても寛容です。 「わかってやっているのだから、バカなはずがない」との論理で、たとえ同じことをやっても「確信犯」の場合は許されてしまうのです。 同じことをやっても「私は何も悪いことはやっていない」と自己弁護すれば非難され、「悪いことはわかっているが、あえてやった」と言えば、非難されずに済む。 くしくも、先の「海上保安官のビデオ流出事件」も同様でした。 「悪いことをわかってやれば、悪いことはやってもいい」 今回の裁判長が自ら証明してくれたような気がします。 こんなんで、いいのでしょうか。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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自分達は、この判決は考えに考え言い渡すべきものとして死刑を選んだ。 情状のことも考えて、考えての判決ではあるが、しかし、情状において斟酌する余地もあるであろう。 当然被告人に控訴の道はあるので、上級審の審判を求めることを奨めたい。 自分達の選択と判断の通りになっても、一国の上級審としてはどうなんだということを求めて然るべきだと思う。というニュアンスなんでしょう。 難しい判断ですが、そういうプロセスの中での死刑、或いは一等を減じることは重要だと思います。 そういう事を敢えて、いわなければならない難しい人の人生と運命なのだと存じます。
どのような理由にしろ、絶対に言ってはいけないことだと思います。 法律には詳しくはありませんが、裁判はあくまで被告人が主人公です。 ですから、たとえばその理由が「裁判員の精神的負担」を考えたものであるならば、それはあくまで裁判員制度の問題であり、それを模擬裁判でもない実際の被告がいるところで持ち出すのは、被告をモルモットのように扱っていることになります。 被告がもし言われなかったとしても控訴するか/しないか、どちらにしろ、裁判長からそのような異例の控訴奨励があったことは、もしかしたら死刑にならないのではとの期待を抱きます。 「ダメ元」と言えば、それまでですが、もし本来控訴するつもりがなかったのに、控訴して結局死刑となった場合には、2度も死刑判決を宣告されなければいけないことになり、被告をいたずらにもてあそんだことになります。 そして、もし裁判員が精神的に和らぐためには判決が結局「死刑」であることが必要でしょう。 もし、控訴して死刑を免れたなら、裁判員は「自分たちがいたために誤った宣告をしてしまった」と、さらに心が痛むことになるからです。 結局、もし裁判員心の傷を癒すためなら、死刑宣告が前提としてあり裁判員のために被告が犠牲にならなければいけないのです。 こんなことが許されていいはずがありません。 (「どうせ死ぬんだから、少しは善良なる市民の役に立て」と言うのならば別ですが)
- ben0514
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素人である国民が参加する裁判員制度でしょう。 裁判員としての心情やその負担、被告人などの心情などを考慮して、多くの審議が必要だと考えたのでしょう。 軽く見たのではなく、すべての裁判に参加した人の納得できる判決にするため、認められる範囲の裁判を受ける権利を改めて伝えたに過ぎないでしょう。 死刑を反対した裁判員がいたとしても、その意見が通らずに死刑となったわけです。反対した人も、自分の意見が通らなかったことにより、人の人生を決定させることに参加したわけです。それが死刑となれば人生を変えるだけでなく、終わらせることになるのですから、精神的負担は単純ではありません。 2審や3審で同様の判決が出れば、精神的負担が減るし、被告人も納得するしかありません。覆れば、裁判員は反省する程度でしょう。安心もするかもしれません。 裁判長も悩んだ結果の発言だと思います。
- shimokita4002
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いえ次の裁判は、裁判員裁判ではありません。次は裁判官が判決を言い渡します。 控訴を進めたのは、今回の裁判員達の死刑判決が妥当だったのか控訴して高裁の裁判長に判断して もらうのが目的の一つだと思われます。それと、裁判員の負担を少なくするのも目的だと思われます。
- skywhitecat
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「控訴を進める」ということについて、2つ要因が考えられるそうです。 私も、この報道を聞いたとき、どういうことなのだろう?と疑問に感じました。その意図は明白ではなく報道もこの言葉を押していたためいくつかのニュース番組を見ました。 一つ目を忘れてしまったのですが(思い出したら書きます)、もう一つの内容は、 裁判員への配慮ということでした。 死刑を下すことは、プロとして裁判を行う方々への心の負担も大きいようです。裁判員制度が始まり、判決にかかわった人々の心の負担を軽減してあげようとしたのではないでしょうか。 ここからは私の想像ですが、 もしも私が裁判員だったら死刑の選択はかなりの負担になると思っています。人の意見も様々あると思いますが、死刑制度についても様々です。もしも裁判員の中に死刑制度に反対の人がいたらどうでしょうか? それでも法律では死刑を下さなければならない。 自分の判断で人一人の命がかかるのです。たとえそれがどんな人であれ、です。 そして、もし死刑が執行されれば、その執行する人のことも考える人もいると思います。執行する人もやはり、多大な負担が心にかかります。自分の判断が見ず知らずの人の人生も変えてしまうかもしれないのです。 関係ないと思える人もいるでしょう。でも、どうしても関係を考えてしまう人もいるのではないでしょうか? 裁判官の言葉は、法的文に関係のない個人的な意見として言われたものです。 この言葉に対し、多くの否定的な意見やバッシングなどもあります。 言葉を発した裁判官は、容易にそのことを想像できたのではないでしょうか? それでも発した言葉、 その言葉には、裁判員や、他の関係者を思いやる、精一杯の言葉ではなかったのでしょうか。
- oreha-tensaida
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事件の原因が他にある場合、当事者は全責任を容疑者に押し付けることで 自分の身を守ろうとするんじゃないですかね 当然、自分に関わることなのだから、非難の声は激烈な物になるでしょう 原因がなくならなければ、犯罪はなくなりません 野放し状態です 、
- yasuto07
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被告を気の毒だとおもったのでは。次の審判を仰いで見ても良いのではと、進めたのだとおもいます。
- comattania
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この裁判長は職務怠慢というより適職じゃないです。 裁判員が死刑を指示したため、自分は無期懲役くらいが妥当だと思っていたという、逃げ口上です。 こんなの罷免したいですね。